第百六十八話 恋でなく
1
ミツが用意した昼餉の膳が南部の前に置かれる。
環は持参したおむすびを持って炊事場に向かった。
炊事場に入ると、ミツが自分の賄いの準備をしている。
環に気付くと、笑いかけてきた。
(やっぱ、可愛いなぁ)
ちょっと感心してしまった。
(ほんと・・オンナノコって感じ)
「環はん、お茶入りましたえ」
一緒に食べようとミツが声をかけてくる。
「ありがとうございます」
環はミツの隣りに座ると、おむすびを入れた風呂敷の結び目を開く。
ミツもおむすびを握っていた。
握り飯にパクつきながら会話の糸口を探していると、ミツの方から話しかけてきた。
「沖田はんは・・ひょっとして胸が悪いんどすか?」
「え?」
相変わらず前置き無しの直球を投げられて、環がまごつく。
(南部先生から聞いたのかな?)
「多分・・そうだと思います」
嘘をついても仕方がないので正直に答えると、ミツがフゥーッと息をついた。
「そやから・・もう、子どもらと遊ぶこともせぇへんようになったんかな」
独り言のようにつぶやく。
「沖田さん、よく子どもと遊んでたんですか?」
環が話に乗ると、ミツが嬉しそうに顔を上げる。
「そや。昔は非番の時にはいっつも壬生寺に来て、近所の子らと遊んどったわ」
「へぇー」
「ウチも弟連れてよぉ遊びに行ったんやけど・・沖田はん、子どもに好かれとったんよ」
「そうなんですか?」
微笑ましいエピソードに、環も笑顔になる。
「沖田はんおったら、絶対ドベになることあらへんって、みんな喜んどったもん」
「は?」
2
「なんですか?それ」
ミツの言ってることが理解できず、環が訊き返す。
「そやから・・沖田はんおったら、かくれんぼでも鬼ごっこでも、ずーっと沖田はんが鬼のまんまなんよ」
ミツの言葉を聞いて、環が首を傾げる。
「それ・・わざと子どもに負けてあげてるんじゃないですか?」
ミツが重々しく首を振る。
「ちゃう。あれはガチの負けやわ、絶対に」
「はぁ・・」
「ウチも、沖田はんから"流行り唄教えて欲しい"ゆわれて、教えたんやけど。もう、なんべん教えたっても、ぜんーぜん覚えへんねん」
ミツが眉間にシワを寄せる。
(それ、多分・・なんにも聞いてないんだと思う)
環には目に見えるようだった。
環が見るに、沖田は剣術以外のことには、全くエネルギーを使わない。
つまり・・剣術以外は単なるダメ人間である。
着物の着方もどこかダラしないし、箸の持ち方もなんだかオカシイし、焼き魚の食べ方もうすら汚いし・・いちいち面倒臭そうだし。
土方や山崎などは器用で完璧主義なので、比較的ナニをやらせても人並以上にこなすが、沖田は基本、剣術以外はヤル気ゼロである。
そのせいなのか、どうやら子ども達と遊んでる時の沖田のヒエラルキーは最下層らしい。
環はつい笑ってしまった。
「あはは・・なんか分かる気がします」
「だからかもしれんなぁ」
ミツがつぶやく。
「沖田はんのこと・・ほっとけんようになってしもたんは」
「・・・」
驚いた。
どうやらミツは、沖田の強いところやカッコいいところでなく・・しょーもないダメンズぶりに参ってるらしい。
(沖田さんより強い人探すとか言ってたけど・・全然カンケーないじゃん、そんなの)
環の視線を感じてミツが顔を上げる。
「どしたん?」
「あっいえ、なにも」
環がブンブン首を振る。
(それって、恋じゃなくて・・もう愛じゃないの?)
3
環が診療室に戻ると、南部もすでに昼の膳をカラにしていた。
「いやぁ~うまがっだ。ごっつぉさん」
南部が爪楊枝を咥えながら、軽く手を合わせる。
環と一緒に入って来たミツが膳を片していると、玄関から声が聞こえる。
「先生、いるか?」
声とともに戸口が開かれ、井上大助が入って来た。
「昼飯もう食ったか?」
「おう、大助くん。ちょうど今食い終わっだで」
南部が手を振ると、大助が遠慮もなく上がってくる。
「さっきの治療代置きに来た」
懐から巾着の財布を取り出した。
「大助くん、まだ・・。あんだが払うもんでねぇべ」
南部が困ったように見上げるが、大助は構わず机に小銭を置く。
「いいって。取りあえずだ」
(井上さん、ひょっとして・・自分のポケットマネーで払ってるの?)
環はチラリと置かれた小銭に目をやった。
喧嘩騒ぎが起こるたび、治療費を肩代わりしてたらシンドイと思うが、大助は平気な顔をしている。
「今日は先生ひとりか?」
大助はしゃがみこむと、皿に残ってる漬物を勝手につまみ始めた。
「ああ、吉岡くんと高橋くんにゃあ、家で待機しでもらっでらがら」
「ふぅーん」
パリパリと漬物を食べる大助の前に、ミツがお茶を差し出す。
「お、悪ぃな。おミツちゃん」
湯呑を掴むとグイと飲み干す。
「ま・・いま、ここの医者、3人になっちまったからなぁ」
大助が低い声でつぶやくのを、環が聞きとめた。
「昔はもっといたんですか?」
「・・ああ」
大助が頷くと、南部が後を続ける。
「以前・・もう一人いだっだんだ。安斎っちゅう、若ぐで腕の良いのが」
「安斎先生どすか?ウチも知りまへんなぁ」
ミツが首を傾げると、南部がさりげなく説明した。
「ああ・・おミツちゃん来る前にゃあ、もういねぐなっだがら」
「今どちらにおられるんどす?」
ミツのごく単純な問いに、南部が目を伏せる。
「・・死んだ。あの大火事でな・・逃げおぐれで」
そのまま会話が途切れる。
大助が手を伸ばして、また漬物をつまんだ。




