第百三十九話 未遂
1
沖田が傾きながら顔を間近に寄せてくるのを、薫はこぼれそうなほど目を開いて凝視していた。
唇が触れる寸前で、沖田の動きが止まる。
「ナニやってんだ・・突き飛ばせよ」
「え?」
薫はカラダが硬直して動かない。
「え、じゃねーよ」
そう言って、沖田が不自然に曲げていた姿勢を直す。
「バカか、テメーは」
「は?」
「オトコに迫られるたびに、そーやって硬直してるつもりか?」
沖田は冷めた目つきだ。
「それじゃ、あっという間にヤラれちまうぞ」
薫は口をアングリ開けている。
「何のために体術習ってんだ、バーカ」
沖田が眉をひそめる。
「オメェ、ひょっとして斎藤と同じビョーキか?」
「さ、斎藤さん・・?」
「斎藤もオンナ相手だと、ガチガチのデクノボーだからな」
(・・斎藤さんと一緒にされるなんて・・)
薫にも、なけなしのプライドがある。
「お・・沖田さん、ナニしに来たんですか?」
薫は小さく声を震わせる。
「オレ?」
あっ、という感じで沖田が頭に手をやる。
「そーだ、団子買いに来たんだった」
クルリと踵を返すと、スタスタと店の方に戻っていく。
薫もつられて後を追った。
「オヤジさん、30本包んで。持ち帰りで」
沖田が団子をテイクアウトするのを見ながら、薫はボーゼンとしている。
(この人・・ホントに団子買いに来たんだ)
「やっぱ、足りねーかなぁ?・・まぁいいや」
どうやら・・ほかの隊士にも振舞うつもりらしい。
帰りしな、薫の方に目をやると説教口調で声をかけてきた。
「しっかり稼げよ、ガキ」
2
「新選組には、ほかにもオナゴはんの隊士がおったんどすか」
ミツが小さくつぶやく。
「え?・・いえ、わたしは隊士じゃなくて」
環が慌てて首を振る。
(・・"ほかにも"ってどーゆーイミだろ?)
「ほんなら・・どちらさんかのお身内どすか?」
ミツは、環の素性がどうにも気になるらしい。
「いえ・・あの・・ただの居候なんです」
環の答えに、ミツは腑に落ちない顔をする。
「おミツちゃん、環ちゃん困ってるでねが」
南部が声をかけると、ミツがハッとした顔をする。
「す、すんまへん。ウチ、つい・・」
ペコリと頭を下げて、そそくさと部屋を後にした。
「ごめんなぁ~、環ちゃん」
吉岡が困ったように笑う。
「おミツちゃん・・以前、浜崎さんのとこの診療所の手伝いをしてだんだ」
「・・浜崎さんって、壬生村の?」
環が訊き返す。
浜崎の診療所は、壬生の屯所だった頃の新選組のかかりつけだ。
「んだ。そこで・・ちぃーとあってなぁ」
吉岡が言葉を濁す。
「新選組って聞いだら、そのごど思い出しちまうんでねがや」
それを聞いて、環はふと思い当たった。
以前、沖田に片恋の娘が入水騒ぎを起こした。
命に別状は無かったが、その娘は縁談を断って町に奉公に上がったと聞いた。
確か・・浜崎の診療所で働いていた娘だった。
(そっか・・あの人が・・)
環は、ミツが出て行った戸の方を見つめた。
3
帰り道、沖田は包みを開けて団子を1本出すと、歩きながら食べ始める。
コドモのように行儀が悪い。
歩きながら思い返す。
間近に接した時の薫のドングリ眼、一二三の頭の影に隠れる薫の髪、困り果てたような薫の表情。
(ったく・・くだらねーことしちまった)
オトナげないことをしたと、今さらながらアホらしくなってくる。
(ガキの色恋なんざ、ほっときゃ良かった)
そう思いながら、一二三の「妹はもうオトナなんだよ」という言葉が蘇る。
実は・・この頃の沖田と薫、そして環の関係はビミョーだった。
薫と環はもう以前のようなコドモでなく、女性的な匂いを漂わせている。
稽古をつけてる時、汗まみれの2人を見て、ふとオトコの目線になってしまう時があるが、すぐに打ち消す。
以前よりも自分をコントロールできてるので、生理的な反応に振り回されることはない。
だが、もし・・
どちらかに対して沖田が情動を見せることがあれば・・そこには、意外にアッサリ恋が生まれたかもしれない。
しかし・・沖田が2人に感情を動かすことはなかった。
以前と全く変わらず、妹に接する距離感を保っている。
沖田は自分自身の心の動きにも関知しなくなっていた。
恋愛という面倒でハイリスクな作業を、不要なものとして人生から削除したのだ。
理由はカンタンだ。
そう決めたからである。




