第百八十話 寝落ち
1
『どんなに待ってももう、赤鬼は現れない』
シンの言葉が頭から離れない。
薫はひとり、道場の裏の縁側に腰掛けていた。
せっかくヨーグルトができたというのに、環に伝える気にもならない。
『ただ流されるんじゃなく、自分たちの力で』
確かに・・シンの言う通り、薫と環が屯所にいるのは状況に流されてきた感が強い。
だが・・今はもうそれだけじゃない。
いつの間にか・・ここにいるのが楽しくなっていた。
薫も環も・・好きになっているのだ、新選組の隊士達のことを。
(そりゃ、全員じゃないけど)
だから屯所の仕事を進んで手伝っている。
「役に立ちたい、喜んで欲しい」そう思うのは・・彼等のことが好きだからなのだ。
だが・・戊辰戦争が始まれば、隊士のほとんどが散り散りとなり新選組は流転を続ける・・最北の地で滅ぶまで。
そんな戦いについて行くなど、出来るわけもない。
薫と環はいずれは取り残されるのだ。
だったら・・足手まといにならないよう、自分たちの身の振り方を決めておくべきかもしれない。
「そう・・だよね」
ポツリと言葉が漏れる。
薫は元来、自立心旺盛だ。
だが・・どうにも寂しくて堪らない。
見上げると、目尻から涙が溢れてくるのが分かった。
ここを離れたら・・
例え、環がそばにいてもシンが近くにいても・・寂しくて堪らない。
「うっ・・ふっ・・」
小さく嗚咽が漏れる。
「うっ・・」
頭を下に向けると、ボタボタと膝の上に滴が零れ落ちた。
「うっ・・え・・」
鼻水が出て来たので、啜り上げると・・いつの間にか人が立っている。
「なにやってんだ?こんなとこで」
立っていたのは、土方だった。
2
「ひっ、土方さん・・?」
薫がしゃくりながら訊き返す。
土方は訝しい顔つきで近付いて来た。
「どうしたんだ?おめぇ・・目から水が出てるぞ」
「なっ、なんでもないです」
薫がプイッと横を向く。
「ひょっとしてモノモライか流行病なんじゃねーか?」
土方の言葉に、薫が眉を潜める。
「へ?」
「顔パンパンだし、福助みてーだし」
土方は真剣そのものである。
「・・泣いてるんですけど」
(なんでこんなこと、いちいち説明しなきゃなんないんだろ)
薫はゲンナリした。
「・・まさかと思ったが、やっぱりか」
土方は驚いた顔をする。
「まぁ、おめぇも人の子だったってことだな」
(人の子じゃなかったら、なんなの?)
すると、土方が薫の頭に手を置いた。
ポンポンと頭をはたく。
・・どうやら、慰めてるらしい。
「土方さん・・?」
薫が怪訝な顔をすると、土方が見下ろす。
「何があったんだ?」
「何って・・」
薫は言いよどんだまま俯いた。
「ただ・・いつまで、ここにいられるのかなって思って」
ポツリと言った薫の言葉を聞いて、土方が不思議そうな顔をする。
「なんだ、そりゃ?」
「だって・・ただの居候だし」
いったん引いた涙が、またこみあげる。
土方は心底驚いたような顔をした。
「そう言えば、そうだったな。あんまり態度デケーもんで、忘れてたぜ」
「・・態度がデカイ?」
薫が顔を上げる。
「ああ」
「・・そっ、そんなこと」
そのまま薫がまた俯くと、土方の声が降ってくる。
「いたけりゃ、ずっといりゃいいだろ」
3
薫が反射的に顔を上げると、土方と目が合った。
「・・ずっと?」
「ああ、誰も追ん出したりしねーから安心しろ」
腕を組んで薫を見下ろす。
「副長のオレが言ってんだ」
「・・ホントに?」
「なんだよ?武士に二言はねーよ」
土方の言葉で、薫の目に見る見る涙が溢れて来る。
壊れた蛇口のように涙が零れ落ちる。
「うっ・・ううう~・・うぇぇぇーん」
いきなり大声で泣き出した薫を見て、土方がギョッとする。
「うわっ、なんだよ。コイツ、なんで余計泣くんだよ」
周囲にキョロキョロと目をくばるが、誰もいない。
道場の裏手は、普段からあまり人が来ないのだ。
「チッ」
忌々しく舌打ちをすると、おもむろに手を伸ばす。
左手で薫の頭を掴んで引き寄せると、右手で背中をポンポンとたたいた。
泣いてる赤ん坊をあやすように、薫の背中をユックリたたき続ける。
泣き止ませようとの策だ。
そのおかげか、しばらくするとグスグス泣いてた薫のしゃくりが小さくなってきた。
そのうち、力が抜けたようにガクンと頭が落ちて、クッタリ土方にもたれてくる。
突然重くなった薫の身体を支えながら、土方が不審な顔でノゾキ込んだ。
見ると・・
穏やかな寝息をたてて、いつのまにか薫が眠っている。
「っ・・寝落ちかよ~・・」
落ち着かせようとしただけなのに、どうやら寝かしつけてしまったらしい。
「ウソだろ?おい・・おいって」
土方が問いかけても、反応は無い。
しばらく考えたが、諦めたように息をついた。
「ったく・・」
薫の脇の下に腕を差し込み、肩の上に頭を載せると、膝裏からヒョイと持ち上げて姫抱っこする。
「こんなとこ誰かに見られたら、また何言われるか・・」
ブツブツと独り言を漏らしながら歩き出す。
道場裏の縁側には、ヨーグルト入りの甕だけが残された。




