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第二百七話 年が変わって


 賭ケノ貸シ、イツ、オ支払イタダケマッカ

 オ約束果タシテイタダキタク筆トリマシタンエ

 オ返事オ待チ申シアゲトリマス  月乃



 「・・督促状?」

 沖田がつぶやく。


 大助が横を向いてため息をついた。


 実は・・あれきり大助は祇園に足を運んでいない。

 避けてるわけではないが、呑みに行く機会が無いのと、わざわざ足を運ぶ気力が無いせいだ。


 それに・・月乃と床入り部屋で二人きりになったら、次は手を出さずにいられる自信が無い。

 女性不信でも身体は普通の男子なのだ。


 大助は同じ女と重ねて枕を共にすることはしないと決めている。


 「その文(ふみ)のおかげで上から呼び出し食らうし・・踏んだり蹴ったりだぜ。ったく」

 大助が困り顔でつぶやく。


 奉行所に届く文書は私文・公文を問わず全て検閲される。

 役人宛ての個人的な文も当然、上の方で目を通している。


 「オレが賭場に出入りして、借金で首回んねぇって噂になってるし」

 どうやら完全に誤解されてるらしい。


 大助が息をついた。

 「普通、遊女が客にこんな文出すか?」


 姉貴分の初音が普通の遊女じゃないので、妹分の月乃もそれに習ってしまうらしい。


 月乃は大助が好きなので、おそらくは一生懸命書いたものだろうが、初音の指導の賜物で、こういった脅迫的な文面になっているのだろう。


 「まぁ・・珍しっちゃ珍しいけど、おもしれぇんじゃねーの」

 沖田は他人事なので、クスクス笑っている。


 「・・なにがおもしれーんだよ、ったく」

 大助は忌々しく横を向く。


 「お楽しみのツケってやつだ」

 沖田が文を畳んで、大助の前に置いた。

 「借りたもんは返さねぇとな」





 翌日、薫は年が変わってから初めて菱六に行った。


 「あけましておめでとうございます」

 「おめでとうさん」

 「薫ちゃん、久しぶりやな」


 薫は菱六の職人さん達と顔馴染みになっている。


 声が聞こえたのか、奥から七郎(ななお)が顔を出した。

 「おう、薫やないか。おめでとうさん」

 挨拶しながら土間に降りて来る。


 「あけましておめでとう。早速だけど、美味しいお屠蘇の作り方教えて欲しいんだけど」

 挨拶もそこそこ、薫はいきなり本題に入った。


 「お屠蘇?」

 「うん」

 「なんや・・今度は酒かいな。簡単やで、お屠蘇作んのなんか」


 七郎が腕まくりする。

 ファァ~と欠伸しながら、首をコキコキと鳴らした。


 「どしたの?寝不足?」

 「あん?そや・・ゆんべ若旦はんの御好意で、職人みんなで祇園に飲みに行ったんや。天皇はんも即位したしな、お祝いや」

 七郎は少し目が赤くなっている。


 「お酒臭い。・・呑んだの?」

 「おう」


 「ええ~」

 意外だ。

 七郎は年若い上に童顔なので、お酒を嗜むようには見えない。


 「当たり前やないか。麹屋の職人が酒呑めんわけないやろ」

 「あっ・・そっか」


 「しっかし、祇園の芸娘はやっぱちゃうわ。天女みたいやったなぁ」

 七郎がホワンとした顔でつぶやく。


 「芸娘さん?」

 「ああ。若旦はん気に入りの初音はんも凄い別嬪やったけど。妹分の月乃ゆう娘が・・それこそ月から舞い降りたみたいな可愛らしいコやったんや」


 「初音・・月乃・・」

 (どっかで聞いたよーな・・)


 薫は首を傾げていたが、突如、思い出したようにつぶやいた。

 「あ・・湯屋で会った2人」


 「なんや?」

 七郎が不思議そうに訊くと、薫が口籠る。

 「う、ううん。なんでもない」


 (月乃さんって・・井上さんに全力で抱き付いてた人だよね)





 環の方も、年が明けて初めて南部診療所に行った。


 「あけましておめでとうございまーす」

 環が挨拶しながら戸を開けると、奥に座っていた南部が立ち上がって迎えに出て来る。

 「おう、環ちゃん。なんがひさしぶりじゃなぁ。あけましておめでとう」


 南部の後について奥に入ると、座敷のいたるところに本が散らばっている。

 足の踏み場も無い状態だ。


 「先生、どうしたんですか?」

 「いや・・どうせ正月中やるごどもねしな。ずっと本読んでらったんだ」


 見ると、どうやらほとんど医学書のようだった。

 環も江戸時代の文字はかなり読めるようになっているが、さすがに専門書は難し過ぎる。


 「あ」

 一冊の本に目を止めた。

 手に取ってみる。


 タイトルは『貝原養生訓』

 (※貝原益軒『養生訓』/全八巻)


 この本は、雨宮の父の書斎にも原書が置かれていた。

 医学書というより人生の指南書なのだが、身体の養生の他に心の養生が必要であることが説かれてある。


 江戸時代の医者と平成時代の医者が、同じ本から吸収していることがあるのだ。


 環がパラパラとめくってみると、南部が声をかけてきた。

 「なんじゃ、環ちゃん。いがったら持っでっで読んでみるが?」


 「いえ」

 環は困ったように笑った。

 (原書じゃ・・さすがに読めない)


 実は、口語訳された現代版は図書館から借りて読んだことがあった。

 おおまかな内容は知っているが、かなり噛み砕かれて初心者向けにリニュアルされたものだった。


 (もっと漢文や古文の勉強しとけば良かったなー)

 小さく息をつく。


 「んだなぁ。んじゃオレが少しずつおせでぐが(教えていくか)」

 南部がニコニコ笑いながら提案した。


 環は顔を上げると、コクリと頷く。

 「はい」


 (南部先生って・・なんだかちょっと雨宮のお父さんに似てるなぁ)




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