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第二百四十四話 姉さん


 同じ頃、祇園の山絹に沖田が来ていた。

 昼間から酒を呑む気も無いので、昼餉だけ頂いている。


 すると・・


 スラリと障子が開いて、初音が現れた。

 「沖田はん、ようおこしやす」


 「邪魔してるぜ、姐さん」

 沖田が顔を上げた。

 お膳に箸を置く。


 スルスルと優雅な仕草で入って来ると、初音が沖田のそばに腰を下ろした。

 「お仕事どないしたん?」


 「今日は非番」

 そう言って湯呑を手に取り、ユックリお茶を口に含む。


 大手組の騒ぎが起きてから、まだ3日しか経っていない。


 「来てくれるのは嬉しいけんど・・どないしたん?ずっとご無沙汰やったのに」

 初音が不思議そうな顔をする。


 その声音には恨み言めいた響きも、イヤミっぽっさも微塵も感じられなかった。


 (こーゆーとこが好きなんだよなぁ)

 沖田は心の中でつぶやく。


 クスクス笑いが漏れた。


 「なんやのん?」

 初音はやや不機嫌な顔になる。


 「あー・・悪ぃ」

 言いながら、畳の上に湯呑を置いた。


 腕を組んで考え込むような顔をしてから、おもむろに口を開く。

 「オレ・・もう姐さんに会い来んのヤメるわ」


 初音の顔が真顔になる。

 しかし・・予想していたことなのか、フゥーと息をついた。


 「なんや・・わざわざそんなん言いに来はったんどすか。義理堅いこっちゃ」

 やや苦笑の混じった声音だ。


 「姐さん」


 「夜離れ(よがれ)すんのをわざわざ断るお人なんぞ居りまへんで」

 初音は仕方がない風に笑っている。


 沖田は無表情だ。


 「なんや・・理由(わけ)聞かせてもろてもよろしゅおすか?」

 初音は顔を上げると、真面目な声でつぶやいた。






 「うーん・・」

 沖田が腕を組んで首を傾げた。


 「このまんまじゃ、オレ姐さんに手ぇ出しちまうからさー」

 アッケラカンとしている。


 「・・うちは遊女やで。何が悪いんどす?」

 初音はバカにされたような気分だ。


 「なんや・・病のこと気にしてはるん?」

 「それもあるけど・・」


 沖田は足を崩して肩膝を立てる。

 「姐さんといると・・江戸にいる姉貴のこと思い出しちまうからさー。抱いたりとかって、絶対にやっちゃいけねぇような気がすんだよなー」


 「江戸の姉さん・・」

 「うん」


 コクリと頷く沖田の顔を、初音はマジマジと見つめた。


 沖田は目線を上げたまま答える。

 「似てんだよね。オッカナイとことか、ズケズケ物言うとことか、人の顔見りゃ叱りつけてくるとことか」


 「・・喧嘩売っとるん?」

 「そーゆー好戦的なとこも」


 初音が思いきり不機嫌な顔になる。


 沖田が緩く笑った。

 「それと・・美人で優しいとこも似てる」


 どストレートな殺し文句を吐かれて、初音はらしくもなく赤くなってしまった。


 慌てて顔を横に反らす。

 「なんや。ほなら沖田はん、うちのことずっと姉さんや思てはりましたんか」


 「うーん・・かもしんないなぁ」

 沖田が首をヒネった。


 「・・腹立つやっちゃ」

 初音がボソリとつぶやく。


 「え?今なんか言った?」

 首を傾げてくる沖田に、初音は愛想の無い声を返した。

 「なんも言うとりまへんがな」


 初音の方も沖田を見て弟を思い出していたのだが、沖田の方から姉と言われ・・なんとなく先に言われてしまった感じだ。

 (なんや・・客から"姐さん"やなく"姉さん"ゆわれたん、初めてやな)


 だが・・遊女としてのプライドを棚上げすれば、不思議と悪くもない気分である。


 初音は深く息をついた。

 「よう分かりましたわ。しゃあないですな。馴染みになる気の無いお客はんに通うてもろても、こっちが振り回されますよってに。どうぞご自由に」

 

 「うん」

 沖田は、どっこいしょと立ち上がる。


 そのまま部屋から出て行こうとする沖田の背に、初音が声をかけた。

 「うちにも弟がおりますんや。幼い時分に別れてもうて、もう顔も覚えとりまへんけどな」


 沖田の足が止まる。


 「沖田はんとおんなしくらいの年ですわ」

 初音ポツリとつぶやいた。


 「うん」

 沖田が振り向く。

 「あばよ、姐さん」





 「あ」

 木屋町の路上で、突如、斎藤が声を上げた。


 (診療所に入るとこ、隊の連中に見られたら、オレやべぇんじゃねぇか?)

 足が止まる。


 南部診療所は会津藩のお抱えなのだ。


 「どしたんだ?」

 大助が不思議そうな顔で振り向く。


 「あ、えーと・・」

 斎藤は迷った。

 (どうすっかな~・・)


 数秒迷って歩き出す。

 (絵草子借りるためだ。背に腹は変えらんねぇや)


 「着いたぜ」

 大助がそう言って引き戸を開けた。


 斎藤がそれに続く。

 南部診療所に入るのは初めてだ。


 「あれ、環ちゃん。来てたんか」

 大助の声を聞いて、斎藤がギョッとする。


 「はい・・え?」

 振り向いた環が大きく目を見開いた。

 「斎藤さん・・?」


 環は板の間から慌てて降りると、素早く駆け寄って来た。


 大助を押しのけて、斎藤の腕を掴む。

 「斎藤さん!」


 「うわっ、離せ」

 斎藤の身体が見る見る硬直していく。


 「シンは?シンはどうしてるんですか」

 「え?」


 環が目力全開で斎藤の顔を覗き込む。


 「~~~・・」

 ほぼ密着に等しい距離でしがみつかれてる斎藤は、パクパクするが声が出ない。


 「いーなぁ。オレもしがみつかれてぇや」

 大助が羨ましそうな声を出す。


 その言葉に反応したように、環が声を上げた。

 「え?・・あっ、ヤダッ!」


 慌てて斎藤の身体から離れる。


 解放された斎藤は深く息をついた。

 「ハァ~ッ・・」


 「ご、ごめんなさい。斎藤さん」

 「べつに」


 相変わらずの斎藤の仏頂面に、環は懐かしさを覚えた。

 「斎藤さん、元気そうですね」


 「ああ。アイツも・・元気にしてるから安心しろよ」

 斎藤がぶっきらぼうに答える。


 すると・・


 「斎藤くん?ひさしぶりだべ」

 板の間から声をかけてきたのは南部だ。


 ニコヤカに笑いながら土間に降りて来る。


 「お久しぶりです。突然お邪魔してスミマセン」

 斎藤は礼儀正しく辞儀をした。


 「堅苦しい挨拶な、いってば」

 南部はニコニコ笑ってる。

 「今日はどしたんだべな?」


 「先生。斎藤に新装里見八犬伝貸してぇんだよ。どこあんだ?」

 大助が板の間をゴソゴソ探し廻る。


 「なんだ。斎藤くんも読んでらが。そごらへんさねがや?」

 南部が首を伸ばして後ろに目をやった。


 「ねぇよ。おミツちゃんに訊きゃ分かるかな」

 大助がしゃがみこんでブツブツつぶやく。


 「おミツちゃんなら辞めだでな」

 南部がポロリと言った。


 「えっ?」

 「えええっ?」

 大助と環が同時に声を上げた。




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