第百六十七話 診療所
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朝食の片付けを終えてから、環は診療所に出かけた。
祭りの間もケガ人や病人は出るので、診療所は普通に開いている。
シンが道中送ってくれるが、日中もすごい人出だった。
診療所に着くと、南部がひとりで机に座っている。
どうやら書き物に没頭していたらしい。
「おはようございます」
戸を開けた環が声をかけると、南部が慌てて顔を上げる。
「ああ、環ちゃん。おはよう」
そこら辺に書物が散乱している。
中には洋書も混ざっていた。
「今日は、吉岡先生と高橋先生は?」
薫が部屋を見渡すと、南部が、う~ん、とノビをする。
「ああ、家で待機だぁ。祭りの間ぁオレひとりだでな」
要するに、お休みをもらってるらしい。
「環ちゃんは?お祭り見物しだんが?」
南部が環に、床の間に上がるように手で呼ぶ。
「はい、もう。土方さんが行って来いって言ってくれて」
環が草履を脱いで板の間に上がった。
「そりゃいがっだな。どうだった、山鉾」
「すっごいキレイでしたけど・・人があんまり多くて、ちょっと疲れちゃいましたね」
「ああ、確がにな」
南部はニコニコしている。
すると、いま来た玄関の方から声が聞こえた。
「先生、わりぃ。いるか?」
ガラリと戸を開けて・・入って来たのは大助だった。
2
振り返った環を見て、大助が驚いた顔をする。
「環ちゃん?」
「井上さん?」
環も驚いた顔をする。
見ると・・大助の隣りに、もうひとり男が立っていた。
グッタリと頭をもたげている。
大助が自分の肩から首に男の腕を回して、手首を支えていた。
「どうしたね?大助くん」
南部が立ち上がる。
「先生、すまねぇ。コイツ診てやってくれ」
そう言って、男の身体を板の間に横たわらせる。
脇腹から血が染みだしていた。
「血の気の多いヤツらがおっぱじめてな」
大助の着物にも血が付いている。
「バカが一人、刃物持ってた」
どうやら、祭り時で喧嘩騒ぎが起きたようだ。
江戸の町ほどでなくても、京にも血の気の多い輩はいるのだ。
見ると・・ケガをした男の服装や髪形は、チンピラ感丸出しである。
南部がすぐに、ハサミで男の着物を切り裂いた。
傷口がむき出しになる。
「環ちゃん、消毒液取っでくんねが」
南部に言われて、環が棚から消毒液と清潔な布を持ってくる。
「ああ・・こりゃ、縫わねぐてもいいな」
南部はつぶやくと、手際良く作業にかかる。
環は隣りで南部の指示を受けて助手をした。
大助はその様子を、土間に立ったままで眺めている。
「あたたっ!・・あったぁ~~っ!!」
男が大げさに声を上がるが、南部は意に介さず、淡々と作業を進めて行く。
包帯を巻き終わると、わざとらしく男の傷口をポンと叩いた。
「あたっ」
男が恨みがましい目で見ると、南部が道具を片付けながら言う。
「そんたにいでのがやんだったら、ケガなんぞするもんでねど」
「・・?・・」
南部の強い会津訛りは、男にはいまひとつ意味不明だったらしい。
「ありがとよ、先生」
大助は板の間の腰を下ろすと、わき腹を押さえて座ってる男の耳を引っ張る。
「おい」
「あたっ。な、なんでんねん」
「おめぇはこのまま番所に来るんだよ」
「・・へぇ」
男は黙ってうなだれた。
3
「じゃあな、先生。また来る」
言いながら、大助がふと環の方を見た。
「環ちゃん、この診療所に来てたのか」
いきなり声をかけられて、弾かれたように答える。
「は、はい」
「ふぅーん」
少し考え込んだ後で、つぶやいた。
「オレ・・けっこうここ来ること多いけど」
環は上手く言葉が出てこない。
「なんだ?環ちゃん、大助くんのごど知っでんのが?」
南部が口を挟む。
「ああ、新選組の屯所で顔を合わせてな」
替わりに答えた大助の言葉で、南部が腑に落ちた顔をする。
「ああ、そっが、そっが」
環は黙って聞いていた。
この頃、大助に失礼な言動を取っているので、なんだか気まずい。
(井上さん、フツウに接してくれてるのに・・わたし、かなり失礼かも)
黙ったままの環を見て、大助が息をつく。
男の方を向いて声をかけた。
「ほら、行くぜ」
男が顔をしかめながら立ち上がる。
まだ傷が痛むらしい。
大助の手を借りながら、なんとか土間に降りて下駄を履く。
「じゃーな」
そう言って玄関の戸を開けると、外から小さな悲鳴が聞こえた。
「きゃっ」
玄関の前にミツが立っている。
開けようとした戸が、先に開いたので驚いたらしい。
「井上はん?」
ミツが、背の高い大助を見上げる。
「おミツちゃん」
大助は驚いた顔をしたが、すぐに笑ってみせた。
「悪かったな、驚かして」
「なんにもどす」
ミツがニッコリ笑う。
(おミツさん・・井上さんと顔馴染みなのか)
考えれば当たり前かもしれないが、環は少し驚いた。
「先生、すんまへん。すぐにお昼の支度しますよって」
ミツがペコリと頭を下げて、大助と入れ違いに中に入って来る。
環と目が合うと、笑って会釈した。
つられて環も頭を下げたが・・自分がなんとなく浮いてる気がして、ぎこちない笑顔になった。




