第二百十七話 天然
1
「月乃・・」
大助が困り切った顔で見下ろす。
「うっ・・」
月乃は俯いて肩を震わせていたが、突如、顔を上げて手を伸ばすと、大助の髪の毛を横から引っ張った。
「いてっ!」
結構な力で引っ張られて、大助が思わず声を上げる。
大助は同心なのに月代(さかやき)を剃ってない。
中途半端に伸びた髪を、軽く後ろで結ってるだけだ。
「イケズゥッ!ダイスケはんのイケズゥ~っ!」
月乃が大声を上げたので、焦った大助が月乃の口元を手で覆う。
「大声出すな~、人が来んだろ~」
そのまま大助に抱き付くと、月乃が声を上げて泣き出した。
「うっ・うわぁぁ~ん・・えっ・・えっ」
仕方なく大助は月乃を抱きしめて、背中をポンポンとたたいた。
もはやイクメン状態である。
しばらくグスグスと泣いていた月乃がポツリとつぶやいた。
「ダイスケはん・・」
「なんだ?」
「お願いあるんや」
「・・なんでしょー?」
大助がため息をつく。
月乃が大助を見上げる。
「なんもせんでええから、朝まで一緒に寝てぇな」
「あ?」
「一緒の布団で眠ってくれるだけでええから」
泣くのを必死に堪えているような顔を見て、大助はどうにも断ることが出来なくなった。
「・・わーったよ」
そう言って膝をかがめると、月乃の身体を抱き上げる。
お姫様抱っこでなく、子どもを抱き上げるように腕に横座りさせて持ち上げた。
低い天井に頭をぶつけないよう、月乃が慌てて身体を倒して大助の首に掴まる。
その恰好で部屋の中央まで進むと、赤い布団の上に月乃を下ろした。
大助は着物を着たまま、ゴロリと横になって手を頭の後ろに組む。
「ホラ、おめぇもさっさと横になれ」
月乃は嬉しそうに頷くと、大助にピタリとくっついて横になった。
「・・あんま、くっつくな」
大助の言葉を全くに意に介さず、月乃は大助の胸に顔をうずめている。
ハァーッ・・
思わずため息が漏れる。
(これ、ゴーモンかもなー・・)
何もせず・・ただ好きな人と眠りたいという女子の願望は、オトコには理解できない心理なのだ。
2
ゴーモンのような夜を過ごして、大助は晴れて自由の身になった。
花札で負けた分は、夕べ一晩の添い寝でチャラということにしてもらったのだ。
翌日、仕事の合間をみて新選組の屯所へ向かう。
見舞いと看病のお礼のためだ。
心太(ところてん)を手土産に持っている。
(※意外だがトコロテンは冬場が旬)
いつも通り顔パスで門をくぐると、炊事場に向かった。
すると・・ちょうど薫が戸を開けて出て来た。
「お、薫ちゃん」
声をかけられて、薫が顔を上げる。
「あ、井上さん」
持っていた大根を足元に置いた。
「ひどい風邪ひいたって聞いたけど、快復したんですね。良かったぁー」
薫はミツのことを考えて、診療所に顔を出すことはしていない。
「ありがとよ。環ちゃんは?」
大助が首を伸ばして、炊事場の方に目をやる。
「病気の時にゃ、かなり迷惑かけちまって」
「いま、洗い物屋さんに行ってます」
「洗い物屋?」
「はい」
薫が頷く。
「このところ、ちょくちょく」
「そんなに洗濯モン溜まってんの?」
大助が首を傾げた。
「なんか色々教えてもらってるらしいです、汚れ落としの秘訣とか。すぐ近くだから」
「ふぅーん・・礼言おうと思ったんだが、いねぇなら仕方ねぇや」
大助はポリポリと頭を掻く。
「総司と源のオッサンはいるか?」
「まだ見廻りから戻ってないです」
「そっか・・仕方ねぇな」
そう言って、トコロテンの入った風呂敷包みを差し出した。
「これ夕飯にでも出しといてくれ」
「はい。あーっ、トコロテンですねー。ありがとうございます」
包みを受け取ると、薫は重そうに胸に抱えた。
(やっぱ三杯酢に生姜かなー)
「んじゃ、また来るわ」
大助が門の方に踵を返す。
後姿を見送りながら、薫はふと思った。
(けど・・洗い物屋でそんなに習うことってあるのかな?)
3
『茜屋』の板の間に、瓶が並んでいる。
「これがサイカチのさや。ムクロジと同じで、水につけて擦ると汚れが落ちるんだ」
茜が蓋を開けて、1つつまんで見せた。
「あと、オシッコも洗い物に使える」
茜がイタズラっぽい口調で言うと、環が眉間にシワを寄せる。
「オシッコって・・オシッコですか?」
「そ。オシッコを発酵させたものを薄めて使うんだ。毛皮や絹織物が傷まないからね」
茜は優しい声で説明する。
(アンモニア水のことかな?)
環は脳の引き出しを開けたり閉めたりしていた。
ここのところ、三日に空けず『茜屋』ののれんをくぐっている。
・・『茜屋』の主人は不思議な人物だった。
見た目は中学生くらいに見えるが、実年齢はもっと上だろう。
知識が豊富過ぎる。
茜の知識は広範囲に渡っていた。
商売以外のことでもなんでも良く知ってるし、どうやら色々な土地に行ったこともあるようだった。
環は、おそらく自分よりぜんぜん年上だろうと思っている。
超童顔の甘メンの外見と裏腹に、内側から醸し出す雰囲気がどこか冷め切っている。
(いったい、いくつなんだろ?)
年を訊くのは失礼な気がして、口に出せない。
「あとねー。"キレイになーれ、キレイになーれ"って唱えながら洗うと、汚れがキレイに落ちるよ。オレの奥義ー」
茜は無邪気な笑顔を浮かべる。
「・・・」
環は黙ったままだ。
茜は天然キャラだが、環は養殖だと疑っている。
本物のド天然にしてはスキが無さ過ぎるからだ。
そう・・茜には全くと言っていいほどスキが無かった。
環が茜屋に足を運ぶのは屯所から近いせいもあるが、それよりこの不思議な主人に興味があった。
老成した大人が少年の姿を借りてるような、奇妙な違和感に惹かれる。
環がふと顔を上げると、至近距離に茜の顔があった。
「わっ・・」
唇が接触事故を起こすほどの近距離に驚いて思わず声を上げると、茜が身体を反らして環の背後に手を伸ばす。
環の後ろに置いてある布を引っ張って手に取ると、ニコリと笑った。
「どうしたの?そんなビックリ顔しちゃって」
「えっ?・・あ・・いえ、なにも」
身体から一気に力が抜ける。
時々・・こうゆうことがある。
茜屋に来ると、環はいいようにからかわれてしまうのだ




