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第百四十三話 フツー


 「そーやって、口から魂出すのヤメテくんない?うっとーしーから」

 沖田はいつものぶっきらぼうな口調だ。


 「お、沖田さん」

 薫は思わず身構える。

 「た・・魂出すって」


 「はぁーとか、ふぅーとかさ」

 沖田が眉をひそめる。

 「インキくせーのがうつっちまう」


 「す、スミマセン」

 素直にあやまる。


 「オメェ・・探索にゃ向いてねぇな。人のこと信じ過ぎる」


 「・・あたし・・ホントは・・薩摩とか長州とか土佐とか、よくわかんないし」

 薫が低い声でつぶやく。

 「・・鹿児島っていえば、サツマイモと黒豚しか思い出さないし。山口ったら、下関のフグ食べたいなって思うし。高知は・・」


 言葉が途切れる。

 「高知は・・」

 失礼なことに、高知県の特産品が思い浮かばない。


 (高知って坂本龍馬しか思いつかないや・・でも絶対、言えない)


 「ナニ言ってるのかサッパリわかりません」

 沖田が冷えた目つきで薫を見下ろす。


 「オメェなぁ・・だったら、この屯所にいるのはヤバイぜ」

 沖田が腕を組む。

 「ここにいりゃあ、どーしたって連中とヤリ合うことになんだ」


 「っ・・・」


 「オメェら3人が、どっから来たのかは知んねぇが・・巻き込まれんのがイヤなら、とっとと元いたとこに帰れ」


 沖田の言葉に、薫が泣きガオになる。

 (帰れって言われても・・)


 「それができねぇんなら・・どっか奉公先みっけて、フツーに暮らすんだな」

 そう言うと、沖田は踵を返した。


 行きかけた足をふと止めて振り返る。

 「その前に・・オンナモンの着物ぐれぇは着れるようになれよ」





 「沖田さんが?」

 環が訊き返すと、薫がコクリと頷く。


 「フツーに暮らすかぁ・・」

 環が膝をかかえる。

 「やっぱ・・もう、元の時代には戻れないのかなぁ」


 「環・・」


 「ほんのいっときのつもりだったのに・・もう2年だもんね。シャレになんない」

 環がため息をつく。


 「でも、環は診療所の手伝いとか・・この時代でも働くことできるんじゃない?」

 薫の声に少し力がこもる。


 「・・南部先生は会津藩医だし・・新選組のかかりつけだし。良順先生は幕府のご典医だし・・近藤さんの主治医だし」

 環が膝にアゴを載せる。

 「診療所に行っても、新選組と縁切れないけど」


 「ハハハ・・」

 薫の乾いた笑いが響く。


 「そう言えば・・」

 環がふと、思いついたように顔を上げた。


 「以前・・沖田さんに片想いの人が、川に入っちゃったでしょ」

 唐突な環の言葉に、薫が一瞬キョトンとする。

 「う、うん。おミツさんのことかな」


 「その人・・南部先生の診療所にいるよ」


 「えっ?」

 薫が驚いて、顔を上げる。

 「ホントに?」


 「うん」

 環がコクリと頷く。


 「・・沖田さん、知ってるのかな」

 「・・さぁ」


 「おミツさん・・元気?」

 薫の問いに、環はあやふやな顔で頭を掻いた。

 「見た目元気そうだけど・・どうかなぁ。まだ、新選組のこと気にしてるみたいだから」


 「そっか・・」

 薫はおミツの顔を思い出す。

 沖田が袖にした可愛い娘。


 (元気になってれば嬉しいけど・・)

 薫が考え込んでいると、環が立ち上がった。

 「あ、そーだ」


 見上げる薫に、環が答える。

 「今日、良順先生が来る日だから。病室に行って準備しなきゃ」

 「そーだっけ?」

 「うーん」

 環が伸びをする。


 「いってらっしゃーい、ガンバッテ」

 薫が手を振って見送る。





 良順は、ヒマをみつけては足繁く新選組の屯所にやってくる。


 来るたびに、気付いたことを土方に指示する。

 土方は、良順に指摘を受けると即座に改善策を講じる。


 おかげで衛生意識が向上して、屯所の中は格段に清潔になった。

 一番喜んでいるのは伊東だったかもしれない。


 「残念だったね、環ちゃん。診療所に通い始めてすぐに外出禁止になってしまったな」

 良順が声をかける。


 今日は山崎が監察で不在のため、環が良順の補助をしている。


 「いえ」

 環は薬草をえり分けれるようになってきた。


 「環ちゃんは、薬草に興味があるみたいだね」

 良順が訊くと、環が手を止める。

 「そう、ですね・・調合とか、オモシロイです」


 「蘭方より漢方が好みかな?」

 良順の質問に、環はあいまいに顔を傾げる。

 「でもないですけど・・金創はちょっと苦手かも」


 金創とは刀傷のことで、山崎が習っている縫合術のことを指している。


 「そっか・・まぁ、気持ちの良いもんじゃないからね」

 良順は軽く笑う。

 「だが・・漢方の知識をため込んでも、処方できる患者は限られる」


 「え?」

 環が顔を上げる。


 「たいていの庶民は、医者から薬を買う余裕はない。だから、身体の具合が悪くなってもマジナイや民間療法や家伝薬に頼るしかない」

 土方の実家で作っている石田散薬も、そういった家伝薬のひとつである。


 環は言葉を喪った。

 (そっか・・健康保険制度がない時代だから、医療費はまるまる自費になっちゃう)


 「ちゃんとした薬を医者から処方してもらえるのは、上級士族や富豪の商家くらいのものだよ」

 良順の声は少し悲しげだった。

 

 環は手にした薬草に目を落とす。

 自分のしていることが無意味に思えてくる。


 「オレはね・・薬のいらない治療をしたいんだな」


 「薬のいらない治療・・ですか?」

 環が訊き返す。

 (そんなことできるのかな)


 「だから、病気にかからなきゃいーんだよ、要するに」

 良順がアッケラカンとつぶやく。



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