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第二百四十五話 手当


 「せんだって、母上ど一緒に来でな。縁談決まっだがらって暇乞いされだ」

 南部はなんとなく拍子抜けしたような顔つきだ。


 「縁談っ?」

 環が声を上げる。

 「な、なんで・・」


 「そりゃ、おミツちゃんももういい年だがらな。早えどご嫁こさ出さねば心配なんだべ」

 南部はボリボリと頭を掻く。


 環は言葉に詰まってしまった。


 なんとゆうか・・ミツはずっと沖田のことを一途に思い続けていくと思っていたのだ。


 (でもそんなの・・ムリだよね)


 江戸時代では、女が"行かず後家"になったら、肩身の狭さは平成の比ではない。


 大助が冷めた顔つきでどっこいしょと立ち上がる。

 「あったぜ」

 絵草子を手に土間に降りて来た。


 「ほらよ。もってけ」

 無造作に斎藤に手渡す。


 「おう」

 受け取った斎藤は襟の合わせ目に差し込んだ。

 「借りてくぜ」


 「ああ、返さなくていい。面倒臭ぇから」

 大助の言葉に、斎藤は一瞬キョトンとしたが、すぐに首をすくめた。

 「そっか。んじゃ、もらってく」


 お互い、貸すの借りるののみみっちい遣り取りが苦手なタイプなので遠慮が無い。


 「ああ、そうだ」

 大助がふと思い出したように言った。

 「斎藤、おめぇ。先月、伏見の方に行ってたか」


 「伏見・・」

 斎藤が眉をひそめる。

 「行ってねぇな」


 「そっか・・おめぇと似た男見かけたって聞いたんだがな」

 大助が低い声で続けるのを、斎藤が即座に遮った。

 「他人の空似じゃねぇの」 


 環と南部が、不思議そうに2人の遣り取りを眺めている。 


 「んじゃな」

 用が済んだとばかり、さっさと退散しようとした斎藤が・・ふと足を止めた。


 振り返ると、環の方に顔を向ける。

 「おミツってのは、もしかして・・壬生川に飛び込んだあの娘か」


 以前、ミツが入水騒ぎを起こした時、現場にいた斎藤も助けるために川に飛び込んだのだ。


 「え」

 環はつぶやいた後で、コクンと頷いた。

 「はい」


 「へぇ」

 斎藤は少し驚いたような顔をする。

 「片づく先が決まったんなら、めでてぇ話じゃねぇか。辛気臭ぇツラしねぇで、素直に祝ってやればいんじゃねぇの」


 「斎藤さん・・」


 「んじゃな」

 言い捨てて、今度こそ斎藤は玄関の引き戸を開けた。


 南部がボリボリと顎を掻く。

 「・・相変わらずだのー。斎藤くんは」


 「ま、確かに・・めでてぇ話さな」

 大助が天井を見上げながらつぶやく。


 環は・・ひとり神妙な顔つきで黙り込んでいた。






 「大助の?」

 藤堂が読み終わった絵草子を手に取った。


 「ああ」

 斎藤が手酌で酒を呑みながら応える。


 部屋呑みの習慣は、新選組の頃から変わらない。


 「にしても・・定期購読ってなんだよ、それ」

 藤堂が涅槃のポーズで寝そべった。


 「知らねーよ」

 斎藤はすでに酔いが廻っている。

 「ああ・・そうだ。絵草子取りに南部診療所に行ったら、環がいたな」


 「環?」

 藤堂が半身を起した。


 「ああ」

 斎藤はあぐらをかいて、壁に寄りかかっている。


 「元気だったか?」

 藤堂の声には懐かしさが滲んでいた。


 「そう見えたな」

 斎藤は平坦な口調だ。


 「斎藤」

 藤堂は起き上がって、あぐらをかいた。

 「南部診療所に行ったのはマズかったんじゃねぇか」


 斎藤は黙ったままだ。


 「ここの誰かに見られたら、下手な誤解受けちまうぜ」

 藤堂が腕を組む。


 「そうだな・・気を付ける」

 斎藤の珍しくも素直な返事を聞いて、藤堂は拍子抜けしたように頭を掻いた。

 「まぁ、いいけど」


 篠原と一緒に武田観柳斎を討ちに行った斎藤のことは、御陵衛士の主だった面々はみな信用している。


 斎藤が壁から身体を起こした。

 「大助に訊かれた・・伏見に行ってたかってな」


 「・・大助が?」

 「ああ・・武田を殺った下手人は新選組じゃねぇと踏んでるようだな。・・相変わらず良い勘してらぁ」


 沈黙の後、藤堂が言った。

 「・・証拠はねぇさ」


 「・・だな」

 斎藤が身体を反らせて、手を後ろにつける。


 「オレぁ、正直驚いてんだぜ」

 藤堂があぐらを解いて肩膝を立てた。


 「あ?」

 「おめぇが・・伊東さんに従順だからさ」


 「・・悪ぃか?」

 斎藤が軽く受け流すと、藤堂がニヤリと笑った。

 「悪かねぇ。けど・・似合わねぇな」






 あれから数日、新選組では変わらない日々が続いている。

 今日は病室に沖田と環の2人だけだ。


 「いてっ」

 沖田がしかめ面をする。


 馬術訓練中に、蜂に驚いた馬が突如暴れ出して落馬したのだ。

 受け身を取ったおかげで大怪我はしなかったが、右腕をしたたかに打ち付けて、左手の平を深くすりむいた。


 「沁みますよ」

 環が焼酎を染みこませた布で、沖田の手の平を拭く。

 皮がめくれて、肉が見えていた。


 「痛ぇっつってんだろーが。もっとそっとやれよ」

 沖田がガタガタうるさいが、環は意に介さない。

 「皮がめくれてるんですから痛くて当たり前でしょ」


 ムッとしてる沖田を尻目に、テキパキと作業を進める。

 「軟膏塗ったら終わりですから」


 キズ薬の紫雲膏をヘラで取って薄く伸ばしていく。


 「おミツさん・・南部診療所辞めたんです」

 唐突に切り出した環に、沖田がキョトンとした顔を向けた。

 「あ?」


 「縁談が決まったんですって」

 環が手を動かしながら言葉を続ける。


 「へぇ」

 沖田はさして興味も無い返事だ。


 「・・・」

 環が無言でサラシを取り出す。


 沖田の手を丁寧にサラシで巻きながらつぶやいた。

 「・・それだけですか?」


 「なんだよ、お祝いでもしろってのか」

 沖田のややフザけた口調に、環は腹立たし気な声を上げる。

 「そうじゃないでしょ」


 斎藤や大助が同じことを言っても聞き流せるが、沖田が言うと・・無性に腹立たしい。


 「めでてぇ話じゃん。良い娘が嫁き遅れちゃもったいねぇだろ」

 沖田の他人事(ひとごと)トークに、環が思わず手の力をこめた。


 「いてっ」

 サラシをキツく結びあげられて、沖田が声を上げる。


 「はい、できましたよ」

 仏頂面で環が立ち上がる。


 「ったく、荒っぽいんだよ。手当が」

 沖田がブツブツ言いながら立ち上がった。


 「大っきいナリして泣き言言わないでください」

 環のトゲトゲしい態度に、沖田がムッとした顔つきで振り返る。

 「暴力女」


 「はぁ?」

 振り返った時には、沖田はすでに病室から姿を消していた。






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