冬の悪魔と春の天使1
春の日差しのような、あたたかい笑顔が僕を見る。やわらかくて、どこか抜けてて、咲き始めの桜を思わせた。
「ひょうか、おはよう! 今日はどこで遊ぶ?」
天気の良い日のお昼過ぎ。待ち合わせをしているわけでもないのに、彼女は毎回ここへ――――街に唯一あるかえでの木の下へ、遣って来る。そして僕が居ることを確認して、笑うのだ。
「……ひょうか? ボーっとしてどうしたの?」
ひょうか、ひょうか、と戸惑いもなく彼女は僕の名前を呼ぶ。意味も分からず、その名がどれだけ長く重く呪われているものなのか知らないままに呼び続ける。
「何でもないよ」
少し心配そうな彼女にそう言って、笑いかけた。
「そうだね……この間、万希が気に入りそうな所を見つけたんだ、そこにしようか」
彼女の名前は万希。多くの人の希望、という意味を持った優しい名前。僕とは正反対といってもいいそんな彼女が羨ましくて、眩しくて、そしてとても嫉ましかった。
そこに着くなり、彼女は目を輝かせる。目の前に広がるのは色鮮やかな花畑。
「ひょうか!」
彼女には花がよく似合う。
花畑の真ん中で、元気よく、無邪気に手を振ってくる彼女を見て、僕はそう思う。軽く手を振って応えてから、彼女を追って歩き出した。
………あぁ、一歩一歩がとても、重い。
足が思うように前へ進まない。言うことを、聞かない。
とても苛立って腹が立って、仕方がないのにでも、どこかそれでいいと思ってしまう自分も居た。
「ひょうか、これ、ひょうかにあげるね」
花の冠を差し出して、無邪気で無垢なその笑顔。
『やめろ』と誰かが言う。けれどその誰かはとても小さな存在で、言うことしかできず止められない。
彼女はとても良く花が似合うと、僕は思う。だから―――――…
「………ひょ…、か……?」
僕の左手が真っ赤に染まった。
何が起こったか分からない、というように彼女は呆然とした顔で、熱に犯されているだろうわき腹を押さえる。
痛みで、彼女の愛らしい顔が歪んだ。
ちいさな手が赤く染まって、溢れたそれは地面に花びらを散らす。美しく鮮やかな彩りの、紅い花を土に咲かせる。
笑い声が、口から漏れた。……可笑しくて仕方がなかった。
「クククククッ…、あははははははっ!!」
小さな体躯が崩れて倒れる。疲れ果てたような荒い息が、だんだん小さくなっていくのが分かった。
それと同時に、僕の意識がぼやけて、何も考えられなくなって、ただただ快楽と悦楽に浸っていくのも感じていた。
彼女は桜。遠くから見れば色が付いているようだけれど、近くで見ると何色にも染めることのできる真白。……ならばこの純白なキャンパスを、僕は深紅に染め上げる。
花びらを踏み躙って、蹂躙して、深く深く色を刻み込んで――――――壊すのだ。
「万希」
「……………っ!!」
声にならない悲痛な叫びが、耳に心地よい。苦しむ彼女の姿が愛しくて愛しくて……涙が、止まらない。
容赦なく引っ張ったミルキーブロンドの長い髪が、指に絡まった。
「折角だから教えてあげようか、万希。…僕の名前は氷架。決して解けない氷の心で、罪の十字架を背負う者」
罪深い一族の呪われし名だよ、と僕は言う。
左の片手だけで持つ短い刃のナイフの刀身が、ぬらりとひかる赤に染まっている。色鮮やかな花畑に、僕は紅の大きな花を咲かせた。
《この話の設定》
『万希』と『氷架』はそれぞれ「善の一族」と「悪の一族」の次期当主に継がれる襲名。
最初は主人公が、家業を行っている際自分を死ぬ直前まで追い詰めた「正義の味方」を、家主の命令で自らの仇を取りに付け狙う話だった。…なのにどうしてこうなった。
ちなみに主人公も女の子。家の命令で男装したまま育った。