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第百四十四話 源三郎


 環はポカンとする。

 (そりゃ、病気にかからなきゃいんだけど)


 「つまり・・普段から清潔を心がけて、規則正しい食生活を送るのが病気にならないヒケツなんだなー」

 良順がニコニコとアゴに手をやる。

 「この屯所も、以前は病気の巣だったからなぁ。汚ねーのなんのって。今はまぁ・・マシになったが」


 なるほど・・良順が言ってるのは予防医学のことだ。


 「ここの連中にケガするなってのはムリだから。砲弾の雨ん中、刀で突っ込んでくのが仕事だからな」

 良順が腕組みする。

 「だが・・せめて体調だけは万全にしてやりたい」


 良順がしみじみ言うのを、環は黙って聞いていた。


 「オレがなんで環ちゃんを診療所に誘ったかわかるかい?」

 良順の問いに、環は小さく首を振る。


 「別に、環ちゃんが新しい知識を持ってるから声かけたワケじゃないぜ」

 良順は優しい笑いを浮かべる。

 「医者にとって、必要なモン持ってるって思ったからさ」


 「必要なモン?」

 環が訊き返す。


 「情熱」

 良順が腕を組んだまま、頭を前に出す。


 「情熱?」

 オウム返しに訊き返す。


 「ああ・・人を助けたい、痛みを和らげたいっていう情熱だ」


 環は黙っていた。

 今まで、情熱などという高温系の単語で形容されたことがない。

 小さい頃から、『冷静』『クール』『落ち着いた』『冷めてる』などと言われてきた。


 (情熱・・?) 

 環が黙り込んでいると、良順が環のカオをノゾキ込む。


 「落ち着いたらまた、南部の診療所に来るといい」

 良順の言葉に、環が顔を上げる。


 「なんかやってりゃあ、ホントにやりたことに出会えるかもしれないぞ」





 数日は何も動きが無かった。

 土方が、平隊士2人組を夜の町に何度か歩かせてみたが・・食いついてこない。


 「引っ掛かんねーかぁ・・」

 土方がもらす。


 「ワザとらし過ぎたのかもしれませんね」

 山崎がボソリとつぶやく。


 「・・なんか言ったか?」

 「・・いえ」


 部屋には土方と山崎の2人だ。

 

 「連中・・もう個別の襲撃をやめたのかもしんねぇな」

 土方が身体を後ろに反らせて、息をつく。


 「それで・・漏洩源はわかったのか?」

 土方の問いに、山崎が首を横に振る。

 「いえ・・まだです。申し訳ありません」


 「ふん・・十中八九、武田だろうがな」

 土方が姿勢を直す。


 「武田はどうやら・・薩摩藩との接触を図ってるようです。だが・・薩摩から土佐の谷に情報が流れるのが解せません」

 山崎は首を傾げる。


 もともと土佐は公武合体論を掲げる佐幕派が主流で、土佐勤王党のような過激な尊王攘夷派は藩命により弾圧を受けてきた。

 しかし・・薩長同盟後、活発な動きをする坂本や中岡など郷士の働きかけで、藩の姿勢が変わりつつあった。


 「薩摩は信用なんねぇ・・前年の長州征伐も拒否だったしな」

 土方は物憂そうにつぶやく。

 「引き続き調べろ」


 「はっ」

 山崎は頭を下げて、部屋から出て行った。


 この頃、幹部の打合せは形式的なものになっていた。

 本当の打合せは、個別に各部屋で行っている。


 どこから漏れるか分からないからだ。





 その日、六番隊組長の井上源三郎は、早上がりだった。


 せっかくなので、久しぶりに井上大助と夕飯を食う約束をした。

 大助は源三郎の親戚筋で、昔から息子同然に可愛がっている。


 ひとりで出歩くのは危険なので、大助の友人の沖田も一緒だ。


 「総司、まだか?」

 源三郎が沖田の部屋に声をかけるが、返事がない。


 障子を開けるとカラッポだった。


 「まだ帰ってないのか・・」

 源三郎が息をつく。


 まもなく大助と約束した時間になる。


 源三郎は待ち合わせの時に相手を待たせるのがいやだ。

 例え、年下の大助であっても。


 「う~ん」

 源三郎は迷ったまま、しばらく沖田の部屋で待ったが、結局諦めて立ち上がった。


 沖田は普段から時間にルーズで、約束通りに来たためしがない。

 アテにならないツレを待つのはやめて、先に待ち合わせの店に行こうと決めた。


 大通りを歩いていけば大丈夫だろうと考える。

 まだ日も落ちていない。


 源三郎は試衛館時代からの近藤の兄弟子で、土方も沖田も、源三郎の温厚で誠実な性格を好いている。


 玄関で外履きに履き替えると、門の警備に声をかける。

 「総司が戻ったら、先に行ってるからと伝えてくれ」


 西本願寺の門から出て、歩き出す。


 その姿を、少し離れた旅籠屋の窓から眺めている影がある。


 「ワナかなぁ?いくらなんでも無防備すぎでしょ・・井上さん」

 窓から少し頭を出したまま、一二三がつぶやいた。





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