第百七十九話 ヨーグルト
1
「やった・・!」
薫は思わず声を上げた。
何度となく失敗を繰り返し、温度や置き時間を変えて挑戦した結果、ヨーグルトらしき物体が甕の中に出来ている。
シャモジですくって口に入れると、懐かしい酸味が口いっぱいに広がる。
「美味しい~!」
「なんや・・酸っぱいんとちゃう?ホンマに食えるんか?コレ」
七郎(ななお)は一口食べると、複雑な表情をした。
「ヨーグルトって酸っぱいモンなの。これに水飴や蜂蜜を混ぜて食べると、超美味なんだから」
薫ははしゃいでいる。
「水飴なー・・なんやそう言われるとウマそうやな」
七郎が味を想像する。
「この、種になるヨーグルトがあれば、後は牛乳足してくだけだからラクチン」
「へぇー?」
薫はふと真顔になって、七郎の方に向き直る。
「ヨーグルトのこと・・他の人に内緒だよ?」
「ああ、分かっとるて」
薫はホッと息をつく。
シンからきつく釘を刺されているのだ。
『平成の料理を作って食べさせるのは、屯所の中だけにしろ』と。
料理にも歴史がある。
江戸時代では普及してないマヨネーズや唐揚げが屯所の外に漏れるのはマズイということだった。
パラドックスが起きては大変だということもあるが・・何よりも、発明者や普及に尽力した人々の努力と功績を無にする行為は、"やってはいけないこと"なのだ。
今日、食べる分だけをお椀に移して、残りのヨーグルトに牛乳を足して置く。
そうして温度キープすれば、またそこにヨーグルトが出来ているという嬉しい無限ループだ。
「薫は変わっとるわ。わいらの知っとることは知らんと、知らんことは知っとるんやから」
七郎は笑いながら首を傾げている。
「・・・」
薫は黙ったまま何も答えなかった。
2
実はこの日の朝、些細な事件が起こっていた。
薫と環の2人にとってだけだが。
「真剣の稽古を始める」
沖田がいきなり言い出した。
道場で正座している薫と環の前には、2振りの日本刀が置かれている。
「む・・無理です、出来ません。真剣なんて」
薫が慌てて顔を上げる。
環は黙ったままだ。
「刀で斬りかかって来る相手から身を守るには、刀で斬り返すか、鉄砲で撃つしかねぇんだ」
要するに・・刀を持つしか道が無いと言いたいらしい。
「でもっ・・」
薫は小さく頭(かぶり)を振る。
刀を持つということは、人を傷つける道を選ぶことになる。
そんなこと出来ない。
「何のために今まで剣を習ってたんだ?おめぇら」
沖田のしごく当然な問いに、2人とも言葉が出てこない。
「サンナンさんから・・おめぇら2人が襲われた時、身を守れるよう護身術を教えてやってくれと言われて教えたんだ」
沖田は低い声で続ける。
「遊びや酔狂でやってんじゃねーんだよ、こっちは」
「それは・・でもっ」
なおも薫が言い募ろうとすると、入口から声が聞こえる。
「総司ちゃん・・そんな急にはムリよ」
目を向けると、ゴローが立っている。
話を聞いていたらしい。
中に入って来る。
「アタシも体術教えてるしさ。けっこう腕は上がってるわよ、2人とも」
「ゴローさん」
沖田が息をつくと、ゴローが近寄って来た。
「真っ向から応戦しなくても、上手くかわして遁走するって手もあるわよ」
茶目っ気タップリに人差し指を立てる。
「この娘たち隊士じゃないんだから、局中法度もカンケー無いでしょ?だったら、逃げるが勝ちよ」
「それじゃあ・・剣を教えてるイミがねぇ」
沖田が不機嫌につぶやくと、ゴローがしゃがみ込んだ。
「あるわよー。太刀筋が読めれば、相手の動きが分かるじゃない」
沖田が深く息をつく。
あぐらを解いて立ち上がると、入口の方に歩いて行った。
残った3人が顔を見合わせる。
「総司ちゃん、心配なのよ。こないだアンタ達、無礼討ちされそうになったんでしょ?だから」
薫と環は俯いたまま何も答えなかった。
3
麹屋からヨーグルトを持って屯所に帰り着くと、門の近くにシンが立っていた。
「よぉ、おかえり」
フラリと近寄って来る。
「ただいまー。あのね、ヨーグルトが」
薫が走り寄ると、シンがその場に立ち塞がったので、慌てて立ち止まる。
「なに?」
「あのさ・・環にも言ったんだけど」
背の高いシンが薫を見下ろす。
「屯所から出ないか?3人で」
「え?」
薫はビックリして、あやうくヨーグルトの入った甕を落としそうになった。
「今すぐじゃなくてもいいから」
シンは真面目そのものである。
「な、なんで突然そんな・・」
「突然じゃないよ。前から考えてた」
「で、でも・・」
「ずっと、ここにいるワケにはいかない。・・だろ?」
「・・・」
確かに・・シンの言う通り、ずっとここにいるワケにはいかない。
というよりも、新選組そのものが、そう遠くない未来に危うくなる。
「無礼討ちされそうになったんだろ?」
「それは・・新選組とはカンケー無いし」
頑固に言い張る薫に、シンがなおも言葉を続ける。
「ここにいれば・・この先もっと危険な目に逢う」
これから先始まる戊辰戦争の嵐に、新選組は丸ごと身を投じることになるのだから。
「命の保障もない場所に、薫や環を置いておくことは出来ない」
シンが薫の肩を掴んだ。
「・・命の保障のある場所なんて、あるのかな?」
薫が見上げると、シンは眉根を寄せる。
「・・オレが言ってんのは、危険の度合いのことだよ」
分かっている、シンが言いたいことは。
だが・・・。
「おそらく・・どんなに待ってももう、赤鬼は現れない」
シンは横を向いた。
「オレたちは、元の時代に戻れない・・多分、一生」
遠くを見るような目で、シンは喋り続ける。
「だから、この時代で生きる術を身につけなきゃいけない。ただ流されるんじゃなく、自分たちの力で」
「シン・・」
薫が思わず声を出すと、シンが肩を掴んでいた手を下ろした。
「今すぐでなくてもいいからさ。考えといて」
そう言って、クルリと背を向ける。
残された薫は、ヨーグルトの入った甕を抱きしめると、小さくつぶやいた。
「せっかく、味見してもらおうと思ったのに・・」




