第百八十二話 報告書
1
沖田の目の前に、白い甕がある。
稽古中に咳がこみ上げてきたので、中座して道場裏に来た。
ここはいつも人気が無い場所で、体調が悪くなると良くここに来る。
「これ・・」
つい朝までは、こんな甕は置いてなかった。
(なんで縁側に甕が・・)
沖田は首を傾げる。
腕を組んでしばらく眺めていたが、手を伸ばして蓋を開けた。
中を覗くと、白いブヨブヨの物体がブルブル震えている。
すぐに蓋を閉じた。
未確認物体は目撃しなかったことにした方が良い。
そう考えて踵を返す。
すると・・表の方から薫が小走りでこっちにやって来る。
「沖田さん?」
気付いて声をかけて来た。
沖田が足を止めると、焦った様子で駆けて来る。
「どうしたんだ?」
「いや・・あの~、ここに」
言いながら縁側に目をやると、声を上げた。
「あったー!良かったぁ~・・」
沖田の脇を通り抜けて、縁側から甕を大事そうに抱える。
沖田はその様子を、白い目線で見ていた。
「それ・・おめぇのか?」
「はい、良かったー」
薫は甕にスリスリ顔をこすりつけている。
「ソレ、なんなんだ?」
「ヨーグルトです!」
薫はニコニコ笑っている。
「よぉぐると・・?」
「はい。沖田さんに食べてもらおうと思って」
「オレに食わせる気か・・ソレ」
「さっそく夕飯のデザートに出しますね」
ヨーグルトは朝食に食べるイメージが強いが、江戸時代は冷蔵庫が無いので、悪くなる前にとっとと消費しなければならない。
薫はウキウキしながら沖田の横に並ぶ。
背の高い沖田を見上げると、考え込んでいるような表情をしているのに気付いた。
「どうしたんですか?」
「・・いや・・」
こんな嬉しそうな顔をされると『食べたくない。そんなキモチ悪いモノ』とは・・言えない、どうしても。
「ああ、まぁ・・楽しみだな」
「はい!」
それから2人で並んで歩くと、ふと沖田が薫に問いかけた。
「おめぇ・・"嘘も方便"って知ってるか?」
「・・嘘も方便?」
薫は首を傾げる。
「はい・・知ってますけど?」
「いや・・もういい。考えんな」
勝手にフッて勝手に終了されたが、沖田の自己完結に慣れてる薫は気にしなかった。
(本格的にここに居座るんだもん。俄然ヤル気出てきたよー)
2
稽古が終わると、幹部が部屋に集められた。
広島からの報告を聞くためである。
「長州は停戦が成立した後でも、違約して小倉藩に侵攻を続けてるらしい」
土方が書簡を広げると、近藤が目をつむる。
「なに考えてやがるんだ、連中」
「長州は最新式の銃を持ってる。それと・・装備が軽い」
言いながら、土方は考え込む。
敵であっても、見倣うことは見倣う。
合理性の塊のような男なのだ。
長州征討で幕軍の旧式が顕かになり、慶喜公がフランスの協力を得て軍装備の改革に着手した。
・・が、時すでに遅しかもしれない。
幕軍の敗走は、イコール幕威の暴落を決定付けた。
近藤が息をつく。
「攘夷攘夷って騒いでたのはどこのどいつだぁ」
長州に武器を売ったのはもちろん外国の武器商人だ。
(坂本龍馬が薩摩藩の名義でイギリスからライフル銃を購入)
伊東も考え込んでいる。
「第二奇兵隊を率いた世良ってのが、強ぇらしいな」
書簡に目を落としたままで、土方が説明を続ける。
「・・世良?」
沖田が低い声を発した。
「聞いたことねーな、そんなヤツいたか?」
藤堂が首を傾げる。
「いや・・どうやらコイツ、ちょくちょく姓が変わってる。世良になったのはごく最近だな。その前は・・木谷だ」
土方の言葉に、伊東が目を開く。
「・・第二奇兵隊の軍監、木谷修蔵ですね」
「なるほどな」
藤堂と斎藤が同時に言った。
「・・・」
沖田は黙ったままだ
眉根を寄せて、険しい顔をしている。
「どうしたんだ?総司」
土方が声をかけると、沖田が顔を上げる。
「その世良ってヤツ・・京に来てますぜ」
「なんだとぉ?」
近藤が声を上げる。
「おめぇ・・なんか知ってんのか?」
土方が訊くと、沖田が薄笑いを浮かべる。
「・・アイツだったんだ」
「アイツ?」
「こないだ、薫と環を無礼討ちしようとした侍」
沖田が笑いながら首を傾ける。
「一緒にいるヤツが、そいつを世良って呼んでたらしい」
「!」
全員、沖田の方を向いた。
3
「あん時、斬っちまえば良かった」
沖田は笑っていたが、言葉の奥には冗談と思えない声音が混じっている。
「まだ長州藩は戦闘状態だってのに・・軍の幹部が国元離れて何してんだ」
斎藤がつぶやく。
「諜報か折衝か・・暗殺も考えられるな」
永倉の言葉に、原田が乗っかる。
「誰を消すんだよ?」
「そりゃ・・やっぱ、会津候とか慶喜公とかじゃねーの?」
永倉が口軽く言った言葉に、土方が付け足した。
「・・天皇って可能性もあるな」
「土方さん!」
伊東が声を上げる。
「トシ、めったなことを言うな」
近藤がたしなめた。
「分かんねーだろ、連中・・目的のためなら手段は選ばねーみてーだし。ケンカは死にもの狂いでかかった方が勝つ」
土方の信念である。
「幕軍にゃあ、それが足りなかったんだろうよ」
言い捨てると、書簡を畳の上に投げ置いた。
幕軍の旧式は、そのままソックリ新選組に当てはまる。
会津藩などは気風も古武士そのもので、重い鎧兜をゴタゴタと今だに着込んでいる。
座が解かれて自分の部屋に戻ると、土方はみなの前では言わなかったことを考えていた。
(根性だけじゃ、もう・・ケンカにゃ勝てねぇってことか?)
少年時代に近藤や土方が憧れた武士道精神や大和魂は、すでに『古き良き時代』の遺物になったのかもしれない。
目的のためには手段を選ばず・・そんな時代が来ている。
(だが・・負けんのはぜってぇゴメンだぜ)
土方はもともと軍才に長けた男だが、これ以降・・西洋軍術について貪欲に吸収するようになっていった。




