第百五十五話 恋バナ
1
しばらくしてから源三郎の部屋を後にした。
環と一緒に部屋に戻ろうとした薫に、土方が声をかける。
「おい、オメェ。ちょっと来い」
明らかに薫の方だけを見ている。
隣りの環が横目で見た。
「わたし・・先に戻ってるね」
「う、うん」
薫は頷いて、土方の方を向く。
「なんですか?」
土方は腕を組んで薫を見下ろす。
「おめぇ・・オレが前に言ったこと忘れたのか?このトリ頭」
「は?」
薫が訊き返すと、土方が不機嫌な声で答える。
「オカズは個別の皿で出すようにと言ったろーが」
(ああ・・アレか)
薫は腑に落ちた。
そういえば・・以前、土方からそんなことを言われた気がする・・が、すっかり忘れていた。
「・・そーでしたっけ?」
とりあえず白ばくれてみると、土方が鼻白んだ顔をする。
「ったく・・オメーは」
「・・土方さんって、小言ジジイみたい」
薫が小声でつぶやくと、土方が眉をつり上げる。
「あっ?今なんつった?」
耳を疑う言葉だったのか、土方がグイッと顔を近づける。
整った顔を間近に持ってこられて、薫は思わず後ずさった。
「だ、だから・・そんな細かいこと言ってちゃ、ラストサムライが泣きますって」
「・・らすと侍?」
土方が眉を潜める。
「なんだ?そりゃ」
「え、えーと・・あの・・」
薫がごもってると、土方が薫の顔をノゾキ込む。
「オメェ、ひょっとして熱でもあるのか?ほっぺた赤ぇぞ」
そう言って手を伸ばした。
土方の手が触れたか触れないかくらいで、薫が乱暴に振り払う。
「熱なんてないですっ」
そう言って踵を返すと、一目散で廊下を走り出した。
土方がポカンと見送ってる。
「・・なんだ?アイツ」
(あの人・・なんか心臓に悪いよ~・・)
薫は首の辺りが痒くなっていた。
2
外出禁止が解けた環は、翌日、南部診療所にでかけた。
往復の道中はシンが警護する。
診療所に着いて手を洗おうと炊事場に行くと、ミツが漬物を漬けている。
「あ・・あのぅ・・」
環の声で、ミツが顔を上げた。
「手を洗わせてもらえますか?」
環の言葉に、ミツは立ち上がって軽く会釈した。
「へぇ、どうぞ」
ミツに促されて、環が柄杓で手を洗う。
振り返ると、ミツが手拭きを持って後ろに立っていた。
「使うとくれやす」
「あ、ありがとうございます」
(京の人って、はんなりしてるよなぁ)
そんな事を思いながら環が手を拭いていると、ミツが口を開いた。
「ウチのこと、聞きはりました?」
「え?」
環の手が止まる。
「ウチが壬生川に入ったこと・・知ってはりますのやろ?」
ミツの言葉に、環が固まる。
いきなりこんな直球を投げられると思ってなかった。
「えっと・・いえ」
なんとか誤魔化そうと思ったが、ミツの目を見るとウソが言えなくなった。
「・・知ってます」
ミツは息をついて、クスリと笑い出す。
「ウチのこと・・バカな女やと思うてはりますやろな」
「いえ、まさかっ」
環がブンブン首を振る。
正直言うと・・『沖田の嫁』という、リアル感ゼロの未来予想図に突っ走る気持ちは、とうてい理解の外だった。
(もっと現実的な相手を好きになった方が良いだろーとは思ったけど・・)
環がモゴモゴ考え込んでると、ミツは溜息をついた。
「ウチ・・沖田はんのこと、まだ忘れられへん」
「えっ?そ、そうなんですか?」
環は苦い顔をする。
(うわっ、いらないこと聞いちゃったよー)
「沖田はんより強ぅて、ええ男探すつもりやってん・・見つからへん」
ミツが諦めたように笑った。
「はぁ・・?」
(沖田さんより強い人って・・)
環はポカンと口を開けた。
3
「あ、あのぅ・・」
環がつい口をはさむ。
『いい男』は主観的な問題なので置いておくとしても、『強い男』は意味合いによっては客観的な判断になる。
「沖田さんより強いって・・剣のことですか?」
恐る恐る訊くと、ミツがコクリと頷く。
「へぇ・・沖田はんより腕の立つ人でないと、ウチ・・なんかくやしいて」
(・・それじゃあ、見つかんないよ)
環がゲンナリと顔を下げる。
どうしてミツはいつも、現実的な視野から外れた希望を抱くのだろう。
環はつくづくとミツを見つめた。
環よりどう見ても20cm近く身長差がありそうな小柄な身体で、顔も全体的に小作りで可愛らしい小動物のような顔をしている。
目は、生き生きとした光を放っている。
ミツがその気になれば、いくらでも求婚してくる男はいるだろう。
(なのに、なんで・・)
自分を勿体ないと思わないのだろうか?
環が黙り込んでいると、ミツがポツリとつぶやいた。
「やっぱ・・ウチ、馬鹿な女やろか」
「え、いえ・・」
(バカじゃない、決してバカだとは思わないけど・・)
「環はんには・・好いた人はおらへんの?」
ミツが訊いてくる。
「え?・・いえ、わたしは・・」
つぶやきながら、小さく首を振る。
(いちいち直球だな、この人。ハッキリ言って、ほとんど初対面なんだけど・・)
「そうどすか・・ほな、分かりまへんやろな。なんぼ頑張っても、ウチの気持ちは」
ミツが笑いながら息をつく。
「・・・」
環が言葉を探してると、ミツはひとりで話を続ける。
「忘れた方がええ分かっとっても・・忘れられへん。他の男の人なんぞいらんのどす」
「・・っ」
環は、今度こそ本当に何も言えなくなった。
『沖田より強い男』など、おいそれといないと分かっていて、ムリなボーダーラインを引いてるのか。
それはつまり・・沖田を忘れるつもりがないということなのか。
恋を知らない環に、そんな気持ちはとうてい分からなかった。




