表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/127

第二百八話 茜屋


 その後、なかなか屯所にいない伊東をみつけて、洗い物屋の場所を教えてもらえたのは、それから一週間後だった。


 「ここだよ」

 伊東が案内してくれたのは、意外にも屯所からほど近い町角の、小さな店構えの古い建物だ。


 「ごめんよ」

 伊東が『茜屋』と書かれたのれんをくぐると、奥から声がかえってくる。

 「はーい、いらっしゃいませ」


 現れたのは、クリクリした眼の可愛い男の子だった。


 「あれぇ、伊東さん。おひさしぶり~」

 やけに明るい口調でノリが良い。


 「茜ちゃん、元気そうだね。商売繁昌かい?」

 伊東が袖に腕を入れて、にこやかに訊いた。


 (アカネちゃん?)

 女の子みたいな呼び名に環が驚く。


 「ぼちぼちでんなぁ~・・なーんちゃって」

 茜と呼ばれた男の子が、環の方を見た。

 「あれぇ、伊東さん。今日は随分と可愛い彼女連れてるね」


 「いやぁ~、彼女だなんて。テレるね」

 伊東が相好を崩すと、隣りの環が眉間にシワを寄せる。

 (・・誰が彼女だって?)


 「わたし、伊東さんの彼女じゃありません」

 愛想もクソも無い口調で環がボソリとつぶやくと、茜が驚いた顔で大きな目をさらに見開いた。

 「あれぇ、伊東さん。フラれちゃったねー」


 伊東はわざとらしく肩をすくめると、冗談混じりに答える。

 「そーなんだ。片思いなんだよ、僕の。淋しいよねー」


 冗談でも、あまりの寒さに環は一瞬ゾワッとした。

 (やめてよね・・)


 「茜ちゃん。このコ、環ちゃんっていうんだけど。シャボンのことを知りたいらしい。なにか知ってたら教えてあげてくれないか」

 伊東の言葉を聞いて、茜が小声で訊き返した。

 「シャボン?」


 「ああ」

 伊東が頷くと、環が言葉を続ける。

 「シャボンとかセッケンとか、聞いたことありませんか?」


 「・・あるけど、貴重品過ぎて生は見たことないよ」

 茜は興味深そうに環の方を見た。


 「そ、そうですか・・」

 環はガックリと肩を落とす。

 (やっぱり・・貴重品なんだぁ~)





 「どうする?環ちゃん」

 伊東が声をかけてきた。

 「僕は旅の仕度があるから、もう屯所に戻らないと」


 「伊東さん、どこかにご旅行ですか?」

 茜が訊くと、伊東が顔を上げる。

 「仕事だよ。久留米にね」


 「へぇー、えらい長旅ですね。お気をつけて」

 茜の言葉を聞いて、伊東が頷いて踵を返した。

 「邪魔したね」


 伊東に続いて環もペコリとお辞儀をすると、茜の声が追いかけて来る。

 「シャボンを探してどうするの?」


 「どうって・・自分で作ってみようかと思って」

 振り返った環が答えると、茜が面白いものを見る顔つきで笑った。

 「自分でぇ?そりゃすごいけど・・作ってどうするの?」


 「そりゃ・・身体の汚れとか傷口とか色々・・キレイに洗えればいいなって」

 環が素直に答えると、茜が首を傾げる。

 「シャボンじゃなくても、洗えるものあるけど」


 「炭とかですか?」

 環が肩をすくめると、茜が首を振った。

 「ムクロジの実やサイカチのさやを使うと、汚れがキレイに落ちる」


 環が足を止めると、前に立っていた伊東が困ったような顔をした。

 「環ちゃん。悪いが先に戻ってもいいかい?」


 「あ、はい。大丈夫です。一人で」

 ここは屯所から近いので、一人でも帰りに襲われることは無いだろう。


 伊東がいなくなると、環は茜に手招きされて、狭い店の奥に入った。

 様々な瓶が所狭しと棚に並んでいる。


 そのうちの一つに茜が手を伸ばした。

 幼いコドモのような顔だちに反して、意外に茜は背丈がある。


 「ホラ、見てみて」

 茜が瓶の蓋を開けて、中から丸い果実を1つ取り出した。





 「手ぇ出して」

 カーキ色の実の中にある黒い種を指で押し出すと、残った果皮を環の手の平に載せて、さらに水をつけた。

 「両手でこすって」


 やってみると・・手の平に白い泡が立ち、まるで石鹸で洗ったような洗い上がりだ。


 「これ・・」

 環が驚くと、隣りで茜がニコニコ笑っている。

 「これはムクロジの実だよ」


 環は自分の手の平をマジマジとみつめた。


 (泡が立つってことは、サポニンが豊富に入ってるってことだよね)

 サポニンは、天然の界面活性剤である。


 その後、色々な汚れ落としの技術を、茜は惜しむことなく環に教えてくれた。


 「ありがとう。すっごい勉強になりましたー」

 環は、ムクロジの実を入れた小瓶を手に持っている。

 茜が譲ってくれたのだ。


 「どういたしまして。でも、タダは今日だけだよ。次からはちゃんと注文ちょうだいね」

 茜が笑いかけると、自然に環も笑顔を返す。

 「分かってます。屯所に戻ったら頼んでみますね」


 「まいどあり」

 茜に見送られ、環が玄関から出ようとすると、後ろから声をかけられた。


 「さっきシャボンって言ってたけどさ。多分それ・・洗い物屋の範疇じゃないよ」

 茜は優しく笑っている。

 「医療品だと思う」


 「医療品・・?」

 意外な盲点で、環は驚いた。

 (そっか・・そう言えばそうかも)


 衛生や消毒に一番身近な職業は医療分野である。


 「ありがとう」

 (良い事聞いちゃったー)


 環がいなくなると、店の一番奥から茜ではない男の声がした。


 「茜ちゃん、相変わらず女の子と友達になるの上手いね」

 棚の影から出て来たのは・・一二三(ひふみ)だ。


 「オレ、警戒心抱かせないもーん。拾門(ひろと)みたいに、ね」

 茜が後ろを向くと、影からもう一人男が出て来た。


 「ふん・・警戒心抱かせねぇなんて、男じゃねーよ」

 拾門である。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ