第百八十六話 鬼門
1
隊士たちが巡察に出た後、薫と環は伊東に呼ばれて部屋に来ていた。
外は雪がチラついてるが、囲炉裏の上では土鍋で豆腐が煮えている。
「やはり精進料理と言えば豆腐だろう」
伊東はニコニコしている。
年越し蕎麦は食いっぱぐれたが、どこからか豆腐を調達してきたらしい。
「やっぱ、冬は鍋ですよねー」
生姜を入れた出し汁を小椀に入れて、鍋で煮えた豆腐をよそう。
「はい、伊東さん。煮えましたよー」
「ありがとう、薫くん」
環と自分のお椀にも豆腐をよそうと、腰を下ろして食べ始める。
「おいっしー」
環がホッとしたような声を出す。
「うん」
年越し蕎麦を食べたが、大晦日の夜更かしで小腹が空き始めていた。
「まだあるんだよ」
伊東が脇に置いた風呂敷に手を伸ばす。
すると・・伊東の袖口から、手首にかけられた数珠が見えた。
(伊東さん・・喪に服してるんだ)
環はなんとなく神妙な気持ちになった。
この屯所の中で、いったいどれだけの人間が、天皇の死を心から悼んでるというのだろうか。
(・・やっぱ良い人なんだよね、伊東さんって)
「ほーら、見てごらん」
伊東が風呂敷の結び目をほどくと、桶の中に肌色の豆腐が入っている。
「胡麻豆腐だよ」
豆腐責めである。
だが、薫は大喜びだ。
「京の胡麻豆腐だー!食べたかったんだー」
お皿に載せると、モッチリ濃厚な豆腐がブルブル震えているのがたまらない。
「おーいしそー!」
テンション、アゲアゲだ。
「食べ終わったら、境内に出てみないか」
「え?」
薫と環は、一瞬手が止まる。
「せっかく寺の敷地にいるんだ。除夜の鐘の音を近くで聴いてみたいだろう」
こうゆう決め付け話法は、伊東が持つ独特のマイペースさだ。
2
西本願寺の境内に入ると、沢山の僧形が並んでいる。
浄土真宗西本願寺派の本山であり、日中から門徒達が年の暮れのお煤払いを行っていた。
その後、修行僧が勤行を上げ、梵鐘を聴きながら年を越すのである。
伊東に気づいた僧がにこやかな顔で頭を下げる。
伊東も丁寧にお辞儀を返した。
隊士のロクデモナイ悪さのせいで、西本願寺の僧達は新選組を毛嫌いしているのだが、どうやら伊東は違うらしい。
隊士が迷惑をかけるたび伊東が寺に陳謝して、その都度取り成してるのだ。
(伊東さんって、ある側面からだけ見ると人格者なんだよね)
環は感心している。
「除夜の鐘って、煩悩を払うんですよね」
薫が、以前山南に聞いた知識を披露すると、伊東が頷く。
「うん。それと・・鬼を払う意味もあるらしいね。ここの僧から聞いたんだが」
天皇の喪に服するため、昼に行われた勤行を聴きに来ていたのだ。
「鬼を払う?」
2人が眉を潜めると、伊東がにこやかにウンチクを始める。
「うん。陰陽道では12月は丑の月、1月は寅の月。丑寅・・つまり鬼門なんだ。だから、大晦日の夜から元旦にかけて、魑魅魍魎が跋扈する鬼門が開く。それを封じるんだよ」
「鬼門・・鬼・・」
薫がつぶやいた。
頭の中に、時々夢に出て来るあの鬼が思い浮かんだ。
「薫、どうしたの?まさかとは思うけど、怖いとか?」
環が薫の顔をノゾキ込む。
「ううん」
慌てて首を振る。
「そうじゃなくて・・去年はサンナンさんと一緒に除夜の鐘聴いたなぁーって思って」
言ってしまってから、薫はハッとした。
山南の名前はなんとなく禁句になってるのだ。
伊東が袖口に腕を入れて組んだ。
「総長か・・彼が屯所から抜けたのは、新選組の在り方に疑問を持ってのことだろう」
伊東の会話は、基本的に決め付け系が多い。
「そうなんですか?」
薫が訊き返すと、伊東が笑う。
「まぁ、今となっては・・問いただすことも出来ないがね」
雪がチラつく空を見上げた。
「僕は・・なんとかしたいと思ってるんだが」
「疑問を持ってる人が他にもいるんですか?」
環が訊くと、伊東が首を傾げる。
「いるさ・・だが、それを口に出すことは出来ない。ここには・・除夜の鐘なんかじゃ払えない鬼がいるからね」
疑問を持ってるのは・・他の誰でもない伊東自身のことだった。
3
「おおきに」
はんなりと頭を下げてるのは、年頃の娘2人である。
除夜詣でに来た若い娘が、酔っ払いに絡まれているのを藤堂と斎藤が助けた。
良く見ると、2人とも愛らしい京美人である。
「いーの、いーの」
藤堂はヘラヘラ笑ってるが、斎藤は無表情で黙ったままだ。
「けど、可愛い娘っこが夜中に出歩いたら、襲ってくださいって言ってるようなもんだぜー」
藤堂が少し屈むと、2人が恥ずかしそうに顔を見合わせる。
乱暴者の新選組といえど、イケメン2人に助けられて悪い気がしないらしい。
「すんまへん」
笑った目尻には、無意識に媚びが滲んでいた。
「除夜詣でが終わったんなら、さっさとお家に帰りましょーねー。お嬢ちゃん方」
藤堂が腕を組む。
この時代の恵方参りは、大晦日と元旦と2回詣でることがある。
(※現在の二年参りの原型)
「へぇ」
2人は素直に頷いたが、後ろを向くと道が真っ暗だ。
灯りは手元の提灯だけである。
困ったように立ちンボしてる2人を見て、藤堂が仕方ないような声を出す。
「このまま帰らせちゃ、またカラまれちまうか」
息をつくと、娘達に声をかけた。
「しゃーねー、送ってくか。ホラ」
「平助」
斎藤が声をかけると、藤堂が振り返った。
「オレ、ちっと送ってくわ。見廻り頼むぜ」
そう言うと『両手に花』の状態で歩き出す。
残った斎藤が息をつく。
すると・・後ろから声をかけられた。
「平助のヤツ・・送りオオカミになんじゃねーのか?」
振り返ると、いつの間にか後ろに原田が立っていた。
斎藤は冷めた顔つきで答える。
「まぁ・・モロお持ち帰りってカンジだな」
原田がクスクス笑う。
「見廻りよりか軟派のが楽しいに決まってるよな」
そう言って、斎藤の横に並んだ。
「おめぇ・・明日呼ばれるらしいなぁ」
「・・・」
「物好きだなー」
原田の茶化す口調に、斎藤が不機嫌な声を出す。
「・・左之さんが断ったもんで、オレにお鉢が回って来たんすよ。ったく」
ウンザリしたように横を向いた。
いつの間にか、雪が強くなってきていた。




