第二百五話 立ち聞き
1
「シンっ、いきなりおどかさないでよ」
薫と環のブーイングを受けても、シンは冷めた顔で突っ立ったままだ。
「伊東さん、九州行くの?」
環が見上げて訊くと、シンが頷いた。
「らしい」
「何しに?」
薫が訊くと、シンがわずかに首をヒネる。
「さぁ・・なんか用事あんじゃねーの」
(そりゃ・・そーでしょーよ)
毎度のシンのマダラ情報に、ゲンナリ息をついた。
シンが土間に降りてきて調理台の上に目をやる。
「なんか食うモンない?朝飯食いっぱぐれた」
「んじゃ、おむすび握ったげる」
薫が今朝擦ったばかりの鰹節にお醤油をかけて、おかかの握り飯を作り始めた。
「どこか行ってたの?」
環が急須にお湯をそそぐ。
「東御役所。土方さんの書状届けに行ってた」
シンが板の間に腰を下ろして足をブラつかせる。
「ふーん」
環が相槌を打つと、薫が握り飯を2つ皿に載せて差し出した。
「はい」
「お、サンキュー」
モソモソと食べ始める。
環がお茶の入った湯呑を手渡すと、隣りに腰を下ろした。
「シンって・・どんな仕事してんの?今」
「え?」
一瞬、顔を上げると、アッサリと答える
「パシリ」
なんだか、"生涯パシリ"宣言"という感じだ。
シンは今、監察方の仕事をしているが実態は雑用係に近い。
監察方は諸士取扱役を兼任しており、隊内の動向を探るほか、捕縛した浪士の取り調べを行っているが、最も重要なのは各藩の動向を探る密偵である。
他隊とは全く違う別動隊であり、全て土方の指示で動く。
シンは背が高すぎて(人目を引くので)密偵に向かないが、使いっ走りとして重宝がられていた。
有能な雑用係は必要不可欠だし、口が堅いのが高ポイントである。
「シンって、やりたこととか無いの?」
環が真面目な質問をぶつけたので、シンが一瞬、目を見開く。
何も答えず、無言で握り飯にパクついていたが、食べ終わるとポツリと言った。
「無い」
2
「なんにも無いの?」
環が呆れた声を出すと、シンが無表情に頷く。
「うん」
薫と環が目を見合わせた。
20才の男子が何にもやりたいことが無いなんて・・あまりにも夢が無さすぎる。
「元の時代では、将来なんになろうと思ってたの?」
薫が訊くと、シンが顔を上げた。
「教授の助手」
「教授って・・赤鬼の?」
「うん。教授の手足になって働いて、育ててくれた恩を返したいと思ってた」
"パシリ体質"というより、そもそも"パシリ願望"だったらしい。
「だから被験体にもなったんだ」
「え?」
「ワームループの被験体のことだよ」
シンが空になった皿を脇に置いた。
「希望者が少ないんだ。・・アレは危険だから」
「ああ、そういえば」
環が思い出した声を出す。
「前にも言ってたよね。タイムワープは危険だから実用化になってないって」
「うん。開発されて20年近く経っても、ずっと試作のままだよ。臨床例が少ないせいなんだけど」
茶をすすって一息つくと、説明を始めた。
「ワームループの座標計算式は不安定解とされている。だから、どれほど精度を上げても、事故が起きる可能性が無限という解釈になるんだ」
「事故って・・あたしたちみたいなこと?」
薫が訊くと、シンが曖昧な表情をした。
「う~ん・・今回のは、事故かどうかは分からないけど。事故っていうのは・・全く違う座標空間に転位してしまうことだよ。つまり・・違う時代の違う場所かもしれないし、地球以外の星の可能性もあるし。宇宙空間や四次元みたいな亜空間に繋がる可能性もある」
薫と環は顔を見合わせる。
では・・自分たちはとんでもない危険な体験をしたことになる。
放り出されたのが、同じ地球上の江戸時代の京だったのはむしろラッキーだったのかもしれない。
「やだ、怖ーい。下手したら死んじゃうじゃん」
薫が小さく声を上げた。
「だから、被験者の成り手が少ない。研究チームの中に希望する学生はいるけど、未成年者は親権者の同意が必要だし、成人でも適正検査で落とされることがある。結果的に、臨床例の絶対数が少なくなるから・・理論上の精度を上げても、それをなかなか立証出来ないでいる」
3
「そんなに危険なのに、どうして」
環がつぶやいた。
「どうしてだろうな・・大昔からタイムワープは、科学者の・・人類の夢だったから」
シンが言いかけて、ふと顔を上げた。
立ち上がって、戸口の方に歩き出す。
引き戸の隙間に手をかけて開けると・・大助が立っていた。
「井上さん!」
薫と環が声を上げる。
「井上さん・・いったい、いつからそこに?」
シンが低い声で訊いた。
「いま来たばっかだぜ。なんか、深刻に話し込んでるみてぇだったから」
寒そうに袖に腕を入れている。
「う~・・早く中に入れてくれよ」
言いながら、シンを押しのけるように炊事場に入って来た。
「また降って来やがったぜー」
大輔が頭を振ると、髪の毛についた雪がホロホロと零れ落ちる。
「総司のヤツいるかぁ?年変わってから会ってねぇからな」
どうやら新年の挨拶に来たらしい。
「土方さんに呼ばれて、部屋で話してるみたいですけど」
薫が答える。
見ると・・大助は勝手に自分で急須に薬缶の湯を注いでいた。
「そっか。んじゃ、ちっと待たせてもらうぜ」
湯呑に自分でお茶を淹れると、ゆっくり飲み干す。
「あちっ。う~、少しはあったまったかなぁ」
3人の方を眺めると、ふとつぶやいた。
「おめぇら・・そうやって並んでると、なんか似た感じだよな」
「え?」
環が顔を上げる。
「背がデカくて妙に色白で・・髪も爪も、磨いたみてぇにピカピカで」
大助の言葉に3人が顔を見合わせる。
確かに、江戸時代の人に比べると・・食べてきたものも生活の過酷さも、まるで違う環境で育ってきたので、骨格そのものから異質かもしれない。
「ところで・・」
大助が空になった湯呑を、洗い場の台に置いた。
「"たいむわーぷ"ってなぁ、なんだ?」




