水鏡。
[chapter:変ワリ果テ、滅ビ行ク世界ノ中デ。]
小さく肩が揺らされる。不意にされたその行動で、スミレは目を覚ました。暗い部屋には灯りがないが、彼女には自分を起こした相手の顔がハッキリと見える。
「えっと・・・・・・お早うございます?」
戸惑うようにスミレが言うと、シイナは思いため息をついた。
「まだ夜なんだけど。それってあれか、加合した奴の影響なのか?」
「分からないです、すみません」
シイナの言葉にただ謝るスミレは、他人から見れば怯えているように映る。・・・いや実際怯えているのかもしれない。スミレにとってシイナはあくまでも赤の他人で、危険な外から何故シイナが自分を守ってくれるのか分かっていないのだから。
「・・・・・・まぁ別にいいんだけどな。朝と夜が逆転しようが、今となってはたいして変わんないだろ」
あっけらかんと言い放つシイナに、スミレは再び謝罪をした。
「申し訳ありません、ごめんなさい・・・」
全然会話になっていない会話を続けていた二人は、シイナにとっては夕食、スミレにとっては朝食のご飯を食べる。毛が生えた魚や酸っぱい果物だったが、それでも命をつなぐのには十分だった。
「そろそろ食料が少なくなってきたな、近いうちに調達に行くか」
さっさと平らげたシイナはそう呟いて息を吐く、そしてふと見たスミレはちょうど食べかけの果物を戻したところで、どう考えてもシイナの発言を聞いての行動としか思えない。小さく腹の虫がなく音が聞こえてくるのがその証拠だ。シイナはスミレに笑いかけ、反論を許さない強い口調で言葉を吐いた。
「子供はちゃんと食え?成長したいだろ、遠慮して少食のフリすんな」
「・・・・・・子供では、ないです」
シイナの言葉に珍しく言い返し、スミレは見上げるようにしてシイナをジト目で見る。光の加減では銀色に見える黒髪は、肩より下で真っ直ぐに切り揃えられ、目を隠すように長く伸ばされた前髪も目の下でパッツンに切れていた。そこまではまだ人見知りの女の子として許容されるかもしれない、でも常はその前髪に隠されている金色の目だけは異様だった。そんなスミレの背の丈はとても低い。まだ小学校低学年であろうと思われるその容姿で、子供ではない、という言葉は不適切以外の何者でもなかった。
「これでもわたし、二十を超えている・・・筈なんです。だから、子供じゃありませんっ」
「筈なだけだろ。今の状態はどう見ても子供なんだから諦めろ、本当にそうだったとしてもな」
呆れたように、でも優しい口調でそう言ったシイナは、そのまま後ろに倒れ込んで目を閉じる。寝るつもりなのだと気付いたスミレは、部屋の隅に捏ねてあった薄汚れている毛布をシイナに掛ける。
「お休みなさい、です」
小さなか細い声、それがした後すぐに布の擦れる音がした。毛布を被ったまま移動しているのだろう、目を閉じたシイナにしてみれば、音だけでスミレの状態を知るなんてことお手の物だ。
「冷たい・・・」
夜の風に当たったのだろう、スミレは散歩にでも行きたいんだな、と気づきシイナは目を開いて声をかける。
「あんまり遠くに行くなよ、危ないからな」
行き成り声をかけたことに驚いたのか、肩をビクッと跳ねさせてスミレは恐る恐るこちらを向いた。散歩をシイナが許すとは思っていなかったらしく、固まっているのがわかる。それでもふっと表情が和らいで、次の瞬間にはシイナに向かって笑いかけていた。
「・・・・・・はいっ」
スミレが開いた扉から冷たい風が入ってくる。只でさえすきま風が激しい古屋のため、毛布でさえ寒さ対策にはなりそうになかった。それが悲鳴を上げて閉じられ、廃屋には静けさが戻ってくる。
「あいつは本当に・・・何と・・・」
シイナはボーッとしてきた頭のまま考えようとしたが、己の限界を感じて途中で諦め、襲ってくる睡魔に思考を委ねた。
・・・・・・寒い中、雪の中で遊んでいるスミレの声が、聞こえた。
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笑い声、クスクスと小さく響くそれはとても楽しそうで、それでいて聞いているものに恐怖を感じさせた。『自分以外は居ないはず』とか『こんな風に笑う子供を自分は知らない』と居ないはずのものへ人間は恐怖を覚える。けれども今それを聞いているのはシイナしか存在せず、ここ数日聞いているその声に恐怖なんて感じるはずがなかった。
「スミレ、まだ遊んでるのか・・・」
欠伸を噛み殺し、シイナはようやく布団から這い出す。まだ重い瞼を持ち上げて壊れている隙間から外を見ると、まだ夜が明けきってる訳ではなさそうだ。薄い太陽の光に照らされて、銀色の世界に一人の幼い少女の姿が浮かび上がる。
白いそこまで分厚くない着物を纏い、少女は裸足で庭を駆け回る。寒くないのだろうか、という思考がシイナの頭に最初に浮かんだ。次に街へ降りたときはちゃんとした服を買ってやろう、とその様子を見ていてシイナは密かに決意する。
「あ、シイナさん」
拍子抜けしたような声が掛けられ、そちらを見るとシイナに気付いたスミレが突っ立っていた。さっきまでの楽しそうな様子は何処へやら、一変していつもの泣き出しそうな気弱な表情に戻る。
「あ・・・・・・えっと、起こしちゃいましたか?」
「いや、よく眠れたよ」
驚いたように怖がっているように目をまん丸にしている少女相手に、例え起こされたのだとしても起こるような奴はいない。・・・というかそんな奴がいたら人でなしとしか思えない。シイナは苦笑して体を起こし、固まった身体をほぐす為に大きく伸びをした。
「朝飯にしようか、そしたら今日は一緒に出掛けような」
ニカッと笑顔を浮かべたシイナをキラキラした純粋な目で見て、スミレは身を乗り出す。出掛けるのがそんなに嬉しいのか、浮かぶ笑みを隠しきれないようだった。
「お出かけですか、お出かけですね!・・・楽しみですっ!!」
『出掛ける』だけでこんな反応なのに『スミレの服を買いに行く』と告げたらこの子はどんな反応をするのだろう、そう考えてシイナはほんの小さく微かに声に出して笑い声を立てる。それにまた驚いたような反応をするスミレにどうしたのか尋ねると、気が抜けた声で答えられた。
「意外です・・・・・・シイナさん笑えるんですね」
“いつも笑ってるだろ”とシイナが答えたかったのが分かったのか、スミレは慌てたように言う。
「そうではなくて、えっと・・・いつも何処か本気じゃないような、そんな気がしていたので・・・」
「そうか?」
「はい・・・」
再び不安な表情になったスミレの頭をクシャクシャとかき乱して、シイナはもう一度笑った。
「早く飯にしような、スミレは何が好きなんだ?」
「あ、えっと・・・お肉を・・・」
恥ずかしそうに俯いて言うスミレを見て、意外だったなとシイナは思う。スミレは菜食主義者のように勝手に思っていたのだが、聞いてみなければ分からないものだ、と誰にも聞き取れない小さな声で呟いた。
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地面に散らばるのは建物だったコンクリートの欠片、それに足を取られて転けそうになるスミレを慌ててシイナは支えた。ここまでの道のりでスミレの足が傷んでいることに気づき、歩きにくい道をフラフラと歩いているスミレの体を抱き上げる。
「わっ・・・・・・えっと、あの?」
戸惑ったようにシイナを見上げるスミレの身体は、シイナが予想していたよりもずっと軽かった。あまりの軽さに固まってしまうくらいに。子供はこんなに軽いのだろうか、そう思ってみても不自然すぎる体重は変わることはない。
「あー・・・フード取るなよ?」
流石に本人にそれを言うわけにもいかず、不思議そうに首を傾げるスミレに対し、誤魔化すようにシイナは言って笑いかけた。直ぐに顔を背けたが、さっきの笑顔は自分で分かるくらいに引き吊っていたことだろう。
「はいっ」
そんなシイナの心の葛藤を知ってか知らずか、スミレは素直に真面目に返事を返した。それに満足そうに頷いて、シイナはスミレが被っているフード付きのローブを軽く叩く。
「もし話しかけられても着いていくなよ、これから行くのはそれが命取りになる世界だ」
「・・・・・・分かりました、頑張ります」
シイナの言葉に重々しく答えるスミレだったが、シイナはそれに対し苦笑して聞く。
「えっと、何を頑張るんだ・・・?」
「シイナさんから離れるなって事ですよねっ」
自信たっぷりに元気よくスミレは返答する。伝わってはいるようで重畳、と苦笑したままシイナは呟いた。
「さて、行くぞ。食料と生活必需品のためにっ!」
「はいっ!」
まるでボケているとしか思えない言動をする二人はまだ気づいていなかった。そこは街外れとは言え道があるということ、道があれば人が通るのだということ、通る人は必ずしも良い人だけだとは限らないこと、そんな異様に目立つ二人組をその道の者が逃がすはずがない事を。
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「いつも悪いな、じっちゃん」
礼を言ったシイナを見て、目の前の老人はにこやかに笑う。
長い白髪を蓄えて、髭を編みこんでいるこの老人はこの辺りでは有名な情報屋だ。…そうは見えないのだが。気の良いお爺ちゃん、といった感じのこの人はフォックス爺と呼ばれ、親しまれている。
そして直ぐに気付くと思うが、フォックス……“狐”だ。狸でなかっただけ良かったと思うが、化かされてや居ないだろうかと不安になる。
……いや、私も狐なのだが。
ふと視線を戻すと、シイナは爺の視線がスミレに向いている事に気付き、背後に隠れているスミレを前に手を引いて連れて行く。
「……シイナ、子供が出来たのか…」
「っは!?違っ……」
「いやはや気付かなかったのぅ。そうか、子供が…」
「話を聞け、フォックス爺!!」
しみじみと感慨深げに頷きながら言う、爺に怒鳴ったシイナの服の袖が微かに引っ張られた。そっちを見ればスミレがシイナを見上げたままで、小さく首を傾げている。
……完全に幼い子供だ。
「シイナさん、お知り合い…ですか?」
笑って頷き返してやると、安心したのかスミレは微笑んで、自ら爺と向かい合った。
「スミレ、です。宜しくお願いします、フォックス爺…さま?」
「爺で構わんよ、童」
変わらず、にこやかなままの爺の言葉に、スミレはピクっと一瞬だけ眉を跳ね上げ、微笑みを絶やさずに口を開く。
「……よく判りましたね」
「長年生きているからな」
意味の判らぬ会話、取り残されたシイナにしてみれば、笑顔同士の異様としか言えない光景。
「情報屋は馬鹿には出来ませんね。……まぁ、利用する時には宜しくお願いします」
行きましょうか、シイナさん。と言って手を引く彼女がスミレだとは思えなくて、沈黙したシイナに爺が呟くように言った。
「シイナよ、スミレではなく、童に気をつけよ。“彼女”は長き時で歪みきった」
「……彼女?」
悲しそうな顔をした爺が、最後にシイナの目に、映った。
《この話について》
世界は変わる、中にいる者達を置いて進化していく。
この世界には様々な生き物がいる。人間だったり動物だったり、妖怪だったり。そんな個別の“彼等”はある日を境に壁を失った、『加合』という不可解な現象のせいで。
そうやって二つ以上の生物が混ざった生き物達、彼等の世界は何処へ向かうのだろうか。そんな中に居る、ひとりの少女の物語。(の予定。)
↑というのが、ピクシブにて投稿していたときのあらすじ。
何が書きたかったのかと言えば、少し狂った幼女を書きたかっただけ。
主人公が加合したのは、人間と座敷童と狼。シイナが加合したのは人間と狐神の設定。