第百八十七話 逢魔が時
1
沖田は見廻りの途中で番所に寄ってみた。
大助の姿は無く、番所から出ようとしたら、戸の前に弥彦が立っていた。
「沖田の旦那~、久しぶりやぁ~」
いつものセリフである。
「よぉ、大助はどうした?」
「井上の旦那やったら、今日は朝から出かけてるで。大晦日で忙しんやろ」
「そっか・・」
大助はここしばらく屯所に来てない。
どうしてるかと思ったが、間が悪いようだ。
奉行所の役人の大助には、新選組が掴んでない情報が入って来ることがある。
二人組の忍びと世良の行方を当たってるが、何もかからないので大助に聞いてみようと思ったのだ。
(いったいどこに潜伏してんだ)
考え込んでると、目の前にお椀が出された。
「あったまりなはれぇ~、旦那」
湯気の立った甘酒が入っている。
番所の奥で振舞ってるのを、弥彦が掠めてきたらしい。
受け取ると、ユックリ飲み込んだ。
一気に身体が温まる。
「うめ・・」
弥彦は嬉しそうに笑うと、自分も飲み込む。
「うっほほ~」
ヘンな声を出している。
甘酒を飲んでると、なんとなく薫を思い出す。
漢方薬をブレンドした甘酒を毎日飲ませに来るが、飲み切るまでガン見で見張ってるので、正直ストレスを感じる時がある。
まぁ・・好きなようにさせてるが。
「"飲む天敵"って・・イミ分かんねぇし」
沖田のつぶやきに、弥彦が首を傾げる。
「なんでんねん・・それ?」
「なんでもねぇ」
遠くから除夜の鐘が聞こえてきた。
2
シンは鴨川を超えて、山裾の民家の方まで足を延ばした。
例の・・赤鬼が出るとウワサの長屋である。
監察方に配置されてから単独行動が増えて、以前より比較的自由に動けるようになった。
だが、どうして足が向いたのか分からない。
以前、大助に連れてきてもらった時は、奇妙な感覚に襲われ気分が悪くなった。
あれから一度もここには来ていない。
長屋の一番奥にある戸の方を見ていると、部屋の中から小さな灯りが漏れている。
どうやら人がいるようだ。
(新しい住人かな?)
シンが近づくと、突如、目の前で戸が開く。
驚いて身構えると、中から人が出て来た。
立っているのは・・大助だ。
「井上さん?」
シンのつぶやきを聞いて、大助が驚いた顔を向ける。
「なんだ・・鬼っ子、おめぇか。ナニやってんだ?こんなとこで」
「鬼っ子って呼ぶのやめてもらえませんか?」
シンが不機嫌な声を出すと、大助が軽く笑った。
「自分で言ったんだろーがよ。赤鬼の仲間だって」
「・・~~~」
確かに・・赤鬼と呼ばれていた赤城教授に育てられたのだから、鬼っ子呼ばわりされても仕方ないかもしれない。
「誰も住んでないんですか?ここ」
「そりゃ、鬼が出るって噂の部屋なんぞ借りる酔狂もいねぇだろ」
「・・・」
「ここでナニやってる?」
大助がさっきの質問を繰り返した。
「見廻りです」
素っ気なく答えると、大助が腕を組む。
「へぇー、いっぱしの隊士みてぇじゃねぇか」
「オレは・・隊士じゃありません」
シンは浅黄色の隊服を着たことは一度も無い。
(※もともと隊服は全員分は無いので、主に幹部が着用している)
いつも黒い着物と黒い羽織だ。
「だったら、なんで見廻りしてんだよ」
大助はからかってる口調だ。
「・・アルバイトです」
投げやりに答えると、大助が眉を潜める。
「あるばい・・ナニ?」
「あ~・・一宿一飯の恩義です」
メンド臭げに頭を掻くと、遠くから除夜の鐘の音が聞こえて来た。
「・・丑寅の刻だな」
大助が空を見上げる。
「え?」
「鬼門だよ、逢魔が時・・鬼が歩き回る刻が来たってことさ」
言いながら、大助が山の方を振り仰ぐ。
「行ってみるか?」
「え?」
「鐘が鳴り止めば、鳥居から鬼が現れるかもしんねぇぞ」
除夜の鐘は・・鳴り始めたばかりだ。
3
山の麓には雪が積もっている。
底冷えする寒さだ。
鳥居に来るのは久しぶりだった。
『どんなに待ってももう、赤鬼は現れない』
そう思い始めてからは、全く寄り付かなくなっていた。
冷え切った夜闇に、提灯の小さな灯りだけが暖かさを感じさせる。
冬の凍った空気にそびえ立つ鳥居は、どこか威圧感を与えていた。
「・・・」
凍った空気に、白い息を吐く。
「ふん・・なんも出ねぇな」
大助が寒そうに背中を丸めて、鳥居を見上げた。
そのまま歩いて進むと、鳥居の門をくぐる。
「ここは、どっか他の・・あの世にでも繋がってんのか?鬼っ子」
大助が向き直る。
「かもしれませんね」
シンは素直に答えたつもりだが、また『かもしれない』攻撃が始まったかと大助はゲンナリした。
「それとも・・もっと違う"どっか"か?」
鳥居の門の下に立つ。
「この世でも、あの世でもねぇ・・違う世か?」
シンは少し考え込んだ後で、、ポツリとつぶやいた。
「もっとずっと・・先の世かも」
自分は何故こんな危なげなことを口走っているのだろう?
大晦日のせいかもしれない・・。
「へぇー」
大助は茶化すような口調だ。
「だったら、あの鬼は先の世から来たお客さんかい?」
シンは曖昧に横を向く。
すると・・大助がクックッと笑い出した。
「あ~・・阿呆くせぇ」
(ま・・予想通りのリアクションだな)
ホッとした。
今夜は余計なことばかり口に出してしまうようだ。
「先の世でこの国がどうなってるのか、見たいと思いますか?」
ずっと・・誰かに訊いてみたいと思っていた。
「思わねぇ」
大助がアッサリ答える。
「見たって変わらねぇ・・オレは」
言いながら、空を仰いだ。
遠くから鐘の音が聞こえる。




