第百二十五話 壬生狼
1
新選組の隊士は、京者から壬生浪(みぶろ)と呼ばれている。
(発足当時は金もなく、"身ボロ"と呼ばれ笑われていた)
西本願寺に移ってからも壬生寺を修練所にし、壬生村との馴染みを持ち続けている。
しかし・・いま京の町で不逞浪士を取り締まる彼らは、壬生狼と呼んだ方が似合っている。
薫と環は、八木邸にいた頃には見ることがなかった光景を目にするようになった。
見廻りから戻った隊士の服に返り血が付いていたり、捕縛された浪士が血まみれで縛り上げられていたり。
ここで心の平穏を保つには、『見ざる、聞かざる、考えざる』の3ザルである。
薫と環は、西本願寺に移ってすぐにこの3つを会得した。
土方を筆頭に組長以下幹部は、薫や環が普段見知ってるのとは違う凄まじいカオを持っている。
それらの片鱗を垣間見ることがあっても、あえて目を逸らすのが平和に暮らす知恵だった。
隊士たちの方も、薫と環に血腥いモノを見せないよう気遣っている。
血で汚れた着物を洗わせることはしないし、2人のテリトリー(炊事場や病室)に血塗れた姿では近づかない。
薫と環はエグイものを見ない努力で、なんとか平和な生活を送っていた。
屯所の一番奥が、薫と環の部屋になっている。
隣りが沖田、次が土方、そして斎藤・藤堂、永倉・原田という部屋割りだ。
(比較的ケダモノは遠くに配置しているが、さほどの差はないかもしれない)
近藤と懇意になった幕府ご典医松本良順の指示により、病室や浴室が完備され衛生管理は格段に上がっている。
牛乳を飲むようになり、ブタ肉を賄いのメニューに取り入れてる。
屯所内に柵を囲い、炊事場に出る残飯をエサにブタを飼育している。
良順が、弟子の南部精一郎に隊士の定期検診を指示したので、診療所から頻繁に医者が往診に来るようになった。
病人とケガ人の見本市のようだった新選組が、ずいぶん人間らしい生活に変わったものだ。
松本良順・・医学所頭取。
この優れた蘭方医は、新選組という野猿のような剣客集団に熱烈な愛情を永く注いでゆく。
2
「なんか、環に"セクハラで訴えますから"とか言われたぜ」
原田が話し出す。
屯所の庭の木の下に、永倉と原田と斎藤が立っている。
昼飯の後の休憩だ。
「"せくはら"ってなんだよ?」
永倉が首を傾げる。
「さぁ・・"イイオトコ"ってイミじゃねーか?」
原田はニヤニヤ笑っている。
「ゼッタイ違いますよ。ゼッタイ悪口です」
斎藤が即座に否定する。
「悪口っていやぁ・・斎藤。谷さんがこの前の介錯のこと、アチコチでおかしく言いまわってるらしいじゃねぇか」
原田が声を低くすると、斎藤は黙り込んだ。
「・・・」
「ふん・・逆恨みもいいとこだぜ」
永倉が忌々しい口調でつぶやく。
「オレぁ・・どーでもいーす」
斎藤はさしてキョーミ無さそうにつぶやく。
永倉と原田が目を合わせる。
すると門の方から藤堂がやって来た。
原田が手を振ると、気付いて近寄ってくる。
「よぉ、平助」
「ああ・・左之さん」
藤堂はなんとなく歯切れが悪い。
「なんだよ、また伊東さんに掴まってたのか?」
「・・・」
藤堂は何かというと、伊東に呼ばれる。
さっきも別宅で昼飯を取りながら、エンエンと話しを聞かされた。
藤堂がゲンナリした顔を見せても、伊東はイッコウ気にせず話し続ける。
新選組を攘夷派に変えようと思ったが、思い通りに進まず不満が溜まってるらしい。
藤堂はとっくの昔にもう・・伊東を持て余していた。
(なんかもう・・どーでもいーって、ホントー)
3
土方は、部屋でひとり思案している。
(また・・江戸下りでもするかな)
隊士募集のことだ。
この頃の新選組の入隊試験は、発足以来、最も難関な時期だったかもしれない。
町道場の目録程度では、とうてい及ばなかった。
それでも次から次に入隊希望者が屯所に訪れ、後を絶たない。
新選組の魅力は大きく2つある。
隊士になれば、ソク会津藩士(武士)の身分になれる。
それと、実力主義・出来高主義の制度だ。
入隊前の身分にカンケーなく、腕があれば出世ができる。
近藤はぜんざい屋事件以来、"西の男は信用できない"と思っていた。
もともと「武士は東国」という考えだが、それがもはや確信に変わっている。
土方も似たり寄ったりで、新入隊士はいつも江戸で探している。
だが今は・・その前に始末をつけておきたいことがあった。
近藤が養子に迎えた周平(旧姓:谷周平)のことだ。
この養子縁組は・・完全な失敗だった。
周平は酒と女にダラしなく、若輩者なのに態度だけはデカイ。
池田屋の時は我先に逃げ出し、近藤の怒りを買っている。
谷三十郎(七番隊組長)の弟だが、実は松山藩主のご落胤であるという触れ込みで、その血筋を見込んで近藤が養子に取った。
ところが、とんだハズレ物件だったわけだ。
局長と外縁になった谷は隊内でハバをきかせ、居丈高な言動がすこぶる評判が悪い。
近藤は、この養子縁組をなんとか解消したいと思っていた。
それには土方も賛成なのだが、幹部である谷の手前、なかなか難しい。
(・・谷をなんとかしてぇが)
土方は思案していた。