第百五十六話 麻疹
1
数日後、吉岡が回診に来て、沖田を病室で診察した。
「少し痩せたんでねが?沖田さん。ちゃあんど飯食っでるが?」
着物の前を肌けた沖田の上半身を診て、吉岡が訊いた。
「食べてますよ、ご心配なく」
沖田は薄笑いを浮かべている。
「安静にせいっちゅうても無理だけんじょ、せめで食うもんは食っで精をつけんごどにゃ」
吉岡の言葉を、沖田は黙って聞いている。
薬を処方すると、吉岡が立ち上がった。
「んじゃ、環ちゃん。あどは頼むで。オレは源三郎さんの傷ば診で来るがら」
そう言って病室を出て行った。
衿を合わせる沖田に、環が声をかける。
「沖田さん」
沖田が顔を上げると、環は少しためらってから口を開く。
「あの・・おミツさんが、南部先生の診療所で働いてるの・・知ってますか?」
沖田は一瞬黙ってから、ボソリとつぶやく。
「ああ」
環は驚いた。
(知ってたんだ・・)
「で?」
さしてキョーミも無さそうに、沖田が訊き返す。
「おミツさん・・まだ沖田さんのこと忘れてないみたいですよ」
さりげない口調で環が答える。
「ふーん・・あっそ」
沖田が立ち上がる。
「んで、オレにどうしろってのさ?」
「どうしろって・・そんなんじゃないですけど」
(やっぱ、余計なお節介だったな)
環は困ってしまった。
「沖田さんのこと好きになるなんて・・相当なチャレンジャーですよね」
「イミ分かんねぇ」
「沖田さんよりも強い人がいなくて困ってるって」
環が低い声でもらすと、沖田が目を開く。
「なんだ、そりゃ?」
「だから・・沖田さんより強い人と出会えば、忘れられるってことじゃないでしょうか」
余計なお節介と分かってるのに、口が止まらない。
「へぇー・・オレより強いヤツねー」
沖田が面白がってる声を出す。
2
「そうだなぁ・・服部さんなら、ひょっとしてオレ負けるかも。斎藤とも、勝ったり負けたりだし。大助だって五分五分ぐれぇだぜ」
沖田はクスクス笑ってる。
(服部さんとか、斎藤さんとか、井上さんとか・・そんな近場の話をされても)
環は、沖田の鈍感さにゲンナリした。
『強い男と出会えば忘れる』という言葉を、額面通りに捉えているのだ。
沖田に言葉の裏にあるものを読み解けと言っても、とうていムリだろう。
(ダメだよ、おミツさん。やっぱ忘れた方いいよ、絶対。・・ムリだって、この人)
環は、心の中でミツを説得していた。
黙り込んだ環を見て、沖田は首をすくめる。
「もう行くぜ。んな、アホくせー話に付き合ってらんねぇよ」
そう言って、さっさと病室を後にした。
残された環は、自己嫌悪に陥っていた。
以前、薫に「他人の恋愛に干渉しない方がいい」と言ったのは自分だ。
なるようにしかならないんだ・・と。
だが・・ミツを見てると、ついなんとかしてあげたくなる。
今更ながら、薫の気持ちが分かった。
逆に、沖田の冷血さには感心する。
よく、あんな可愛い人を袖にできたものだ・・と。
ふと・・机の上の問診表を手に取る。
検診の際に答えた沖田の病歴が書きこまれていた。
(・・麻疹?)
目に止めたのは、4年前に沖田が麻疹に罹っていたところだ。
(・・確か・・)
雨宮の父が言っていたことを思い出す。
結核菌は、薬が開発される以前、日本人の半数以上が保菌者だったという話がある。
感染力は強いが、菌自体はそれほど強いものではない。
免疫力のある大人なら、ほとんどが発病も排菌もせずに治まってしまう。
だが・・糖尿病の合併症などのように、他の病気の発病で免疫が低下し結核菌が表に出て来る。
(もしかして・・)
沖田の結核は、麻疹の発病で起きたことなのか?
環はしばらく考え込んだ後、ため息をついた。
どこで感染して、いつ発症したのか・・それが分かったところで、どうにもならない。
対処の仕様がないのだ。
(ホント・・なんにもできないんだな。わたしは)
無力さがつくづく身に染みた。
3
それからしばらくして、別の恋バナ事件が屯所の外で起きた。
廻り方同心の井上大助が、なにやら渋い顔で新選組の屯所に訪ねて来た。
土方の部屋で2人で話し込んだ後、稽古場にいる島田のところに連れだってやって来る。
「力さん、山崎はいるか?」
土方が呼ぶと、防具をつけたままで島田が近寄ってきた。
「山崎ならまもなく戻ってくるがね。どうしてまったか?」
島田の問いに、土方が渋い顔をする。
「いや・・戻ったらすぐ顔を出すように言ってくれ」
土方と大助が道場の外に出ると、原田が素振りをしている。
槍使いなので、表で練習することが多い。
「おう、大助。来てたのかよ」
2人の姿を目にとめた原田が、素振りを止めて声をかける。
「左之さん、ひさしぶり」
大助が笑いながら、頭を下げる。
階段を降りる大助の後に、土方が続いた。
「どうしたんだよ?今日は」
沖田じゃなく土方といるのは、何か事件がらみだろう。
「いや・・どうも、こうも」
大助が口ごもる。
すると、入口の方から永倉と沖田と斎藤と藤堂が、ガヤガヤと喋りながらやって来た。
見廻りを終えて戻って来たところだ。
「大助じゃねーか?どしたんだよ」
沖田が声をかけると、大助が頭を掻く。
「いやぁ・・ちっと面倒なことが起きちまってな」
「なんだよ?」
沖田が近付いて訊くと、大助が息をつく。
「いや・・番所に通報があってな。新選組の隊士が女を付け狙ってるって」
「はぁ?」
一斉に声をあげる。
「誰だよ、そいつぁ」
永倉が訊くと、大助が低い声で答える。
「それがどうやら・・山崎さんらしいんで」




