第百六十五話 夢
1
町はずれの空き家の板の間に、拾門がゴロ寝している。
目を瞑ったまま、口を開く。
「帰ったのか、一二三」
「うん」
戸口に一二三が立っている。
「楽しかったよ、祇園御霊会」
頭巾を解いて、土間に入る。
「思った以上に・・」
「へぇー」
拾門がムクリと身体を起こした。
2人は大津の宿で寝泊まりしてるが、京に来る時はこの空き家を良く使う。
「面白いモンでもあったのか?」
拾門の問いに、一二三が軽く答える。
「まぁね」
薫のドングリ眼を思い出す。
偶然見かけただけだが、ついイタズラ心を起こして声をかけてしまった。
薫を見ると、どうしてもからかいたくなる。
あまりにも予想通りの反応をするので、逆に新鮮だ。
「で・・どうすんだ?」
拾門が見上げる。
「戦はまた起こるよ。肝は長州じゃないね、薩摩だ」
一二三は腕を組んで柱に寄りかかった。
「オイシイ方につくさ。今まで通り」
一二三が江戸には行かず京に居残ったのは、京が江戸より危険だからだ。
新選組に追われる身で、さらにまたこの地で動乱が起きるだろうと思われた。
危険なことに惹きつけられる・・理屈抜きで。
より生存率が低いエリアに身を置くことが愉しくて仕方ない。
拾門は息をついた。
「土佐藩はどう動くのかな・・」
2
その夜、薫は奇妙な夢を見た。
誰かに抱っこされて、祭りの提灯を見ている。
大人の腕にスッポリ収まってるのは、自分のカラダがまだ幼い子どもだからだ。
ペッタリとカラダを預けて、甘えている自分をあやしているのは・・・。
見上げると・・自分を抱いている人には顔が無い。
怖くなって泣き出した途端、暗闇にポツンとひとり残される。
カラダはもう子どもじゃなく、今の自分になっていた。
振り向くと・・暗闇に鬼の顔が浮かんでいる。
恐怖に囚われて、金縛りのように身体が動かない。
そこで目が覚めた。
「うわっ」
小さな悲鳴を上げて、布団から飛び起きる。
横を見ると、隣りで環がスヤスヤと寝息を立てていた。
夢だと分かってホッとしたが、それでも鼓動が激しく打っている。
昔から、時々こうゆう夢を見る。
幼い時の記憶を呼び起こそうとすると、決まって鬼が現れる。
そこで・・終わってしまう。
祇園祭りの人波を見た時、一瞬、妙な既視感に襲われたが気にも留めなかった。
(昔、誰かに・・お祭りに連れてってもらったことがあるのかな?)
薫は考える。
(誰なんだろ・・)
思い出せない。
それが施設に来る前なのか、施設に来てからの記憶なのかも定かでない。
(そういえば・・園長先生や施設のみんな、元気かな。どうしてるんだろ)
普段考えないようにしているが、なんとなく元の時代のことが思い出された。
薫は膝を抱えてしばらく考えていたが、そのうち諦めて身体を横にした。
途端に眠りに誘われる。
今度は夢は見なかった。
3
翌日、さっそく麹屋に向かった。
甘酒の作り方は割と簡単に教えてくれたが、結果的に言うと・・屯所で作るのは諦めた。
温度管理が困難なためだ。
冷蔵庫も保温器も無い時代、一定の温度管理が出来るのは倉しかない。
屯所ではとうてい無理だった。
つかず離れずで見張ってるなど、プロの職人でなければムリである。
自家製は諦めて、明日から毎日、麹屋の甘酒を卸してもらうことにした。
(※当時の甘酒は、幕府から価格の上限を設けられており、値段は比較的安価である)
それと・・ヨーグルトを作るために、牛乳の温度管理を倉で一緒にしてもらう約束を取り付けた。
職人は不思議そうな顔をしていたが、興味を持ったようである。
乳酸菌を作り出すためには発酵させなくてはいけないが、温度が高すぎると菌が死んでしまうし、発酵が進み過ぎると腐ってしまう。
ヨーグルトは全くの試行錯誤の試みなので、失敗は覚悟の上だ。
薫は毎日、麹屋に通うつもりでいる。
(そういえば・・沖田さん、朝に咳き込んでたな)
ここのところ・・夜の見廻りが増えたせいか、沖田の体調が思わしくない。
日中でもよく咳き込んでいる。
どうやら夏風邪をひいたようだが、聞いても笑うだけで何も答えない。
薫は麹屋から分けてもらった甘酒を抱えて、屯所への道を急いだ。
(甘酒に漢方薬入れたら飲みやすくなるよね)
わがままな子どもに薬を飲ませるため頭を悩ます母親のように、沖田に大人しく薬を飲んでもらう案を練っている。
屯所に戻ってさっそく甘酒を作ると、沖田の部屋に向かった。
「沖田さん、薫です。入っていいですか?」
声をかけても返事がない。
いないのかと思って障子を開けると、布団の上で沖田が寝息を立てている。
夜の見廻りのために、日中仮眠を取っているのだ。
薫は甘酒を載せたお盆を脇に置くと、枕元にコッソリ座る。
顔をノゾキ込むと、仮眠どころかけっこう熟睡しているのが分かった。
(そうだ、今だったら・・)
ソッと手を伸ばす。




