第百七十八話 斬り捨て御免
1
薫と環が屯所への道を進むと、すれ違いざま男とぶつかった。
薫は身体を横にしたが、相手が全く避けることをせずのし歩いて来たので、避けきれずにぶつかった。
「どこ見て歩いとるんじゃ、ワッパ」
男は低い声で言うと、薫の腕を引き掴む。
背丈は薫と同じか少し小さいくらいだが、腰に刀を下げた侍である。
後ろにもう1人、侍姿の男が立っていた。
2人とも深編み傘を被って顔は見えないが、網目の向こうの眼光がするどい。
「え・・そっちがぶつかって来たんですよね」
薫が思わず言い返すと、男は眉を潜める。
腕に食い込む指に力がこもる。
「痛・・離してください」
薫が苦痛で顔をゆがめると、男がふっと手の力を緩めた。
「お前・・オナゴか?威勢の良いことだ」
薫と環はいつもと同じ稽古着姿で、背丈があるので遠目には男に見える。
「気を付けろ。無礼討ちにされても文句は言えんぞ」
女と見たせいか、男の口調にはややからかうような色が混ざる。
「無礼討ち?」
意味が分からず訊きかえすと、男が呆れたように首を傾げる。
「知らんのか?」
薫が無言で見返すと、男が言葉を続ける。
「幕府が作った悪法じゃ。町民が武士に無礼を働いたら、即刻切り捨てて良いとな」
「は?」
薫と環が同時に声を上げた。
「おぬしら、そんな恰好しちょるが町民じゃろう」
男はバカにしたような目線で見ている。
町民でも農民でも、道場稽古に通う男子は多くいる。
袴姿でも、刀を差していなければ武士ではない。
薫も環も、真剣を持ったことは一度も無い。
外に出る時はいつも丸腰で、平隊士が護衛している。
「だからなんなんですか?」
今度は環が言い返した。
「第一、ぶつかって来たのはそっちでしょう?」
「気の強ぇオナゴじゃな・・」
男が低い声でつぶやくと、連れの男が制止する。
「世良さん・・ここで騒ぎを起こすのはマズイです」
すると・・薫と環が来た方向から声が聞こえる。
「その辺にしといてもらおうか」
振り向くと・・沖田と大助が立っていた。
2
沖田と大助が間に入って、薫と環を背にするように立つ。
周囲には野次馬が集まってきている。
「おぬしら・・何者じゃ?」
男がつぶやくと、沖田がダルそうに腕組みをする。
「新選組、沖田総司」
「!」
男2人が顔を見合わせる。
「・・あい分かった。こちらも騒ぎを起こす気は毛頭無い」
世良と呼ばれた男は低い声でつぶやくと、連れの男に向き直る。
「去ぬるぞ」
男は無言で頷き、足早に薫たちの横を通り過ぎて行った。
薫と環がホッと息をつくと、いきなり沖田に小突かれる。
「なにやってんだぁ?おめぇら」
「沖田さん」
「2人だけで帰んなっつったろーが、このバカ」
「・・すみません」
薫と環がシュンとしてうなだれると、沖田が息をつく。
「いいか?町は危ねぇんだよ。色々とな」
「・・・」
2人は黙ってお小言を聞いている。
「総司。もう、そんくらいでいいじゃねぇか」
大助がクスクス笑いながら仲裁に入った。
「大事にゃあ、なんなかったんだし」
「ふん・・いっつもこう上手く行くと思うなよ」
沖田はまだ悪態をついている。
「に、しても・・あいつら何モンだ?」
大助がつぶやいた。
「・・ただの侍じゃねぇなぁ」
「ああ・・訛りが無かったな」
沖田も声を低くする。
「訛りがねぇのは、幕府のおえらいさんか・・長州人か」
長州弁にも独自の訛りはあるが、他地方と比べるとあまり目立ったイントネーションは見られない。
「1人は"世良さん"って呼ばれてましたけど」
環が言うと、沖田が眉を潜める。
「世良ぁ・・?」
沖田はピンと来なかったが、世良修蔵は第二奇兵隊を率い幕軍を迎え撃って長州征伐を失敗に終わらせた長州軍の幹部である。
停戦後には京に移り住み、薩摩藩との折衝に当たっていた。
勇猛果敢この上無いが・・正直、あまり褒められた人品骨柄の持ち主で無かったらしい。
3
屯所に戻ると、中庭の縁側でおやつ替わりに4人でプリンを食べた。
「うっめー!」
大助は大喜びである。
「ここ来ると珍しいモン食えんなぁー」
「プリンです。卵で作った生菓子」
薫が嬉しそうに説明する。
「ぷりん?へー・・なーんか響きがちょっとばかし卑猥だな」
大助が意見を述べると、環が眉を潜める。
「・・プリンの一体どこが卑猥なんですか?」
環は不思議と、リラックスして大助と話せるようになっていた。
どうやら・・大助が芸娘を買っている事実を目の当たりにして、屯所にいる隊士と同じ「ケダモノ」で「オオカミ」なのだと分かったせいらしい。
つまり・・緊張したり気を遣ったりする必要性の無い相手という認識に落ち着いた。
「にしても・・無礼討ちってヒドくないですか?」
環の声には怒気がはらんでいる。
「まーね」
沖田がテキトーに相槌を打つ。
「町民は武士に一方的に因縁つけられて、あげくに斬られても文句も言えないってことでしょ?」
環の質問に、大助が答える。
「そんなに、なんでもかんでも武士が許されるワケでもねーけどな・・まぁ、でも・・理不尽な話さな」
「斬り捨て御免なんて絶対にオカシイ。007の殺人許可証じゃあるまいし」
環のエンタメ情報は、お父さんお母さん世代のモノばかりである。
「だぶるおー・・なに?」
沖田が眉を潜める。
「ジェームズボンドって殺人許可証なんて持ってるの?」
「知らないのー?殺しのライセンスだよー、バキューンって」
薫と環は、沖田の疑問を無視して勝手に盛り上がってる。
そこに、門の方から藤堂と斎藤がやってきた。
「あー!なんだよ、おめーら。こんなとこで自分たちばっか食ってやがる」
藤堂が大げさに指さすと、薫が笑いながら答えた。
「まだありますよ。藤堂さんたちもここで食べますか?」
「おう」
そう言ってドカッと縁側に座り込む。
「どこ行ってたんだ?巡察じゃねぇだろ」
沖田の質問に、藤堂が言葉を濁す。
「ああ・・まぁ、ちっとな」
斎藤は黙ったままで何も答えない。
実は・・伊東から呼ばれて、昼中から祇園に出向いていたのだ。




