第百二十七話 谷
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七番隊組長の谷三十郎は、大坂屯所の隊長を兼務している。
だが、弟の万太郎に大坂を任せて、自分は京と大坂を自由に行き来していた。
弟の万太郎は槍の達人だが、三十郎自身は剣も槍も中途半端な腕前だった。
近藤の外縁ということで、組長の座に収まっている。
隊士の噂話など勝手に作っては言いふらすので、隊内で嫌われていた。
その谷の腕前をハッキリ知らしめてやろうと、土方が切腹する隊士の介錯を谷に申し付けた。
その日、朝から谷は緊張気味だったが、砂利に畳を置いて作られた切腹の場に入った時、緊張が極まった。
腹に刀を突きたてた隊士の肩がわなないていても、剣を振り下ろすことが出来ない。
見かねた土方が声をかけた。
「谷さん」
その声で弾かれたように剣を降ろしたが、上手く首に当たらず、額を斬りつけた。
慌ててまた剣を振り戻したが、肩や背中を斬りつけるだけで、肝心の首元に上手く入らず、まるでなぶり殺しの状態になっている隊士の苦しみ方は尋常でない。
検死役で立ち合っていた斎藤が見かねて剣を抜き、断末魔の苦しみを一刀両断した。
すると、興奮状態の谷は身体から力が抜けて腰を抜かし座り込んでしまった。
修羅場の斬り合いと、切腹の介錯とは、要求される技が違う。
近藤や土方の白い視線を浴びて、谷の初の介錯は終わった。
その後・・谷は事あるごとに斎藤にカラんでくる。
斎藤は無視を決め込んでいるが、腹の虫が収まらないらしく、「斎藤組長が邪魔をしたので介錯が失敗した」などと言い触れ回っている。
(オメーがヘタクソなのが、ワリぃーんだろーが)
斎藤はうっとーしいと思っていても、マトモに相手にする気にならないので完全スルーである。
ところが・・その谷三十郎が死体で発見された。
2
4月1日。
祇園八坂神社の石段下で、新選組副長助勤、谷三十郎の死体が発見された。
現場には朝早くから奉行所の同心が集まって、現場検証をしている。
「朝早くからごくろうだね、大助くん」
監察の山崎が声をかける。
廻り方の井上大助が、冷めた目つきで谷の死体を見下ろしていた。
「見つけたのは誰だい?」
山崎の言葉に、井上が顔を上げる。
「辻番ですよ」
そのまま冷めた声音で続ける。
「辻番から町役、それからやっと奉行所だ。かれこれもう一時(いっとき/2時間)以上経っちまってるぜ」
山崎がしゃがみこんで、谷の死体をノゾキ込む。
その後ろに、同じく監察の篠原泰之進が立っていた。
谷の死体は、右目の上の額から顎にかけて割れている。
おそらく一刀で即死だったと思われた。
「こいつぁ・・良い腕たいね。そこらのチンピラの仕業じゃなかけん」
篠原はかがめた膝に両手をあてがって、興味深げに見下ろす。
「殺ったんは・・左利きたいね」
篠原は良移心倒流柔術を修め、身体の急所に詳しい。
(どうかな)
同じく傷口を見ていた井上は思った。
殺ったのは左利きの人間。
確かにそうも見えるが・・断定はできない。
最初の1太刀をかわされていれば、2太刀目はすくい上げてから振り下ろすので、剣先が流れる時がある。
「大助くん、コレ。もらってくよ」
山崎が立ち上がって、谷の死体を指さす。
「へぇへぇ」
井上は、"分かってますよ"とモロ手を上げる。
新選組は徹底した秘密主義で、隊士の生死はすべて隊内で完結させる。
奉行所の干渉も一切受けない治外法権のような組織だった。
3
『七番隊組長が殺された』
新選組の中では、この話題でモチ切りだ。
みな推理をして、犯人捜しで盛り上がっている。
その中で・・
篠原の「殺ったのは左利き」という言葉がひとり歩きしていた。
斎藤が歩いていると、右腰に差している脇差に目をやる者が多い。
"斎藤組長はこのところ谷組長と仲が宜しくなかった"
"左利きの達人と言ったら斎藤組長くらいだ"
そういうことで・・
隊内では斎藤が谷を暗殺したのだろうと、ほとんど断定的な噂話となっている。
「谷を殺った犯人は、左利きだそうだな」
土方が言った。
部屋の中には、土方と斎藤の2人だけである。
「・・知りませんよ、オレぁ」
斎藤がウンザリ横を向く。
「・・おめぇじゃねぇのか?」
土方は意外そうな顔をした。
「はぁ・・濡れ衣っすね」
斎藤は冷めた声で言った。
「ほぉ・・隊の中じゃあ、オレがおめぇに命じて谷を消した話にもなってるようだが」
土方がオモシロがる口調で言うと、斎藤は呆れた声を出す。
「・・なんすか?ソレ」
「まぁいい。オレでもおめぇでもねぇとすると・・いってぇ誰だ?谷もソコソコの腕はある。ヤスヤスと殺されねぇだろ」
土方がつぶやく。
「・・・」
この時、斎藤は黙ったままで別の事を考えていた。
(兄貴はイケ好かねぇヤローだったけど・・弟の万太郎さんは気の毒だったな)