第二百九話 出立
1
「良い魚が釣れそうかなぁ~」
茜が座敷の上がり口に腰をかけると、後ろに拾門がしゃがみこむ。
「大当たりだぜ。あの娘・・幹部が可愛がってる」
「へぇ」
茜が面白そうな顔で、環が出て行った戸口の方に目をやった。
拾門の後ろに立っている一二三が柱に手をかける。
「沖田たちのことなら、伊東よりさっきの娘の方が情報量多いかも」
「まだ幹部狙ってんのー?」
茜が上を向くと、一二三は柱に身体を持たせていた。
「さすがにもう無理。オレたち面割れてるし」
茜がクスクス笑う。
「お前らさぁ、殺しなんてシンドイ仕事いつまでやってる気ぃ?」
一二三が立ったまま目線を下げる。
「散々、あちこちで狩りまくってた茜ちゃんに言われたくないね。獲物を真っ赤に染める、茜ちゃん」
「オレもう、そーゆーの止めたの。今はただの情報屋だし。平和なもんだよぉー」
茜が背を丸めた。
「雇い主は薩摩の中村あたりだろ」
一二三が訊くと、茜が首を傾げる。
「さぁねぇ~」
「中村は自分が人斬りだからな。わざわざ殺しを他人に頼む必要ねーんだろ」
拾門が言い放つ。
「中村さん、ああ見えて情が深くて良い人よぉ。何言ってんのか分かんない時が多いけどね」
茜が笑いながら拾門を見上げた。
「伊東は知ってんの?茜ちゃんの正体」
一二三が訊くと、茜がクスリと笑う。
「知ってんじゃないの?薄々。オレんとこ紹介したのは薩摩藩だし。気付かないふりしてるけど、なにげに屯所のことポロポロ話してくよ。あのオッサンも、けっこうタヌキかもねー」
「伊東は新選組から離脱する気だな」
拾門が腕を組んで戸口に目をやった。
「土方が黙ってねぇだろ」
「伊東は、ああ見えて人を使う腕があるみたいよ。上手いこと立ち回るんじゃない?」
茜は薄笑いを浮かべて、首をすくめる。
2
茜屋の童顔の主人は、一二三と拾門が江戸にいた時の仕事仲間である。
忍びを生業とする同業者の中でも、茜は腕が立つので名を知られていた。
その茜が、軽業小屋を抜けた一二三と拾門の前にフラリと現れ、一緒に仕事をしないかと持ち掛けて来た。
茜は一匹狼の暗殺者なのだが、情報屋の仕事を請け負って、仲間を探していたらしい。
何度か一緒に仕事をしたが、その後フラリと姿を消した。
それきり逢っていなかったのだが、今度は京の町で再会したのだ。
「にしても・・相変わらず2人でツルんでんだね」
茜が白湯をすする。
3人で板の間に座り込んで握り飯を食べている。
おかずはたくあんのみの質素な飯だ。
「拾門もよくやってるよ。一二三のお守りは大変だろーに」
茜の言葉に、一二三が不機嫌に反応する。
「お守りってどーゆーイミだよ?」
「一二三は自殺願望強いからさー。一緒にいたら命がいくつあっても足んない」
握り飯にパクつきながら、アッケラカンと言った。
「だからオレ、付き合いきれなくなったんだもん」
「茜ちゃんが命を大事にしてるとはね」
一二三は無表情にパクつく。
「なんでよ?人生一度っきりよ。大事じゃん」
茜が大きな眼をさらに見開いた。
「へっ」
今まで黙っていた拾門が、食べ終わって口を挟む
「オレたちが殺してきたやつらも、一度っきりの大事な人生だったろーよ」
「だろーね」
茜はアッサリしたものだ。
「まー、もうオレはただの情報屋だからさぁ。ご隠居みたいなもんよ」
中学生のような顔で、ご隠居宣言である。
「そう言えば・・土佐の谷干城が京に入ったみたいねー。前の天皇が亡くなってからもー、あっちこっちで動き出しちゃって」
茜はまるでオジイチャンのように、湯呑を両手に持った。
「京の土佐藩邸は、乾(いぬい)を筆頭に倒幕派の巣窟になっちゃってるし。国元のおエライさん方は気付いてないんだろーけど」
「薩摩・・長州・・土佐か。幕府の命も風前の灯火ってやつだな」
拾門が首をコキコキと鳴らしながら、どーでもいいと言う風につぶやいた。
3
伊東たちが九州に出立した。
名目はあくまで西国の視察と戦況の確認である。
「ふん」
伊東たちを見送った後、土方がつぶやく。
「何考えてるか分かってんだよ・・」
後ろに立っている藤堂は何も答えない。
隣りで斎藤が冷めた顔つきで腕を組んでいた。
「平助」
土方に声をかけられて、藤堂が顔を上げる。
「はい」
「おめぇ、気持ちは定まったのか」
「・・っ」
土方は軽い口調だが、藤堂は拳を握りしめる。
「オレぁ・・」
「らしくねーな、フラフラしやがって。魁先生」
土方はそう言い残して、玄関の方に踵を返した。
土方の背中を見送っていた斎藤が息をつく。
「伊東さんが戻って来た時にゃあ、白黒ハッキリさせなきゃなんねぇだろ。どーすんだよ、おめぇ」
「わからねぇ」
「・・・」
ふと見ると・・玄関から薫が顔を出している。
「斎藤さん、藤堂さん。お昼ごはん冷めちゃいますよー」
「いま行く」
藤堂が応えると、その後に斎藤が続いた。
「今日の昼飯なんだ?」
「お2人の好物の卵チャーハンです。あとお吸い物」
薫が人差し指を立ててニコニコ答えると、藤堂と斎藤がなんとなく黙り込んだ。
「ここ離れたら・・食えなくなっちまうな」
藤堂がつぶやくと、斎藤が横目で見る。
「そりゃ・・しゃーねーだろ」
「どうしたんですか?2人とも」
薫が不思議そうに訊くと、斎藤と藤堂が同時に答えた。
「なんでもねぇ」




