第百七十話 月乃
1
大助は馴染みの女を持つことをしない。
廓に行っても指名はしないし、出された芸娘に文句は言わない。
チェンジもしない。
必要以上に女に関わらないのだ。
この夜も・・奉行所の同心が色里に繰り出したので、誘われた大助も、なりゆきで一緒に廓ののれんをくぐった。
床入り部屋に入って、芸娘とたわいない世間話をする。
変にしんみりすると、遊女の身の上話をエンエン聞かされる羽目になったりするので、なるべく浅い話題で場をしのぐ。
事が終われば、長居せずとっとと去ることにしている。
だが、今夜は違った。
相方になった芸娘が、大助の腕の中で囁く。
「旦那はん、ウチのこと覚えとらん?」
ちょっと舌っ足らずな、甘い声だ。
「あ?」
大助が訊き返すと、芸娘がつぶらな瞳を見開いた。
「ウチ、旦那はんに危ないとこ助けてもろてん」
そう言って、大助の目をノゾキ込む。
「え?」
大助は驚いたように娘の顔を眺める。
「え~と・・」
・・思い出せない。
「お座敷でカラまれとったら、旦那はんが来て収めてくれはって」
芸娘が恥ずかしそうに話し続ける。
「あー・・」
確か・・・
聞き込みで揚屋に行った時、昼間だというのに座敷から怒鳴り声が響いて、つい障子の隙間から覗いてしまった。
奥の方で、ガラの悪い酔っ払いが、年若い遊女の腕を引き掴んでいる。
余計なお節介はしたくなかったが、つい商売っ気が出て、酔っ払いの腕を捩じり上げてしまった。
「あん時の?」
大助が思い出したことが心底嬉しいらしく、娘が満面の笑みを浮かべる。
半玉上がりの新米のようだが、愛らしい顔立ちですぐ売れっ子になりそうな娘だ。
「思い出してくれはったんやね。さっきお座敷で旦那はん見た時・・ウチほんま嬉しいて」
そう言って、大助の胸に顔を寄せる。
2
いつもは、事が終わればさっさと去るのだが、今夜は少し流れが違った。
娘が大助の腕に掴まって、安心したようにクッタリしている。
しばらくはそのまま動かずにいたが、たまり兼ねてカラダを起こす。
すると、娘が驚いたように見上げた。
「悪ぃ・・もう行かねぇと」
大助が布団から出ると、慌てて娘も着物をカラダに当てて立ち上がる。
「もう行くん?」
「ああ」
言いながら大助が着物を身に着ける。
芸娘が着替えを手伝おうとするが、大助は少し笑って、自分で着替えを続けた。
「また・・呼んでもらえますやろか」
娘は不安な表情をしている。
「・・分かんねーな」
大助の正直な返事を聞いて、悲しげに顔を伏せる。
「ウチ・・また旦那はんに逢いたいねん」
大助が息をつく。
「・・ダイスケだよ」
「え?」
「オレの名前、イノウエダイスケってんだ」
娘の顔がパッと明るくなる。
「ダイスケはん?」
「ああ、"旦那はん"なんて呼ばれると、ジジむせー気になっちまう」
大助の言葉を聞いて、娘がクスクス笑う。
「おめぇは?なんてんだっけ?」
大助が上からノゾキ込むと、娘が頬を染める。
「ウチ、月乃(つきの)いいます」
言いながら、娘が身を寄せて来る。
「好きや・・ダイスケはん」
3
祇園からの帰り、大助は複雑な気持ちだった。
今までマトモに女と付き合ったことがない。
身体が欲しくなれば遊女を買って解消するという、シンプルな性生活を送っていた。
実は・・大助は、本質的に女という生き物を信じていない。
母親は大助が幼い時分、他所に男を作って家を出ている。
地元では有名なスキャンダルだ。
そんな家の後添いになる女もいなかったため、大助の父はずっと男やもめで、いまだ独り身のままだ。
母親が家を出る時、一番幼い妹を連れて行ったので、家には大助と2人の兄が残された。
ずっと男所帯で暮らしていたが、それはそれで気楽なものである。
家事は雇いの飯炊き女がしていたので不便もない。
一人暮らしをするようになってからも、女と深い付き合いはしなかった。
好意を持たれることもあったが、女心など大助にとってはアテにならない紙切れのようなものだった。
だが・・月乃はなんとなく違って見える。
風俗の女がなぜか素人娘よりピュアに見えるという、不可思議な男性心理かもしれない。
(そういや・・)
とつぜん脈絡無く、大助の頭に浮かんだのは環のことだった。
(オレ、なんであんな嫌われてんのかな)
歩きながら考えるが、やっぱり心当たりが無い。
鳥居でスマートフォンを拾った時から、環は大助にとって少しばかり特別な存在だった。
新選組の屯所にいる身元不明の3人に、純然たる興味を抱いているから。
しかし・・その環に、あからさまに拒絶反応を示されている。
(・・メンドくせ。オンナはメンドくせーや)
結局、最後はそう思ってしまう。




