第百九十三話 温石
1
1月2日、朝。
朝餉に起きて来たのは、土方と沖田の2人だけだった。
土方は夕べ、門限前に屯所に戻ってきていたが、そのまま自分の部屋に直行した。
近藤も土方も酒に強くないので、底なしの酒豪たちには付き合えない。
「夕べ、随分遅くまで騒いでたようだな」
味噌汁をすすりながら、土方が訊いてくる。
「あー・・みたいっすね」
沖田はファァーと、猫みたいなアクビをする。
「オレぁ、寝ちまってたんで」
「新八のやつ、放っときゃ朝まで呑むからな」
土方がたくあんをつまんだ。
「新八っつぁん、いませんでしたけど」
「あ?なんだ、どっか行ったのか」
「島原」
沖田が茶をすする。
「伊東さんに招ばれて・・斎藤も」
シンは頭数に入れてない。
「・・なんだと?」
土方が顔を上げる。
沖田はトボけた薄笑いを浮かべた。
「どうゆうこった?」
土方が箸を膳の上に置くと、沖田が素知らぬ顔で茶をすする。
「どうもこうも・・新年会じゃねぇんですか?」
「新年会だぁ?」
眉間にシワを寄せる土方をよそ目に、沖田はたくあんをつまむ。
「あ、このたくあんウメェ」
すると、障子がスラリと開いた。
「あら、嬉しいわぁ~」
お盆を持ったゴローである。
元旦からずっとゴローたちが炊事場を仕切ってるのだ。
「それ、アタシが丹精した糠床で漬けたのよ~」
お盆の上には、キレイに切った漬物を載せた皿がある。
「トシ様の、た・め・に。うふっ」
ゴローがスタッカートを効かせると、土方がスックと立ち上がった。
2
「結局、シン帰って来なかったのかな?」
布団を片付けながら薫がつぶやく。
すっかり寝過ごしてしまった。
もう日が高い。
「みたい」
環はすでに顔を洗って、着替えを終えている。
「広間に行ってみよ」
「うん」
薫の着替えを待って、2人で廊下に出る。
永倉と原田の部屋の前を通る時に高いびきが聞こえてきたが、1人分だった。
正月休みで、隊士はみな思い思いに好きなことをしている。
寝正月もあれば、ひたすら飲んだくれる者もいる。
普段と全く変わらず稽古に励む者も。
「すみませーん、寝坊しちゃって」
元気に声をかけて広間に入ると、カラになった膳の前で沖田が爪楊枝をくわえている。
向かい側に食べかけの膳があったが、誰も座っていない。
「よぉ、起きたんか」
沖田が手を後ろについて、顔を向ける。
「沖田さん、ひとりですか?」
薫がキョロキョロすると、沖田が天井の方を向いた。
「ああ、土方さんもいたんだけど・・」
「けど?」
「なんか突然・・走り出したくなったってさ」
「は?」
(なんだろ?駅伝でもやりたくなったのかな、正月だから)
薫は箱根駅伝を思い起こした。
すると、障子が開いた。
「おーっす」
髪の毛グシャグシャの原田が立っている。
大アクビをしながら部屋に入って来た。
「おはようございます」
薫と環が一緒に挨拶する。
「おう」
応えながらしゃがむと、畳の上に置かれた皿から漬物をつまんだ。
「うま。どこのだ?これ」
「ゴローさんの」
「女将のか?どーりでウメェや」
原田はまた一つつまむ。
お店を出していた頃から、女将の漬物は客の評判が良かった。
「新八っつぁんは?」
沖田があぐらをかくと、原田も畳に腰を下ろす。
「さーな・・ひょっとして、今日も帰って来なかったりしてな」
薫と環が顔を見合わせた。
3
角屋の一室では、アルコールファイトが続いている。
元旦の夕方から夜更けまで呑み続けたが、両者とも眠気が差して来たため、いったん床入り部屋で仮眠を取った。
そして・・起きるとすぐレース再開である。
斎藤も結局、逃げ切れず樽から呑むハメになった。
おかげで、すでに酔いツブれてる。
シンも樽から呑むハメになったが、まだ正気を保っていた。
急性アルコール中毒にならないように気をつけている。
1. 空きっ腹にならないように小マメに食事を取る。
2. 一気呑みせずにペースを守る。
3. 体温が下がらないよう身体を温める。
4. とにかくひたすら排泄する。
梅干しのおむすびを作ってもらって、なるべく腹に入れるようにした。
合間合間にガブガブ茶を飲んで、厠に行ってとにかく出す。
賄いからコッソリ、温石(おんじゃく)を分けてもらった。
(※温石は焼いた石を布でくるんだもので現代でいうカイロ)
酔いつぶれた斎藤の胸に温石を2つ抱かせると、子どものように背中を丸める。
やはり体温が下がって寒いらしい。
(・・急性アルコール中毒は生命の危険もあるから)
シンは慎重になっている。
(病人が出たら、オレが介抱しなきゃ)
そう思ったが、どうやら永倉と伊東にはいらぬ心配のようだ。
2人とも浴びるほど呑んでいるが、意識は全くシッカリしている。
特に伊東は普段と変化が見られない。
(この2人、身体の作りどうなってんだろ?)
シンは首を傾げる。
伊東の呑み方は独特だった。
枡でキッチリ5杯呑むと、厠に行く。
戻ってまた5杯呑んで、厠に行く。
その繰り返し。
酒は伊東の口に入って、全く吸収されることなく通過しているように見えた。
(酔わないなら呑むイミ無いんじゃないの?)
シンは呆れ半分、感心半分だ。
永倉は対照的だ。
完全に酔っ払いのノリで、いつにも増して芸娘にヤンヤとカラんでいる。
おまけに、酒樽が2つに増えていた。
永倉がメンド臭がって樽から直接枡で掬って呑み出したせいで、潔癖症の伊東が呑めなくなってしまい、新しい樽を開けさせたのだ。
伊東が丁寧にひしゃくで掬って、枡に酒を注ぐ。
シンに向かって、ニッコリ笑うと目の前に差し出した。
「さぁ、どんどん呑みたまえ。宴会でシラフでいるなど無粋だよ」
(・・アンタには言われたくねーよ)
仕方なくシンは受け取った。




