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第二百四十六話 朧月


 洛中から外れた廃寺の本堂で、茜は身体を横たえた。


 西本願寺のそばにあった茜屋を引き払った後は、人の寄り付かない廃寺をねぐらにして雨露をしのいでいる。

 薩摩の中村とも、あれきり連絡を取っていない。


 「あ~・・ったく。や~な月夜だな」

 寺の窓から見える霞んだ月を見ながら思い出す。


 薩摩藩邸で、想定外の人物(木戸準一郎)に会ったあの日。


 相変わらず支配的な木戸の言葉を黙殺し、部屋の窓から藩邸の庭に抜け出ると、夜だというのに月明りの中で素振りをしている中村半次郎がいた。


 「オレしばらくここ来ないよ」

 いきなり茜が声をかける。


 中村がギョッとしたように振り返った。

 茜は完全に気配を消し、足音一つも立てないので、いつの間にか背後を取られていた。


 一間ほどの距離に茜の姿を認めると、仕方がないとゆう風に息をつく。 

 「そげん・・いっちゃん何言うちょるか」


 「桂さんが土方を斬れって」

 茜が軽く首をすくめる。

 「薩摩の仕事は請け負ったけど、長州の仕事まで持って来られてもね・・約束違うでしょー、中村さん」


 「薩摩と長州ぁ、今ぁ協力関係じゃど」

 中村が言い聞かせるような声を出した。


 「そんなのオレにカンケー無い」

 アッサリ片づけられる。


 月明かりに照らされた茜の顔は、フザけた笑いが張り付いているが、目だけ異様に底光りしていた。


 「こーゆー不意打ち、二度とゴメンだから」

 フイと顔を横に向けると、助走無しで跳び上がり、藩邸を囲む高い塀の上に舞い降りた。

 「勝手にお見合いの席設けられても迷惑なのよね」


 大男の中村がやや見上げる恰好で声をかける。

 「わい・・木戸さんと昔何ぞあったとか」


 「なんにも」

 茜は白ばくれた口調だ。


 月を背にしているので表情は見えない。

 そのまま暗闇に姿を消すと、足音を立てず走り去った。


 中村は、茜が立っていた塀を見上げたまま頭を掻いている。

 「なんとんしれんこつ、ゆうとるばい・・」


 それきり茜は薩摩藩邸には近づいていない。


 茜屋の荷物を持ち出し、以前から目をつけていたこの廃寺に移った。

 といっても、ほとんど薬草や毒草の類だが。


 洗い物屋は看板だけのことだったので、大した物は置いて無い。

 たまに暖簾を見て入ってくる客がいたが、わざと高めの金額をふっかけて仕事が入らないようにしていた。


 茜は、新選組の屯所移転に合わせて姿をくらませたわけではなかった。

 そんな見え見えのことをしたら「間諜でございます」と宣伝してるようなものだ。


 木戸が出入りする薩摩藩から離れるのが目的であり、それが新選組の屯所移転とたまたまカブったに過ぎない。


 ゴロリと寝転がって、首に下げた十字架を手に取る。

 純銀の十字架は、年季が入って黒ずんではいるが、月明かりを反射して鈍く光っていた。


 「戦利品か・・」

 ポツリとつぶやく。






 淡い春の朧月夜だった。


 4年前、横浜村の裏通り。

 茜の手には血濡れた刀が握られている。


 目の前には、赤毛に近い金髪のフランス人。

 不逞浪士の仕業に見せかけるため、殺しはいつも刀を使っていた。


 この頃・・茜はランダムに持ち込まれる殺しの仕事を高額で請け負っていたが、幕吏や要人の暗殺や異人斬りなどの天誅が主だった。


 過激な攘夷思想を持つ水戸藩や長州藩などでは、藩の正式な承認を得ない過激な藩士が、幕府を困らせるために次から次へとテロ行為を行っていた。


 長州の神代直人(コウジロナオト)等がその筆頭だったが、茜自身は自分の仕事がいったい誰からの依頼なのか分かっていなかった。

 人づてに持ち込まれる殺しの仕事は、依頼主の名前が伏せられてることが多い。


 名前は必要無かった。

 目の前に現ナマが積まれれば、殺人者はそれを懐にする代わりに獲物を襲うのだ。


 外国大使の付き人や上海から来た商人、遊郭で大騒ぎする水夫達など。

 殺せば幕府はその国に賠償金を支払うことになる。


 異人を殺して、幕府を窮地に立たせる。

 一石二鳥のテロ行為であり、この時期大いに流行った。


 実際、横浜村で多発する異人斬りは神奈川奉行所がやっきになって取り締まってるが、イタチごっこの状態だった。


 そして今夜・・


 茜が男に突き刺した腹部からの出血で、道には赤い血溜まりが出来ている。


 「Woo・・mm」

 目の前の異人はまだ息がある。


 茜は冷めた目で見下ろした。


 ー どうせすぐに死ぬのだ。

 ー 誰かに見られる前に立ち去ろう。


 そう思い、トドメをささずに踵を返すと、後ろから声が聞こえる。


 「マッテ・・クダサイ・・タスケテクダサイ」

 脇腹を押さえたまま、フランス人が声を上げている。


 茜は振り返った。


 「・・異人ってバカなの?自分を刺した張本人にフツー助け求める?」

 不思議な物を見る目で首を傾げる。


 すると・・


 フランス人の男が諦めたように息をついた。


 弱々しく両手を合わせると、一心不乱につぶやき出す。

 茜には、その言葉は全く意味を成さなかった。


 だが、今際の際にこの男がどうするのか興味が出て、そばにしゃがみ込む。


 近付いて見ると・・


 男は両手の間に何か握りしめている。

 銀色に光るチェーンの先についている小さなペンダントトップ。


 ひとしきり呟くと、男は言葉をふいに日本語に戻した。

 「ワタシハ・・アナタヲユルシマス」


 か細い声は、遠くの物音まで聞き取る茜の耳に鮮明に響いた。


 「ゆるします?・・なに言ってんのぉ」

 珍しく、驚きの混ざった声が漏れる。


 目の前の男がカクリと目を瞑った。


 「ちょっとオッサン。ヘンな辞世の句、残してかないでよね」

 茜が男の耳元に口を寄せるが、すでに絶命していた。


 半開きになった男の左手には、銀色に光る十字架が載っている。

 茜は手に取り乱暴に引きちぎった。


 十字架を手にして立ち上がる。


 「なんでオレが獲物に許してもらわなきゃなんないんだよ」

 死骸を見下ろしながらつぶやく。


 着物の合わせ目の隠し袋に十字架を入れると、夜道を駆け出した。






 「・・ゴホ・・ゴホッ・・グッ・・」


 道場の裏で、沖田が咳き込んでいる。

 手の平を見ると、月明かりに照らされ、付着した血が赤黒く光っている。


 ふぅーと肩で大きく息を付くと、咳は治まった。


 縁側に座り太腿の上に両肘を置いて、深く頭をもたげる。

 大きく息を吐いた。


 熱が出ているのが自分でもわかる。

 病はごく緩やかにだが、沖田の身体を蝕んでいた。


 薫が用意する漢方薬入りの甘酒やお屠蘇を飲んで調子が良くなったりもするが、どうしても夜になると身体がだるい。

 そして・・いったん咳が込み上げると、治まるまで咳き込み続ける。


 吐血は慣れてるので、それ自体はどうとも思わないが・・あとどの位時が残されているか、剣を振るうことが出来るか、それが気にかかる。


 繰り返す吐血のせいで貧血気味の沖田は、以前より顔色が白くなっていた。

 そのため薫がせっせと魚の血合いだの内臓だの鶏のレバーだのを沖田のお膳に大盛りで出すのだが、これらは沖田の苦手なものばかりだ。


 残すと全部食べるまでお皿を持って後を付いて来るので、薫のストーカー行為に負けて無理矢理食すことになるのだが。

 人間・・全力で示される厚意を無にすることはなかなか難しい。


 (ったく・・毎日人に内臓ばっか食わせやがって)


 つい、心の中で愚痴る。

 血の付いた手で頭をゴリゴリと掻きむしった。


 血抜きすればある程度臭みが取れるが、それでは身体の血にならない。

 薫はあえて血抜きせず、生姜や山椒などで臭みを抑えて出しているが、沖田にはその努力が伝わっていない。


 臭いものを食わせようと自分を追い回す薫が、イジメっ子に見えてくるほどだ。


 「う~・・うげぇ」

 内臓の食感を思い出すと、結核の咳とは違うメンタルな吐き気が込み上げる。


 かったるそうに頭を掻きむしると、億劫な声を出しながら立ち上がった。

 「あーあ・・」


 気だるい足取りで部屋に向かう。


 沖田がいなくなった後・・道場裏には静けさが戻った。


 屋根の上から声が聞こえる。


 「オニーチャン、そろそろ戦力外かなぁ」


 一二三だ。


 不安定な屋根のてっぺんに跨り、器用に座っている。

 朧に霞んだ月明りに、細い身体が淡く照らされていた。


 顔を上げると、ぼやけた月影に目を向ける。

 「春でもないのに朧月かぁ・・仕事するにはちょうどいい月明かりだな」


 音も無く立ち上がると、彼方の洛中に目を馳せた。

 「血の匂いがするな・・またどっかで誰か殺されてんのかな」





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