第百七十七話 湯屋
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沖田は非番で、久しぶりに大助と剣の稽古をしている。
大助は奉行所の同心だが、一体いつが仕事でいつが休みなのか分からないような生活を送っている。
ちなみに・・新選組に関わることが起きると、なんでもかんでも大助に回されるので、屯所にはちょくちょく来ていた。
今日は試合でなく稽古なので審判はいない。
軽く流してるだけだが、竹刀を叩き合う音が凄いので、稽古を覗いている隊士も多い。
隅の方で薫と環も打ち込み稽古をしているが、今日は沖田と大助の稽古にばかり見物人が集まっている。
「そろそろ上がるか」
沖田が竹刀を下ろすと、大助も構えを解いた。
「ああ」
防具を取り外すと、汗まみれである。
「おい」
沖田が稽古をしている薫と環に近付いて声をかけた。
「湯屋に行くけど、おめぇらも来るか?」
薫と環が動きを止めて振り返る。
「あ、はい」
こちらも汗まみれである。
「行きます」
環が即座に答える。
キレイ好きなので、汗を流したくてしょうがない。
「んじゃ、すぐ仕度しろよ」
沖田は踵を返すと、着替えてる大助にところに戻った。
(もしかして)
環が様子を伺ってると、隣りで薫がつぶやいた。
「井上さんも一緒に行くのかな?」
環と同じことを考えている。
沖田が、隊士が持ってきた手拭を大助に持たせていた。
薫が横を見ると、環がなんとなく固くなってるように見える。
(そんなに井上さんがニガテなのかな?)
「環、仕度しよ。モタモタしてると怒られちゃう」
薫の言葉で、環が弾かれたように動き出す。
「あ、うん」
防具を外しながら、心の中で同じ言葉を繰り返す。
(フツーに・・自然にしなきゃ)
2
4人連れだって歩いてるうちに、環の緊張もほぐれてきた。
大助の態度は自然そのもので、気にしてる方がバカみたいだ。
湯屋に着くと、男湯と女湯ののれんがかかっている。
屯所から少し遠いところにある「桜湯」にわざわざ来るのには理由があった。
この時代の風呂屋(銭湯)は、脱衣場は男湯と女湯の間に簡単に仕切りがされてる程度で湯船はほとんど男女混浴。
店によってはノゾキ窓があったり遊女まがいの湯女(元祖泡姫)がいたりする、なかなか乱れた場所だった。
その点、「桜湯」は脱衣場も湯船も完全男女別々で、湯女も三助もいない。
良家の娘でも安心して入れると人気の風呂屋だ。
ちなみに・・永倉や原田などは、モロ混浴状態の「扇湯」の方に好んで足を運んでいる。
沖田が湯銭を2人に握らせる。
薫も環も湯屋に来るのは初めてではない。
今までも、稽古の後で時間があれば、沖田に連れて来てもらっていた。
お金がかかるので、誰かと一緒でないと湯屋に来れない。
「あんまダラダラ入ってんなよ」
そう言って、沖田が大助と一緒にのれんをくぐる。
湯屋に来るといつも、薫と環が出て来るのを沖田が待たされるハメになる。
長湯が苦手なので大して湯船につかることもせず、身体を流してさっと上がってしまうからだ。
だが今日は、大助が一緒なのでいつもよりユックリしてくると思えた。
脱衣場で着替えを済ませて、低いざくろ口から身体を屈めて湯殿に入ると・・湯気でほとんど前が見えない。
秋口なので目を凝らせばなんとなく見えるが、冬だと完全に湯気ホワイトアウトである。
初めて湯屋に来た時にはあまりの視界不良に驚いたが、通ううちに他人にぶつらない方法も分かってきた。
大きな声を出しながら歩いて、お互い注意を促すのだ。
すると・・環の腕が誰かとぶつかった。
「すみません」
慌てて謝ると、湯気のすぐ向こうで若い娘の声がする。
「こっちこそ、すんまへんなぁ」
互いに声を出したせいか、一瞬湯気が払われて、視界が良くなる。
環とぶつかったのは、なんとも可愛らしい娘であった。
キレイに髷を結い上げている。
可愛らしい仕草で手を振って、湯気を払っていた。
すると、その娘のすぐ後ろに、髷を結いあげた、これまた凄い美人が立っている。
「月乃ちゃん、気ぃ付けなあかんで」
薫と環が2人に見惚れてると、すぐまた湯気が立ち込め視界が無くなった。
「なんか、すんごい可愛くなかった?」
「うん、どこかのお嬢様かな?お姉さんっぽい人も美人だったねー」
「斎藤さんが見たら倒れるかも」
2人で笑いながらソロソロと歩き進めて、洗い場に辿り着く。
身体を洗い流してから湯船に入るのは現代と同じ暗黙のルールだ。
洗髪禁止なのは残念だが、それでも湯屋に来るのはオアシスである。
3
久しぶりにユックリ湯船につかり、着替えを済ませて表に出ると、すでに沖田と大助が表で待っていた。
「おっせーよ」
いつもと同じ文句で迎えられ、2人の方に近付くと、後ろから声がする。
「ダイスケはん!」
薫と環が振り向くと、さっき湯殿でニアミスした美少女である。
娘は小走りで薫と環を通り越し、大助に駆け寄る。
「月乃?」
大助が驚いた声を出すと、月乃が両手を大きく広げてタックルするように大助に抱き付いた。
良いところのお嬢かと思えば、意外にワイルドな行動で、薫と環も驚いている。
「ダイスケはん、逢いたかったぁ。んもー、ウチずーっと待ってたんよ?」
大助の胸に顔を寄せて、しがみついている。
「あれきりお座敷にも呼んでくれんと・・ウチもう逢えんかと思て」
後半、ウルウルの涙声だ。
「おい・・ちょ、ちょっと」
大助はアセっている。
「・・・」
環と薫はピンと来ていた。
おそらくこの娘は花街の芸娘で、どう見ても・・最低1回以上、大助がヤッたことがある遊女なのだろう。
沖田はニヤニヤしながら、大助が困っているのを見物している。
すると・・月乃のツレの美人が沖田の側に近寄ってきた。
「新選組の沖田はんやおまへん?」
「あ?」
沖田が振り向くと、美人がニッコリ笑う。
大輪の花が咲いたような見事な笑顔で、たいていのオトコは瞬殺モノだろう。
「ウチ何度か新選組はんのお座敷に呼んでもろてますのや」
「えーと・・」
・・思い出せない。
「初音(はつね)いいます。よろしゅう、ご贔屓に」
クスクス笑いながら、なんとも優雅に会釈した。
「ああ・・」
沖田はちょっと警戒している。
一番ヨワイ年上の美女さまだ。
オトコ2人が美女2人に押されてる様子を、薫と環は冷めた目で眺めていた。
「あの・・私たち先に戻ってますね」
薫と環がオトコたちを置いて歩き出すと、後ろから声が追いかけて来る。
「あ、おい。おめぇら、2人だけで帰んな。危ねぇから待て」
「あーっ、おい。総司、オレを置いてくな」
オトコたちがなにやら言ってる声が聞こえたが、2人は構わずに歩き始めた。




