第二百四十四話 姉さん
1
同じ頃、祇園の山絹に沖田が来ていた。
昼間から酒を呑む気も無いので、昼餉だけ頂いている。
すると・・
スラリと障子が開いて、初音が現れた。
「沖田はん、ようおこしやす」
「邪魔してるぜ、姐さん」
沖田が顔を上げた。
お膳に箸を置く。
スルスルと優雅な仕草で入って来ると、初音が沖田のそばに腰を下ろした。
「お仕事どないしたん?」
「今日は非番」
そう言って湯呑を手に取り、ユックリお茶を口に含む。
大手組の騒ぎが起きてから、まだ3日しか経っていない。
「来てくれるのは嬉しいけんど・・どないしたん?ずっとご無沙汰やったのに」
初音が不思議そうな顔をする。
その声音には恨み言めいた響きも、イヤミっぽっさも微塵も感じられなかった。
(こーゆーとこが好きなんだよなぁ)
沖田は心の中でつぶやく。
クスクス笑いが漏れた。
「なんやのん?」
初音はやや不機嫌な顔になる。
「あー・・悪ぃ」
言いながら、畳の上に湯呑を置いた。
腕を組んで考え込むような顔をしてから、おもむろに口を開く。
「オレ・・もう姐さんに会い来んのヤメるわ」
初音の顔が真顔になる。
しかし・・予想していたことなのか、フゥーと息をついた。
「なんや・・わざわざそんなん言いに来はったんどすか。義理堅いこっちゃ」
やや苦笑の混じった声音だ。
「姐さん」
「夜離れ(よがれ)すんのをわざわざ断るお人なんぞ居りまへんで」
初音は仕方がない風に笑っている。
沖田は無表情だ。
「なんや・・理由(わけ)聞かせてもろてもよろしゅおすか?」
初音は顔を上げると、真面目な声でつぶやいた。
2
「うーん・・」
沖田が腕を組んで首を傾げた。
「このまんまじゃ、オレ姐さんに手ぇ出しちまうからさー」
アッケラカンとしている。
「・・うちは遊女やで。何が悪いんどす?」
初音はバカにされたような気分だ。
「なんや・・病のこと気にしてはるん?」
「それもあるけど・・」
沖田は足を崩して肩膝を立てる。
「姐さんといると・・江戸にいる姉貴のこと思い出しちまうからさー。抱いたりとかって、絶対にやっちゃいけねぇような気がすんだよなー」
「江戸の姉さん・・」
「うん」
コクリと頷く沖田の顔を、初音はマジマジと見つめた。
沖田は目線を上げたまま答える。
「似てんだよね。オッカナイとことか、ズケズケ物言うとことか、人の顔見りゃ叱りつけてくるとことか」
「・・喧嘩売っとるん?」
「そーゆー好戦的なとこも」
初音が思いきり不機嫌な顔になる。
沖田が緩く笑った。
「それと・・美人で優しいとこも似てる」
どストレートな殺し文句を吐かれて、初音はらしくもなく赤くなってしまった。
慌てて顔を横に反らす。
「なんや。ほなら沖田はん、うちのことずっと姉さんや思てはりましたんか」
「うーん・・かもしんないなぁ」
沖田が首をヒネった。
「・・腹立つやっちゃ」
初音がボソリとつぶやく。
「え?今なんか言った?」
首を傾げてくる沖田に、初音は愛想の無い声を返した。
「なんも言うとりまへんがな」
初音の方も沖田を見て弟を思い出していたのだが、沖田の方から姉と言われ・・なんとなく先に言われてしまった感じだ。
(なんや・・客から"姐さん"やなく"姉さん"ゆわれたん、初めてやな)
だが・・遊女としてのプライドを棚上げすれば、不思議と悪くもない気分である。
初音は深く息をついた。
「よう分かりましたわ。しゃあないですな。馴染みになる気の無いお客はんに通うてもろても、こっちが振り回されますよってに。どうぞご自由に」
「うん」
沖田は、どっこいしょと立ち上がる。
そのまま部屋から出て行こうとする沖田の背に、初音が声をかけた。
「うちにも弟がおりますんや。幼い時分に別れてもうて、もう顔も覚えとりまへんけどな」
沖田の足が止まる。
「沖田はんとおんなしくらいの年ですわ」
初音ポツリとつぶやいた。
「うん」
沖田が振り向く。
「あばよ、姐さん」
3
「あ」
木屋町の路上で、突如、斎藤が声を上げた。
(診療所に入るとこ、隊の連中に見られたら、オレやべぇんじゃねぇか?)
足が止まる。
南部診療所は会津藩のお抱えなのだ。
「どしたんだ?」
大助が不思議そうな顔で振り向く。
「あ、えーと・・」
斎藤は迷った。
(どうすっかな~・・)
数秒迷って歩き出す。
(絵草子借りるためだ。背に腹は変えらんねぇや)
「着いたぜ」
大助がそう言って引き戸を開けた。
斎藤がそれに続く。
南部診療所に入るのは初めてだ。
「あれ、環ちゃん。来てたんか」
大助の声を聞いて、斎藤がギョッとする。
「はい・・え?」
振り向いた環が大きく目を見開いた。
「斎藤さん・・?」
環は板の間から慌てて降りると、素早く駆け寄って来た。
大助を押しのけて、斎藤の腕を掴む。
「斎藤さん!」
「うわっ、離せ」
斎藤の身体が見る見る硬直していく。
「シンは?シンはどうしてるんですか」
「え?」
環が目力全開で斎藤の顔を覗き込む。
「~~~・・」
ほぼ密着に等しい距離でしがみつかれてる斎藤は、パクパクするが声が出ない。
「いーなぁ。オレもしがみつかれてぇや」
大助が羨ましそうな声を出す。
その言葉に反応したように、環が声を上げた。
「え?・・あっ、ヤダッ!」
慌てて斎藤の身体から離れる。
解放された斎藤は深く息をついた。
「ハァ~ッ・・」
「ご、ごめんなさい。斎藤さん」
「べつに」
相変わらずの斎藤の仏頂面に、環は懐かしさを覚えた。
「斎藤さん、元気そうですね」
「ああ。アイツも・・元気にしてるから安心しろよ」
斎藤がぶっきらぼうに答える。
すると・・
「斎藤くん?ひさしぶりだべ」
板の間から声をかけてきたのは南部だ。
ニコヤカに笑いながら土間に降りて来る。
「お久しぶりです。突然お邪魔してスミマセン」
斎藤は礼儀正しく辞儀をした。
「堅苦しい挨拶な、いってば」
南部はニコニコ笑ってる。
「今日はどしたんだべな?」
「先生。斎藤に新装里見八犬伝貸してぇんだよ。どこあんだ?」
大助が板の間をゴソゴソ探し廻る。
「なんだ。斎藤くんも読んでらが。そごらへんさねがや?」
南部が首を伸ばして後ろに目をやった。
「ねぇよ。おミツちゃんに訊きゃ分かるかな」
大助がしゃがみこんでブツブツつぶやく。
「おミツちゃんなら辞めだでな」
南部がポロリと言った。
「えっ?」
「えええっ?」
大助と環が同時に声を上げた。




