第二百二十一話 分離
1
近藤と土方が、伊東の招きで壬生の会所を訪れたのは、次の日の夕刻である。
大坂から京に戻った伊東は新選組の屯所には顔を出さず、壬生村に近い旅籠の一室に身を置いた。
「近藤さんと土方さんが、伊東さんに逢いに行った」
部屋に入って障子を閉めながら藤堂が言った。
「ああ・・」
斎藤が座ったままで振り返る。
「伊東さんは屯所にゃ戻らねぇみてぇだな」
斎藤は、酒瓶から手酌で一口呑むと、少し考えてからつぶやいた。
「伊東さんと行くのも・・悪くねぇかもな」
「あ?」
藤堂が振り返って、首を伸ばす。
「オメェがこっから出るってんなら・・オレも一緒に行くかな」
斎藤のつぶやきを聞いて、藤堂が目を丸くした。
驚きを隠せない顔で見下ろす藤堂の視線から、目を背けるようにして斎藤は酒を呑んでいる。
「・・本気で言ってんのか?」
藤堂が抑揚の無い口調で訊いた。
斎藤は酒の残ったお椀を盆に置くと、おもむろに立ち上がる。
「ああ、長ぇことここにいたけど・・ここらで河岸変えてみるのも悪くねぇかもな」
「斎藤・・おめぇ」
いいかけた言葉が途切れた。
「おめぇ・・ひょっとして」
「なんだ?」
藤堂が親指を立てる。
「コッチ(衆道)の趣味だったのか?」
「あ?」
斎藤がキョトンとする。
「オメェ、もしかして・・オレに惚れてるんじゃ」
言いかけた藤堂の言葉は、速攻で遮られた。
「それ以上言ったら斬る」
斎藤は鯉口に手をかけている。
「いや、だって・・女にも妙にオクテだし」
性懲り無く言い続ける藤堂に、斎藤の表情が険しくなる。
「気色悪ぃこと抜かすんじゃねぇ。・・たたっ斬るぞ、てめぇ」
2
翌日には、隊中に伊東一派分離の一報がかけめぐった。
薫と環も、シンから話を聞いている。
「伊東さんいなくなると、ちょっと困るよね」
「うん。今までみたいに、高級感のあるお菓子食べられなくなっちゃうし」
2人で勝手な不満を漏らしていると、炊事場の戸が開いて、当の伊東が入って来た。
「やぁ。環ちゃん、薫ちゃん。久しぶりだねぇ」
伊東が屯所に顔を見せるのは、実に2ヶ月弱ぶりである。
「あれ、伊東さん?」
「どうしたんですかぁ?」
薫と環が声を上げると、伊東は嬉しそうに顔をほころばせた。
「2人とも元気そうだね」
「はい。ってゆーか・・伊東さん、なにやってるんですか。ここで」
「新選組から分離したって聞いたのに。・・まだいたんですか」
薫と環はごくアッサリしている。
「え?・・いや・・あの」
伊東は少し言葉を濁したが、気を取り直して続けた。
「分離はもう決定だけどね。引き継ぎや申し送りがあるし。荷物だってまだあるしね」
環が思わずクスリと笑った。
「"申し送り"って・・夜勤明けの看護師みたい」
「え?」
「いえ・・なんでもありません」
環はケロリと答えた。
「そーいえば」
薫がふと思いついたような顔をする。
「伊東さん達って、天皇のお墓の護衛するんですか?」
「そ、そうだよ」
伊東がホッとしたように笑う。
「それって、具体的に何するんですか?」
「ってゆーか・・お墓の護衛ってナニ?」
「大してやることなさそーだよねー」
2人で勝手に喋り出した。
「・・いや、色々やることあるんだけどね」
伊東が慌てて話を遮る。
「どんなことですか?」
薫が首を傾げると、伊東が説明を始めた。
「僕等は脱隊するのでなく、目的を新たに分離するのだよ。天皇の陵を守護し、同時に薩摩や長州の動向を探る役目も担うんだ」
「薩摩や長州の動向を探る?」
環がオウム返しに訊くと、伊東が深く頷いた。
「そうだよ」
「それって・・お墓の護衛とあんまカンケー無いような気がするけど」
薫が首をヒネると、環が深く頷く。
「うん・・ぜんぜんカンケー無い気がする」
「えっと・・あの」
伊東はこれ以上言葉が出てこない
この後・・「藤堂、新選組やめるってよ」の続報が、屯所を駆け巡ることになる。
3
次の日、シンが土方の部屋に呼ばれて行くと、斎藤が向かい合わせに座っていた。
「なにか御用ですか?」
訝しそうな顔で入口に座ると、土方が顎をしゃくる。
「入れ」
言われるまま部屋に入って障子を閉めると、斎藤が意味深な顔でシンに目をやった。
(なんだろ?)
・・イヤな予感がする。
「伊東さんが御陵衛士ってのを作ったのは知ってるか?」
土方が袖に腕を入れて首をやや曲げる。
「はぁ」
知ってるどころか・・その行く末も知っている。
「同行するのはもともと伊東道場にいた連中がほとんどだが、ほかにも何人か行くかもしれん」
土方の言葉をシンは黙って聞いている。
「おめぇは今、監察だったな」
「はぁ」
土方が何を言わんとしているのか予想がつかない。
「ここにいる斎藤も・・伊東一派と行くことになった」
土方の言葉を聞いて、シンが思わず顔を上げる。
斎藤はシンの斜め前に座ってるので、表情がよく見えない。
(斎藤さんが御陵衛士・・)
シンは眉を潜めた。
新選組のことにさほど詳しいワケではないのだが・・。
「オメェも一緒に行け」
土方が言葉を投げる。
「は?・・・はぁぁぁーっ!?」
シンは思わず腰を浮かした。
「なんでオレが?」
「斎藤は間諜として御陵衛士に潜り込む。オメェも一緒に行って、いざって時に手足になれ」
膝立ち状態のシンを見上げながら、土方が淡々と続ける。
「お・・お断りします」
シンは座り直した。
「・・なんだと?」
見る見る土方の表情が険しくなる。
「てめぇ、なんか勘違いしてんじゃねぇのか。断る権利も選ぶ権利もてめぇにゃねんだよ」
(ここ・・赤軍派ですか?)
シンは膝の上に目を落とした。
おもむろに顔を上げると、つい言葉が漏れる。
「いや、だって。御陵衛士ってったら、油・・」
(油小路の変で壊滅される)
言いかけた言葉を飲み込んだ。
「・・油?」
土方と斎藤が怪訝な顔でシンを見た。
「・・あの、アブラ・・油揚げ・・買いに行っていいですか?」
無理矢理しぼり出したシンの言葉を聞いて、土方と斎藤が顔を見合わせた。




