第百五十三話 ニガテ
1
谷と別れて旅籠を出ると、拾門は足を速めた。
一二三を空き家に残してきたのが気になっている。
頭巾で顔を隠し足早に過ぎようとするが、道の向こうに新選組の隊服が見えると、その都度物陰に身を潜めた。
(チ)
心の中で舌打ちする。
一二三の腕は、まだ傷が癒えていない。
2人はケガをしても医者にかからず、自分たちで治療する。
薬種問屋に寄って行きたいが、隊士がウロついていて思うように動けない。
陽が落ちれば楽に動けるが、問屋が閉まってしまう。
隊士の姿が見えなくなるのを辛抱強く待って、やっと薬種問屋に行くことが出来た。
しばらく町に来なくて済むよう、アレコレ買い占める。
風呂敷を肩にかけ、人混みに溶けるように歩き出す。
自分が一緒にいる限り、一二三を死なせることは絶対にしないと拾門は決めている。
頭(かしら)に拾われ軽業小屋に連れて来られた日、初めて一二三に逢った。
年の近い拾門の顔を興味深げに下からノゾキ込む一二三を見て、こんな可愛い子といられるなら悪くないなと思ったことを思い出す。
その頃の一二三は、男言葉をしゃべっていても女の子にしか見えなかった。
数日後・・川で立ちションしてる一二三を見て、拾門の初恋はあえなく散った。
それから・・キツイ訓練に耐えかねて何度か脱走を試みたが、成功せず連れ戻された。
しかし・・ある時から逃げることを止めた。
拾門よりも先に忍びの仕事を任された一二三が、初仕事で大怪我をした。
医者に診てもらうこともなく、布団にあおむけに寝たまま顔をゆがめる一二三の傍で、ずっと看病した。
首に巻いたさらしの下から血が滲んでくるのを、祈る思いで見つめていた。
あの時、心の中で誓った。
一二三よりも強くなって、一二三を守ろうと。
その言葉通り・・誰よりも訓練に励み、拾門の腕は格段に上がった。
小屋から足抜けした後も、ずっと2人で生きている。
どちらかが死ねば、もう片方は一人きりになってしまう。
2
数日後、大助が屯所に来た。
「赤尾」の包みをぶらさげている。
千枚漬けは源三郎の好物だ。
相変わらず顔パスで門を抜けると、病室に向かう。
「入っていいかぁ?」
声をかけると同時に病室の戸を開けると、箸で鍋をかき混ぜている環が驚いた顔で振り返る。
「い、井上さん?」
熱湯で煮沸消毒していたところだ。
「お、環ちゃん。ちょーど良かった」
言いながらズカズカと中に入る。
「源のオッサンは?」
「あ・・源三郎さんなら、自分の部屋で休んでますけど」
環は稽古着に白の割烹着という出で立ちである。
「そっか・・んじゃ、行ってみるかな」
言いながら大助は腕を組む。
「環ちゃん、割烹着似合うなぁ。どーせなら娘姿で拝みたいね」
大助はニコニコ笑ってるが、環は黙り込んでいる。
無言で割烹着を脱ぐと、そのまま大助の横をすり抜けて戸口に向かう。
「あ・・おい、環ちゃん。どしたんだ?」
大助が慌てて振り返ると、環が足を止めた。
振り返ると、俯きながらつぶやく。
「わたし・・井上さんってニガテなんです。ごめんなさい」
大助の顔から、一瞬表情が消える。
「えっ?・・えっと・・え?」
大助はポカンとしてるが、環は黙り込んだままだ。
「えーっと・・オレなんかしたっけ?嫌われるようなこと」
大助が頭を掻きながら訊くと、環が小さく首を振る。
「キライじゃないんです。・・ニガテなんです」
(どう違うんだろ?)
大助はリアクションが取れない。
「すごくニガテなタイプなんです、井上さんって。ごめんなさいっ」
そう言って、環は戸口から出て行った。
「・・苦手なたいぷ?」
大助は、半ばボーゼンとつぶやく。
「たいぷって、ナニ?」
3
源三郎の部屋で、大助はあぐらに頬杖をついている。
源三郎はふとんの上で起き上がってる。
傷口は大分塞がった。
「どーした?大助」
源三郎が声をかけると、大助が頬杖をついたまま顔を向ける。
「いや・・なんかさっき、環ちゃんに"苦手なたいぷ"って言われちまった」
「苦手なたいぷ?」
源三郎が訊き返すと、大助が頬杖を解く。
「・・イミ分かんねーだろ?」
「そりゃまぁ・・苦手だってことだろ?」
源三郎がアッサリ言うと、大助が首を傾げる。
「・・わっかんねーな」
ブツブツともらす。
これは男子がよく遭遇する悩みである。
理由はハッキリしないが、とつぜん女子から「ニガテ」「キライ」という言葉を浴びせられる。
心当たりも無いのに、これ見よがしに避けられる。
この手の悩みは、江戸時代も平成時代も変わらない。
だが、どんなに考えても、環に嫌われるような覚えがない。
「・・手当してもらった礼はちゃんと言ったし」
大助は天井を見上げる。
「うーん」
「気づいてないだけで、なんかしたんだろ?お前」
源三郎がまたアッサリ言った。
「・・身に覚えがねぇ」
大助は腕を組むと、ふとつぶやいた。
「・・もしかして、告られたのかな?」
「・・なんでそーなる?」
「いや・・女が男にキライって言うのは、逆の意味だってよく聞くからさ」
「ぜんぜん言葉通りだろ。苦手って言ったら苦手なんだよ」
2人はしばらく黙っていたが、また源三郎が口を開いた。
「環ちゃんは真っ正直なコだ。おそらく・・そのまんまの意味だろう」
「・・そっか」
釈然としない顔で、大助がポツリとつぶやいた。




