第百九十一話 樽
1
シンは不思議だった。
(なんで・・オレ、ここにいんの?)
角屋の一室である。
目の前に伊東と斎藤、隣りに永倉が座っている。
(なんでこんな・・)
大輔と一緒に鳥居で年を越したが、鐘が鳴り終わってもナニかが現れるワケでなく、最初から分かってたように2人一緒に町に戻った。
その後、持ち場の神社を見廻ったが、除夜詣での人影はほとんど無くなっていた。
屯所に戻ると、見廻りから帰った隊士が酒で暖を取っている。
シンも冷えた手足を湯で暖めようと浴室に向かった。
今日は夜中までお湯を沸かしてくれてるはずだ。
すると・・浴室に行く途中の廊下で、斎藤が柱に寄りかかって立っている。
「よぉ」
待ち構えていたような声だ。
「いま戻ったのか」
「・・なんか用ですか?」
シンの胸中に、イヤな予感が渡来する。
(なんだよ、いったい・・)
「明日、島原に行く。おめぇも来い」
「え?」
それだけ言って去った。
(・・こっちの都合はムシかよー!)
斎藤の後姿を見送りながら、ノーと言えない己の下っ端気質を呪う。
そして・・元旦の夕方、永倉と斎藤に引っ立てられるように島原に連れて来られたのだ。
(拉致だろ・・これ)
シンは居心地の悪さに、すでにメンタルが持たなくなってる。
部屋に入ってから、永倉も斎藤もほとんど口をきかず酒を呑んでる。
伊東はその様子を気にするでなく、ニコニコ眺めているのだ。
(・・帰りてぇー)
手巻き寿司を作る手伝いを頼まれてたのに、ドタキャンしてしまった。
すると・・
「呑まないのか、シン君」
突如、声をかけられ驚いて顔を上げると、いつの間にか伊東が目の前に座っていた。
2
「え?いやオレは・・酒はあんまり」
江戸時代に来た時に、すでに18才だったので成人はしているが。
(※シンの時代は法改正で日本でも18才は成人)
「下戸じゃないんだろう。呑みたまえ」
伊東が下座に控えていた芸娘に目配せする。
芸娘が立ち上がって、シンの隣りにユッタリ座った。
「どうぞ」
お銚子を差し出す。
(この時代の人って、人の意見聞くとか習わないのかな?)
仕方なくオチョコを持った。
「いや、こんな楽しい宴会は初めてだよ」
伊東はにこやかだ。
(ウソだろ?ガチならトモダチ関係見直した方がいいぜ)
諦めて、グイッと一気に呑んだ。
下戸ではないものの、強くないのでムリすると次の日がツライ。
「ところで・・永倉君と斎藤君は、以前、近藤局長に行状を改めてもらうべく建白書を出したと聞いたが」
伊東が、永倉と斎藤の方に向き直る。
「新選組は近藤局長の私設部隊ではない。僕も入ってみて現実を見せつけられたよ」
「・・・」
永倉と斎藤は黙ったままだ。
「実際・・近藤局長の専横体制に不満を持ってる隊士は多いと思うんだが」
伊東の決め付け調に、永倉が首を傾げる。
「・・さぁ」
「それに局中法度。アレはいくらなんでも度が過ぎる。なんでもすぐに切腹では抗弁の仕様が無いだろう」
伊東が苦い顔で言うと、斎藤が顔を上げる。
「抗弁って、言い訳じゃね?カッコ悪ぃ」
「すぐ斬ったはったはオカシイと言ってるんだ。長州征伐もそうだよ。力で抑え込もうとしても人はついて来ない」
伊東は袖に腕を入れて組んだ。
「第一、新選組はもともと尊王攘夷を掲げて集まったと聞いた」
「だっけ?」
永倉がメンド臭そうにつぶやくと、斎藤が首を傾げる。
「忘れた」
「長州とも話し合いの余地があるはずなんだ」
伊東が息をつく。
すでに・・会話は噛み合っていない。
「あいつら、徳川倒して政権取ろーとしてるだけじゃねーかよ。あんなん尊王でもなんでもねーよ」
斎藤が言い捨てると同時に、障子がサラリと開いた。
3
芸娘が2人、廊下に座っている。
お辞儀をして部屋に入って来た。
三味と太鼓を持ってる。
「あけましておめっとはんどす」
並んで優雅に挨拶をした。
「おー、待ってたぜー」
声を上げると、芸娘がニッコリ会釈する。
永倉はゴキゲンモードに切り替わって、俄然呑む気マンマンである。
伊東が笑いかけた。
「ま、今日のところはトコトン呑むとしましょう」
「ああ、正月から辛気臭せー話はゴメンだね」
永倉が手をヒラヒラさせると、伊東は一瞬置いてから持ちかける。
「呑み較べしてみないか?」
「あ?」
オチョコに延ばした手が止まる。
「これでも僕はけっこう強い。勝負してみないか?」
伊東は余裕タップリの表情だ。
"勝負"という殺し文句で、永倉はアッサリ籠絡される。
「おう、受けてたとーじゃねーか。後悔すんなよ、ブッ倒れても知らねーぞ」
すると、伊東がシンの隣りにいる芸娘を手招きして耳元に囁いた。
芸娘は心得たように頷いて、静かに部屋を後にする。
しばらくして廊下から声がかかった。
「おまっとはん」
障子が開くと、酒樽を挟んで男が2人座っている。
樽を持ち上げて部屋の中央に運び始めた。
続いてさっきの芸娘が入って来た。
ハサミとトンカチを持っている。
男達が樽を縛ってる縄を切って、蓋の周りの輪っかをガンガン叩き始めた。
出っ張った栓に打ち込んで、空いた穴にトンカチを引っ掛けて蓋を引き剥がす。
途端に・・部屋中に濃い酒の香りが籠った。
(・・嗅いでるだけで、酔いそ~)
シンは思わずウッとする。
「おしめりはたんと用意しとりますんで、ご存分に」
男2人が頭を下げて、部屋から出て行った。




