第百四十話 旅籠屋
1
薫の勤務が終わる少し前、丹波の近くにシンが来ていた。
薫と環が町に出る時は、シンが道中護衛をしている。
2人が諜報活動することになって、シンは三番隊から監察方に配置変えになった。
シンの希望もあったが、土方の指図である。
おかげで、2人の護衛ができるし、情報収集できるし、斎藤から逃れることができて、一石三鳥である。
町人風の着物姿で、所在なく路上に立っている。
店を後にした薫が、道で待っているシンを見つけて、目でニコリと笑う。
何気なく前を通り過ぎると、遅れるようにシンが後を追う。
薫の後方10mほどの距離を取って歩き出す。
シンはこの頃、悩んでいた。
『江戸時代にタイムワープした理由』
それが分かる何かが起きると思っていたが、これといった変化も無く期待ハズレの無為の日々だ。
このまま新選組にいたら・・否応なく戊辰戦争に巻き込まれてしまう。
自分はともかく・・薫と環を危険な目に合わせたくない。
だが・・2人がドップリ屯所生活にハマってるので、どうにも身動きが取れない。
なにせ、諜報活動までするようになってしまったのだ。
(ったくもー・・自分たちがどんだけ危険なとこにいるか分かってんかよ)
市中見廻りをやってる自分を棚に上げて、シンは2人が心配でならない。
そうこうしてるうちに、西本願寺が見えて来た。
ホッと息をつく。
2
西本願寺から少し離れた旅籠屋の一室。
2階の窓に、一二三が片膝を立てて座っている。
「一二三」
廊下から聞こえた声と同時に、障子が開く。
桟に手をかけて、くぐるように拾門が入って来た。
「そろそろ、ここも潮時だな」
拾門の言葉に、一二三が振り返る。
「そーだね・・メンが割れちゃったから」
谷干城に雇われてから、ここと、谷が投宿する土佐藩邸近くの旅籠を行ったり来たりしている。
2人が請け負ったのは「新選組隊士の個別襲撃」だった。
成果は今のところ・・幹部は谷三十郎1人で、あとの6人は平隊士だ。
当然・・幹部を仕留めれば、貰う礼金が高くなる。
「・・もう1人くらい幹部をヤリたいな」
拾門が両腕を頭の後ろに組んで伸びをする。
「いっそ・・あの娘たち、人質に取っておびき出すか」
「ダメだよ」
拾門の言葉を一二三が遮る。
「連中、思ったより入れ込んでるみたいだから・・新選組と全面戦争になる」
「フーン」
拾門はオモシロがってる顔だ。
「入れ込んでるのは、お前じゃねーのか?」
「まさか」
一二三が笑う。
「でも・・もっとカンタンにタラし込めると思ったんだけどなぁ」
「どうした?珍しく弱気だな。オンナなんか、さっさと姦っちまえばいんだよ。そしたら言いなりだ」
言いながら、拾門が畳に座る。
「拾門はすぐソレだから」
一二三が息をつく。
3
薫と環に近付いたのは、新選組の内部情報を得るためだった。
一二三は、忍びの巣窟の軽業小屋で生まれて、12の時にはもう殺しの仕事を始めていた。
不運なことに容姿が良かったので、13の年からはオンナたちの相手をさせられた。
一二三が7つの時、拾門が軽業小屋の一員になった。
年は数えで9つだった。
頭(かしら)が拾ってきたのだ。
それから・・忍びの訓練を強制的に受けさせられた拾門は、何度も脱走を企てその都度掴まり、拷問まがいの折檻を受けた。
そのうちに、右目の光も喪った。
拾門にとっては不運だったが、一二三にとっては初めてできた年の近い遊び相手だった。
一二三が15、拾門が17になった時、示し合せて軽業小屋から足抜けをした。
それから2人でアチコチ流れて、忍びの仕事をしながら食いつないでいる。
小屋から抜けても、2人に出来ることはほかに無い。
今更カタギに戻れる筈もない。
数えきれないほど、人を手にかけてきたのだから。
「うぇっ・・また団子かよ」
部屋の中央に置かれた団子の包みを見て、拾門が声を出す。
「文句ある?」
「ここんとこ・・毎日、団子じゃねーか」
「それ3本とも拾門の分だから」
「なんでだよ、お前が食えよ」
わめく拾門を一二三はムシしている。
窓から少し顔を出すと、少し先に西本願寺の門構えが見える。
離れた場所も見渡す視力を持つ一二三の目に、丹波から帰って来た薫の姿が映った。
「おかえり・・鈴」
小声でつぶやく。




