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第二百十四話 激昂


 沖田は空になった湯呑を盆の上に置いた。

 「もったいねぇと思ってさ。気立ても器量も良いのに」


 ミツの顔から表情が消える。


 「腕に覚えのあるオトコなんて良いとこねぇぞ。戦に出て死んじまうからな」

 沖田はもうひとつの湯呑を手に取って、ズルズルとお茶を飲み始めた

 「働きもんで家を大事にするヤツが一番良いオトコなんだって、姉ちゃんが言ってたし」


 「・・・」

 ミツは黙ったままだ。


 沖田がふと顔を上げると、ミツの目から涙が溢れているのが見えてギョッとする。


 「え?・・あ」

 驚いて湯呑を落としそうになるのを慌てて抑えた。

 「・・っと」


 ミツは涙を流しながら・・明るい笑顔を浮かべている。


 「おミツちゃん」

 言いかけた沖田の言葉に、カブせるようにミツが明るい声を出した。

 「沖田はん、お煎餅食べへん?」


 「え?」

 「先だってもろたお煎餅、まだあんねん。ちょっとシケてるけんど・・お醤油染みて美味しいんや」


 ミツは・・ニコニコ笑っている。

 しかし、ダラダラと涙が流れ続けていた。


 泣いているのに・・口から発する言葉がごく普通のありふれた会話なのが、ものすごく違和感があって、沖田は上手い言葉が出て来ない。

 「おミツちゃん・・」


 「持ってくんね。待っとって」

 ミツが立ち上がる。


 板の間から下りるミツの背中を、沖田は半ば呆然と見ていた。


 すると・・

 玄関の戸がガラガラと開いて、環が入って来る。


 炊事場に向かうところだったミツとバッタリ出くわした。


 「あ・・おミツさん・・」

 挨拶しかかった環の言葉が途切れた。

 「・・え?」


 ミツの涙が目に入った途端、足が止まる。


 「あ、環はん」

 ミツが慌てて顔をこすった。

 「こんにちは」


 そそくさと炊事場に姿を消すミツの背中を、驚き顔のまま見送る。

 奥の方に視線を移すと・・沖田がキマリの悪い顔つきで座っていた。


 つまり・・ミツが泣いているのは、沖田と何かあったせいに違いないという答えに行きつく。


 環は小さく拳を握りしめて、フルフルと肩を震わせた。

 「こんのぉ・・」


 「あ?」

 沖田が座ったまま首を傾げる。


 「不届き者っ!」






 突然、環が大声を上げたので、沖田は驚いている。

 「・・なんだよ?」


 「なんだよじゃないでしょう!?いったい、どんな狼藉を働いたのよ。おミツさんに」

 環がいきり立つ。


 江戸時代に来て長いせいか、言葉使いがなにやら時代錯誤調になっている。


 「不届き者だの狼藉だのって・・オメーはお奉行様か」

 沖田がアホらしそうに横を向いた。

 「別になんもしてねぇよ」


 「なんもしてなくて、なんで女の子が泣くんです。しらばっくれないでください」


 「しらばっくれてねーよ・・ったく、っぜーな」

 沖田は面倒くさそうに言い返した。


 環はノシノシと歩いて、大股気味に板の間に上がり込む。

 お嬢様育ちなのに、怒るとお行儀が悪くなる。


 沖田の前に座り込むと、下から睨み上げた。

 『アンタがなんかしたんしょーが』という顔だ。


 「お?なんだよ。まさかオレに喧嘩売ろうってのか?笑えるー」

 沖田は茶化した口調で、しかも上から目線だ。


 「笑い事じゃありません!」

 環は真剣そのものである。

 「おミツさんは・・」


 「・・なんだよ?」

 「だから・・おミツさんは」

 (沖田さんのこと・・)


 そのまま言葉が途切れた。


 (言えない、おミツさんがどれだけ本気かなんて・・わたしが言うことじゃないよ)

 環は思わず俯いた。


 「・・なんだよ?もう終わりか?」


 「この・・~~~クス」

 環が俯いたままボソリとつぶやく。


 「あ?」

 「アホノミクス!」

 「はぁー?なんだよ、それ」


 「沖田さんみたいな人のことです」

 環がスックと立ち上がった。


 クルリと踵を返して、板の間から降りる。

 またしても大股気味で炊事場に向かった。


 残された沖田は呆気にとられた顔でつぶやく。

 「イミ分かんねぇけど・・多分、悪口だな」


 この場合・・環も言葉の使い方を間違えている。






 炊事場に入ると、ミツが菓子皿を膝に載せてチョコンと座っていた。


 「おミツさん・・」

 環が声をかけると、ミツが顔を上げる。

 もう涙は乾いていた。


 「環はん」

 ニッコリ笑って立ち上がる。


 「お煎餅持ってこうと思うたんやけど」

 菓子皿には煎餅がキレイに並べてある。

 「なんや、環はんと沖田はん・・楽しそうやったから、入ってけんかった」


 「は?」

 環は驚いた。

 「楽しそう?」


 「うん」

 ミツがコクリと頷く。

 「うちには、沖田はん・・他人行儀やし。あんな自然にしてくれんもん」


 「それは・・」


 (それは・・おミツさんがちゃんとした女の子扱いされてるからじゃないでしょうか?)

 環は心の中で推察した。


 「子ども達といる時とおんなしやった。沖田はん、環はんには無防備なんやね」

 ミツが笑いながらつぶやく。

 「なんや、うらやましいなぁ」


 「え~と・・」

 環は上手い言葉を探した。

 「わたしも薫も・・沖田さんから剣術教えてもらってるんで、師弟関係みたいなもんです」

 (な・・何言ってんだろ?)


 「薫はん?」

 ミツが首を傾げる。


 「あ、え~と・・友達です、わたしの。屯所で同じ部屋にいる」

 環が慌てて説明した。


 「屯所?」

 ミツはふと思い当たった顔をする。

 「あ・・」


 ミツは以前、何度か薫と顔を合わせていた。


 「そん人・・うちのこと助けてくれた人や」

 ミツが少し辛そうに言葉を詰まらせる。

 「うちが川に入った時に・・」


 「あ」

 環も思い当たった。

 (ど、どーしよー・・思い出させちゃったかな)


 環が焦っていると、ミツが声をかけてくる。

 「助けてもろたお礼もせんまんまや。良かったら今度・・薫はんココに連れて来てぇな」


 ミツの笑顔を見て、環はホッとしたように頷いた。

 「あ・・はい」




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