第百四十一話 名前
1
五番隊組長、武田観柳斎は新選組の調練を担当している。
しかし、今年になってから幕府に習いフランス式調練制度が取り入れられた。
同時に武田の甲州流は「古臭い」となった。
もともと近藤に媚びたり、妙な噂話を広めたりするので隊内で嫌われている。
男色家の噂もあって、さらに拍車をかけた。
隊内での影響力が衰えると今度は、対抗勢力の伊東に近付いたがアッサリかわされた。
そしてこの頃は、離隊を視野に薩摩藩へ接触を試みている。
手土産は・・新選組の内部情報だ。
武田が薩摩に流す情報は、薩摩藩邸に出入りする土佐の中岡の耳に入る。
そして・・谷干城へと流れていた。
(※谷は長崎巡察で知り合った坂本龍馬を介して中岡慎太郎と昵懇になっている)
新選組の情報は、薩摩藩と土佐の過激派に横流しだった。
薫と環の諜報活動は、もともと幹部しか知らされていない。
しかし・・それも、武田からすぐに耳打ちされていた。
一二三と拾門は谷に呼び出された時に、情報交換をする。
オンナの隊士が祇園に潜入すると聞いた時、タラし込んで情報源にしてやろうと思った。
幼い外見に反して海千山千の猛者である一二三は、オンナの扱いにも手練れている。
だが・・思ったよりも、薫と環にたいして幹部連中のガードが堅かった。
「どうしよーかな」
一二三がつぶやく。
一二三や拾門にとって、土佐も薩摩も長州征伐もドーデモイイことだ。
この国の行く末にもキョーミ無い。
功名心ゼロなので、手柄を立てる気もない。
頭にあるには、ただ・・生き抜くことだけである。
「容易く殺(ヒネ)れそうなのは、九番隊の鈴木だけどな」
拾門がつぶやく。
「鈴木はダメだよ。服部と篠原がくっついてる」
一二三が窓の外に目をやりながら答える。
「オレとしちゃ、武田のクソヤローこそシメたいけどな」
「まーね・・」
一二三がユックリ立ち上がる。
「消去法でいくと・・狙うなら」
拾門が団子を食べながら見上げると、一二三が見下ろしながらつぶやいた。
「六番隊組長、井上源三郎だ」
2
それから数日は何事もなく、落ち着いた日々だった。
あれきり一二三は丹波に現れなくなった。
(沖田さんが脅すから・・もうー)
薫は気にならないワケではないが、逆にどんな顔をすればいいのか分からないので、少しホッとしていた。
忙しく団子にタレを塗っていると、目の前に人が立っている。
「いらっしゃいま・・」
顔を上げると、店の前に一二三が立っていた。
「せ」
言葉が途切れる。
「ひさしぶり、鈴」
一二三が変わらない笑顔でニッコリ笑う。
「一二三・・」
薫は一瞬ポカンとしてしまった。
「あっ・・うん。ひさしぶり」
慌てて、団子を置いて店の前に出る。
「どうしてたの?」
薫が訊くと、一二三は優しく笑う。
「シゴト」
「シゴト・・」
薫がオウム返しでつぶやく。
「うん。で・・もうここに来れないかもしれない」
「え?」
「しばらく、ここから離れることになりそうなんだ」
一二三は相変わらず、優しく笑ったままだ。
「だから鈴とも、もう逢えないかもしれない」
驚くことではない。
一二三は「流れ者」だと言っていた。
「そう・・」
薫がポツンとつぶやく。
チクンと寂しさが胸をよぎる。
一二三は・・江戸時代に来て、初めてできた年の近いトモダチなのだ。
「その前に・・鈴のホントの名前教えて」
3
「え?」
一二三の言葉に、薫が驚く。
「鈴じゃないでしょ・・ホントの名前、教えて」
一二三の声音はどこまでも優しい。
薫は頭が混乱してる。
「どうして・・」
言葉が途切れる。
一二三は薫の右肩に手を載せ・・黙って口元に耳を寄せる。
その仕草に誘われるように、薫の口からつぶやきがモレた。
「薫」
「カオル?」
一二三が訊き返すと、薫がコクンと頷く。
「わかった・・さよなら、薫。また逢えたらいいね」
低い声で囁くと、ゆっくりカラダを離した。
「じゃ」
そう言って去ろうとする一二三の背中に、薫が思わず声をかける。
「お団子はっ・・?」
振り返った一二三がクスリと笑う。
「団子はいーや。今日は鈴に会いに来ただけだから」
一二三を見送った後、目尻に少しだけ涙が浮かんだ。
屯所に戻って土方に報告を上げる時、薫は一二三のことを伝えられないまま部屋を後にした。
自分の部屋に戻ると、先に診療所から帰った環が畳に薬草を並べている。
廊下に立つ薫に気付いて、顔を上げる。
「おかえり、薫」
「ただいま・・」
「・・どしたの?」
薫の元気のない様子を、心配気に見上げる。
「うん」
薫が小声でつぶやく。
「・・一二三って、いったいダレだったんだろ」
「一二三・・?」
環が眉をひそめる。
立ち上がって、薫の顔を見つめた。
「一二三って・・わたしのをさらおうとした、拾門っていうオトコの仲間だ」
「・・え?」
薫の顔から表情が消えた。




