第百八十一話 立ち話
1
シンに言われたことを、環は部屋で反芻していた。
だが・・ここを出て3人で生きていくなど、どうしても考えられない。
江戸時代に落ちた時からここにいて、いつのまにか居場所になってしまっている。
ため息をつくと、廊下から声が聞こえた。
「おい、ここ開けろ」
驚いて立ち上がり、スラリと障子を開ける。
土方が立っていた・・薫を抱えて。
不機嫌な顔つきで部屋に入ると、環の方を向く。
「布団ひいてくれ」
環が急いで、布団を畳に広げた。
土方がその上に、薫の身体を横たえる。
「一体どうしたんですか?」
環の問いに、土方が苦虫を噛んだような顔で答える。
「知らねーよ。道場の裏でビィビィ泣いてたんだ」
「え?」
「んで・・そのうち勝手に寝ちまった」
「はぁ?」
環はサッパリ状況が読めない。
片膝ついてた土方が、息をつきながら立ち上がる。
「あーあ、ったく・・疲れたぜ」
「ありがとうございます」
環が代わって頭を下げた。
「礼を言われるようなこたしてねーよ」
言い捨てて、土方が部屋から出て行く。
残った環が、薫の方に振り向いた。
「・・土方さん、いなくなったよ。起きてるんでしょ?」
「うん・・」
薫はパッチリと目を開けている。
ムックリ上半身を起こした。
「いつから起きてたの?」
「ついさっき。なんか・・耳元でスゴイ舌打ちされて、"クソ"とか"重てー"とか言われて目が覚めたんだけど」
「・・だけど?」
「あんまりビックリしちゃって・・そのまま、また目ぇつむっちゃった」
環は仕方ないように息をつく。
2
「シンに言われた?3人でここから出ようって」
環がノゾキ込んだ。
「うん・・でも」
薫は布団の上で膝を抱える。
「土方さんは、"ずっとここにいていい"って」
(それでか・・)
薫が泣き出した理由が分かった。
「あたし・・ここにいたい」
薫がポツリとつぶやく。
「・・でも、新選組が無くなったらどうするの?」
「それは・・分かんないけど、そうなったらその時考える」
刹那的未来予想図を聞いて、環が深いため息をつく。
(シンが心配する気持ち、分かるわ)
「環は・・どうしたい?」
「・・どうって・・」
「ここから出たい?」
「・・・」
しばらくすると、環が無言で首を振った。
薫が安心したように息をつく。
「だったら、いようよ。ここに」
「・・戦が始まったら、どうするの?」
薫はしばらく考えてから、明るい声を出した。
「そしたらまた、一緒に炊き出ししよう。禁門の時みたいに」
力強い言葉を聞いて、環が目を開く。
この類まれなる脳天気さは、自分に無いものだ。
「ふっ・・あっはは」
環が突然、笑い出したので、薫がキョトンとした顔でノゾキ込む。
「・・どうしたの?」
「ごめん、ごめん。あんまり"らしい"から」
環は、笑いを堪えるような顔をしてから、穏やかな笑顔になった。
「シンに言わなきゃね。流されてるんじゃなくて、今は自分の意思でここにいるって」
「うん!」
薫は嬉しそうに頷いた後で、ふと思いついた顔をした。
「あっ・・あーっ!」
「どしたの?」
声に驚いて環が訊くと、薫がいきなり布団の上に立ち上がる。
「ヨーグルトー!!」
3
部屋を後にした土方が歩いてると、廊下の向こうから伊東がやって来た。
「土方副長」
声をかけられて、足を止める。
「山崎君から報告書が届きましたよ」
手に持っていた書簡を土方に手渡す。
山崎と吉村は、あれからずっと広島に残留を続けている。
「戦況は思わしくないようですね」
伊東は独自の情報網を持っているのだ。
「・・ふん。アンタはこれから文学指南か?」
露骨に話題を変えた。
「ええ」
ニッコリ笑う。
伊東は文学師範だが、教えているのは主に軍学や歴史、朱子学や儒学である。
「ウッカリしてると、尊王の精神が忘れられてしまいそうですからね」
「・・・」
(あー・・イラッとするぜ)
土方が眉間に皺を寄せる。
すると、伊東がふと土方の肩に目を止めた。
「どうしたんですか?このシミ」
言われて土方が目をやると、着物に丸いシミがある。
薫のヨダレだ。
「っ・・」
(・・あんガキャァ~)
手で隠すと、なんでもないような顔をする。
「さぁ・・汗でもかいたんだろ」
「汗?そんなとこに?」
「・・・」
土方が急ぎ足で通り過ぎようとすると、伊東がすれ違いざま小声で言った。
「そういえば・・さっき沖田くんが、稽古の途中で中座してましたが・・この頃、頻繁ですね」
土方が足を止める。
黙って、伊東の顔を見た。
「どうやら・・胸を病んでるようですが、いつまで隊務を続けさせるつもりです?」
伊東は前を向いたまま淡々と続ける。
「・・余計なお節介はよせ。アイツのことはオレが考える」
土方が不機嫌な声を出すと、伊東が声を低めた。
「きちんと療養させないと、病が重くなるだけじゃないですか?」
土方が黙ったままでいると、伊東は諦めたように息をつくと、軽く会釈した。
「では・・失礼します」
残った土方は、立ち止まったまま忌々しく舌打ちする。
「・・チッ」




