第百七十一話 未必の故意
1
「やぁ、精が出るね」
いきなり声をかけられて、シンが驚いて振り返る。
「え?」
リアクションに詰まってしまう。
伊東が、取り巻きを連れず1人で立っていた。
「シンくんだっけ」
「はぁ・・」
シンは面喰っているが、伊東は気にせず近付く。
「君は、環くんたちの友人と聞いたが・・クニはどこだい?」
「江戸ですけど?」
(ウソじゃないよな・・350年後だけど)
「にしては訛りが無いね」
伊東はしたり顔だ。
「伊東さんも訛ってないですけど?」
シンが面倒臭そうに見上げた。
下っ端隊士にアッサリ言い返されて、伊東が鼻白む。
「なるほどね・・フッフッフ」
「?」
(なんだ?このオッサン・・小芝居ががった陶酔感出してるけど)
永倉たちがウザがる気持ちがなんとなく分かる。
「亡くなった総長が君のことを褒めていたな。"頭の良い子"だと」
伊東の言葉を聞いて、シンはやや驚いた。
「・・サンナンさんが?」
「ああ」
伊東がわざとらしくクスリと笑う。
「君は、あの2人と同郷なのか?」
『あの2人』とは、薫と環のことらしい。
「なにやら特別な事情があるらしいね。フッフッフ」
(だからなんだよ?その笑い。デ○ラー総統か?)
シンは洗濯の途中だった。
足元のたらいに洗濯物を置いて立ち上がる。
「オレとあいつらは違いますよ」
シンが否定すると、伊東が笑って息をつく。
「・・まぁいい。ところで・・君はこのまま新選組に居続けるつもりなのか?幕府に忠義を尽くす理由など無いだろう」
「・・・」
伊東の言う通り、シンは幕府の行く末に興味はない。
ただ傍観するだけだ。
「なにが・・言いたいんですか?」
「いや・・隊内のことに目をやるのも、わたしの仕事なんでね」
伊東が袖に手を入れて腕を組む。
「特に・・将来のある若い隊士には、もっと広い視野を持ってもらいたい」
なにやら空を見上げている。
「広い視野?」
「そう・・時流という大局を読む目を」
「・・・」
(オレ、勧誘されてんの?)
「時流より空気を読めるようになってください」・・藤堂がいたらこう言うだろう思ったが、口には出さなかった。
2
シンの薄いリアクションに肩すかしを食った感じで、伊東はその場を離れた。
1人になったシンは考え込む。
物理学者でありながら、趣味が高じて史学の博士号も取った赤城教授の影響で日本史にも精通しているが、別に幕末ファンでも維新オタクでもないので、新選組の内情にはさほど詳しくない。
ワームループの被験体になることが決まり、おおまかな幕末史と江戸時代の生活スタイルを頭に叩き込んで、様々な予防接種を受けたが、新選組のことなど、通り一遍のことしか覚えていない。
山南の切腹については、歴史ドキュメンタリーの「新選組の2大粛清」という特集でたまたま観て知ってたくらいだ。
(そういえば・・)
2大粛清のもう1つは、伊東甲子太郎が油小路の変で惨殺されるというものだった。
(確か・・御陵衛士ってのを作って新選組から分離するんだよな。その後で油小路の変が起きる筈だけど・・)
記憶を手繰る。
(・・いつだっけ?)
シンの記憶は時系列があやふやで、肝心の『いつ』かが定かでない。
だが・・ついさっき寒いセリフをキメていた伊東が、無残な殺され方をすることを思うと途端にイヤな気持ちになる。
(オレのしてることって・・未必の故意とか不作為の殺人とかじゃないのかな)
『未必の故意』とは・・・
確定はしてないが「このままいけばそうなるだろう」と予測しながら、あえて放置する行為。
(例:ボヤを見つけながら、火事になるのを未然に防ぐ行為をしないこと)
『不作為の殺人』とは・・・
積極的な救助活動を行わず、結果的に人が死んだ場合、"見殺しにした"とされること。
(例:目の前で崖から落ちそうになってる人を見ても手を差し伸べない行為)
ハッキリ『殺される』と分かってる人間を目の前にして、それでも何もしないでいるのは、許されることでないと思える。
だが・・ 『歴史ヲ改変スルベカラズ』
これは単なる法律などでなく、犯すべからざる人類普遍の法則だ。
シンが史実を伊東に告げたところで到底ホンキにはされないし、おそらく「頭がオカシイ」と思われて終わりだろうが・・。
シン自身は、自らが知ってることを「誰にも言わない」と心に決めている。
薫にも・・環にも。
言えば、自分と同じ葛藤を抱かせるだけだ。
「来るんじゃなかったな・・江戸時代なんか」
ポツリと本心が漏れる。
3
7月20日、14代将軍徳川家茂が病死した。
長州征伐のため大坂城に入っていたが、幕軍の敗戦が続く中、若い命を弱らせた。
侍医の松本良順が不眠不休で就いていたが、結局・・死を看取ることになる。
ところが、新選組の屯所には何も変化はない。
何故なら・・長州征伐を慮った幕府が、将軍の死をひた隠しにしたからだ。
家茂が重体であったことすら極秘裏にされている。
亡くなる前、看病にあたっていた良順は、幕府官僚の無能ぶりを目の当たりにして・・ゲンナリしていた。
(どいつもこいつも・・モッサリしてんなぁ)
老中職に就くお殿様方は、大抵が世間知らずのお坊ちゃまクンで、アタマの方がココロよりも温かいという方々ばかりだ。
おまけに・・将軍の治療にあたり、蘭方医と漢方医の間では性懲り無く覇権争いが起こった。
(いい加減にしろって、クソッ。蘭方でも漢方でも、どっちでもいーんだよ。回復すりゃ)
不眠続きのイライラも相まって、良順の機嫌は最悪だ。
重篤状態になり浮腫みが激しい家茂は、苦しみの中ひたすら良順の手だけを頼った。
良順は、医師というより父のような愛情で、家茂の枕元に座り続ける。
そして・・家茂が身罷るまでの間に否応無く悟ったのは、幕府にはもう力が無いということだった。
家茂が亡くなると、次の将軍に一橋慶喜が推されたが、賛否両論が対立し、慶喜自身も固辞したために、後継問題は年の暮れまで宙に浮くことになる。
(慶喜公かぁ・・ありゃ、将軍にゃ向かねぇよ。頭が良すぎる。あの人が公方様になった日にゃあ、アッサリ幕引いちまうんじゃねーか)
良順が思った通り・・慶喜は将軍職を受けた翌年にアッサリ大政奉還しちゃうのだ。
家茂が亡くなった夜・・不眠不休からやっと解放された良順は、城の中庭に立っていた。
大事の際の将軍職という重圧から解放された家茂のことを思い、悲しみとも安堵ともつかない涙が溢れて出て・・どうにもならなかった。




