第百七十二話 シチュー
1
薫と環は、懲りずにヨーグルトと石鹸造りを続けている。
「シチュー、作れるかも・・」
薫がつぶやく。
先日、麹屋の見習いから蘇(そ)という乳製品を分けてもらった。
薫のヨーグルト作りに触発されて、試しに作ってみたらしい。
蘇はナチュラルチーズみたいなバターみたいな・・とにかく乳臭さがモーレツに凝縮された超濃厚ミ○キーのような味だった。
これをもっと精製すると、最高の珍味『醍醐』になるらしい。
(※醍醐味の語源になっている食べ物)
若い職人に勧められ、一口食べると・・思わずカンドーしてしまった。
「う・・ぅぅぅぉおいしぃぃ~」
ハッキリ言って、涙が出るほどウマイ。
「ナニこれ?ナニこれ?」
薫がおかわりをねだると、七郎(ななお)が苦笑しながら蘇を切ってくれる。
ミルクそのもののという風味だが、口当たりはクッキーのようなサクサク感がある。
「蘇ゆうんや。どや、うまいやろ?」
七郎は嬉しそうだ。
薫より少し年若の七郎は、麹屋「菱六」に奉公してる職人見習いだ。
童顔なせいか、笑うと子どものようにあどけない。
「そない喜んでくれんやったら、職人冥利に尽きるわな」
そう言って、残った蘇をソックリそのまま薫にくれた。
「また作ったるわ」
白い八重歯を見せて笑う。
ホクホク顔で屯所に戻った薫は、せっかくなので蘇を有効活用しようと思案していたが・・。
「小麦粉はあるし、シチューは大人数分作れるから・・うん。いいかも」
2
牛乳、鶏ガラ、小麦粉、塩に昆布出汁を少し混ぜて、シチューのルーを作る。
それに、蘇を少し入れてみた。
具はカブと鶏肉とトウモロコシにした。
鍋でクツクツ煮ると、良い匂いが炊事場に充満する。
すると・・戸口から覗いている影に気付く。
鍋をいったん火から外して戸口に向かうと、表に永倉と藤堂が立っていた。
「なにやってるんですか?」
薫が素っ気なく訊くと、2人が首を伸ばしてノゾキ込む。
「良い匂いするからよー・・何作ってんのかなーと思ってさ」
「夕餉に出しますから、待っててください」
薫がサックリと流す。
(食いつき早いんだよね)
「ちぇー」
永倉は諦めたが、藤堂は不満顔だ。
「なーんだよ。味見くれぇさしてくれてもいいじゃねぇか」
薫はため息をついて、鍋から少量のシチューを皿に盛ってくる。
「じゃあ、はい。味見」
藤堂は一口飲んで目を開く。
「うんっっっめぇぇぇーっっって、なんだコリャ」
永倉が声を上げた。
「メッチャメッチャ、うめぇじゃん!!」
すると・・炊事場の前を通りかかった土方が、声につられてノゾキ込む。
「なにやってんだよ?おめぇら」
「あ、土方さん」
「ちょうど良かった。これ食ってみてくれよ」
2人に勧められて土方が残ったシチューをすする。
「!!!」
土方は顔を上げると、薫の顔をガン見した。
なにやら怖くなって、薫が訊ねる。
「・・なんですか?」
「薫・・おめぇ」
土方の言葉が途切れる。
「?」
「おめぇ・・ひょっとして、料理の神様なんじゃねーか?」
3
別に薫は料理の神様でもなんでもないし、自分でもそんなこと分かってる。
ただ先人の知恵をカバーしてるにすぎない。
「料理の神様って・・」
シチューを煮込みながら、息をつく。
「違うんだけどなー」
実力以上に買いかぶられると、なんだか後ろめたくなる。
「・・ま、いっか」
まぁ・・神様として名を馳せるにしても、どーせこの屯所の中だけの話だ。
「あー・・」
思えば・・平成ってつくづく恵まれてると思う。
江戸時代なんて、フライドポテトひとつ無いし。
施設育ちの薫は贅沢には無縁だったが、それでも・・この時代のどんな金持ちよりも大名よりも、薫の方がいいモン食ってきたに違いない。
「あー・・も~・・ベーコンレタスバーガー食べたい、牛丼食べたい、担々麺食べたいよー」
放課後の買い食いコースである。
妄想に更けながらオタマを振り回すと、背後で声がした。
「ぅあっつ!」
振り向くと・・土方が立っている。
薫が振り回したオタマから熱々のシチューが飛び跳ねて、ホッペにベッチャリ付いていた。
「ひ、土方さん・・まだいたんですか?」
薫が声を上げると、土方が袖で顔を拭きながら低い声を出す。
「・・なにさらす、てめぇ」
「ごめんなさい」
(だから、なんで後ろに立ってんのよ・・しかも気配消して)
「・・ったく」
忌々しく舌打ちすると、気を取り直したように腕組みする。
「その市中な。近藤さんにも喰わしてぇから、残しておいてくれ」
近藤は近頃、出かけると戻りが遅い。
「・・シチュー?」
薫が思わず訊き返すと、土方が深く頷いた。
「ああ、市中だ」
(・・なんか、発音違わない?・・ってか、意味ぜんぜん違わない?)




