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第二百四十三話 もうひとりの桂


 「新選組が仲裁ねぇ・・変われば変わるもんだな」

 伊東が笑いながら言った。


 部屋にいるのは、篠原と新井である。


 「土方は、時たま懐(フトコロ)深ぇ時があるかんなぁ。普段は狭ぇくせによー」

 新井はカラカラ笑っている。


 「頭(おつむ)が良ぅて性格悪ぃ男じゃけん。うまかとこば持ってったばい」

 篠原が腕を組んで薄笑いを浮かべた。


 「まぁ、でも・・進歩は進歩だ。叩っ斬るしか能の無い野猿の集団じゃないってことかな・・もう」

 伊東がつぶやいた瞬間、廊下から声がかかる。


 「あのぉ、お茶入りましたー」

 面倒臭げなシンの声だ。


 「ああ、ありがとう。入り給え」

 伊東が答えると、障子がサラリと開いた。


 シンがお盆を片手に立っている。

 ズカズカと中に入ると、無造作にお盆を置いた。


 「伊東さんのはちょっと冷ましてますから。篠原さんは熱いやつで、新井さんはこっちの冷めたのです」

 テキパキと3人の前に茶卓を並べる。


 「シンくんは本当に良く気が付くね。正に、わが高台寺党の女房役だよ」

 伊東がニコニコと声をかけてくる。


 (げぇっ、気持ち悪ぃーっ)

 シンは眉間にシワを寄せた。


 「そーいや・・今日は斎藤のやつぁ、出掛けたのかぁ。姿見えねぇなぁ」

 新井が明るい声をかけてくる。


 「ああ、紙屋に行ってくるって言ってましたけど」

 シンが答えると、篠原が突っ込んできた。

 「紙屋?」


 「なんか、絵草紙を買う当番が今月は斎藤さんだって」

 「絵草紙?」

 伊東が眉をひそめる。


 「アレか。平助と斎藤が読んでるやつ」

 新井が、ああ、とゆう表情を浮かべた。


 伊東がため息をつく。

 「まったく・・兵法書でも読んでくれればいいのだが」


 すると、篠原がつぶやいた。

 「伊東さん・・あの絵草紙ば、ワシも藤堂から借りて読んどるばい」






 斎藤は苦い顔で舌打ちした。

 「チッ」


 木屋町の紙屋に来たが、ここも売り切れだった。

 大店から順番に廻っているが、かれこれ3件空振りだ。


 藤堂と斎藤が毎月交代で買って廻し読みしている人気絵草紙(※ヤンキーマンガ)なのだが、手に入らないと藤堂に文句を言われる。


 (ったく、余分に刷っとけよなー)

 ブツブツ文句が出てくる。


 ちょっと待てば貸本屋や古本屋に出回るが、それまで待てない。


 (仕方ねぇ)

 足を延ばして、もう1件当たってみることにした。

 (大店よりも、意外に小っこい紙屋や露店にあったりすんだよな)


 町外れまで足を延ばし、小さい暖簾を出している紙屋を覗いてみると・・1冊だけ残っていた。


 (あったぁーっ)

 ラッキーとゆう顔つきで手を伸ばす。


 すると・・

 草紙本を掴む直前に、横から伸びて来た手にヒョイと持っていかれた。


 (え?)

 隣りを見ると、侍姿の青年が絵草紙を手に立っている。


 「ちょ・・」

 斎藤が険しい表情を向けると、侍は「なにか?」とゆう表情を返してきた。


 「おい・・今の横取りじゃねぇの。オレが先に取ろうとしたとこに」

 斎藤の小学生染みた交渉を、相手は一笑に附した。

 「おかしなことおっしゃるわ。手に取るまでは、品モンは誰のモンでもありまへんがな」


 斎藤は言い返せない。

 その通りだからだ。


 心の中で歯噛みする。


 険悪な空気を察して、店主が困ったように目を反らしていた。


 すると・・


 「あれ。斎藤じゃねぇか?それに桂さん」

 呑気な声が聞こえる。


 暖簾をくぐって入って来たのは・・井上大助だ。


 「大助」

 斎藤がつぶやくと、隣りの侍も声を出した。

 「井上」


 「2人とも久しぶりじゃねぇか。どうしたんだい?」






 「井上・・こん男、おぬしの知り合いかいな」

 侍が尋ねると、大助が頷く。

 「ああ、はい。新・・じゃねぇ高台寺党の隊士です。斎藤一」


 「斎藤一・・?もしや、以前、新選組にいた・・」

 侍の顔つきが見る見る鋭くなる。


 斎藤が仏頂面で黙っていると、大助がさらに言った。

 「こっちは見廻組の桂早之助(かつらはやのすけ)さんだ」


 「見廻組?」

 斎藤がゲッとゆう顔をする。


 長州とは違う意味で天敵なのだ。


 (チッ)

 斎藤は心の中で舌打ちする。


 忌々しいが、見廻組と騒動を起こすわけにはいかない。


 「親父、また来るぜ」

 そう言い捨てて、暖簾をくぐった。


 「おい、待てよ」

 大助が慌てて追いかける。

 暖簾をくぐる前に、桂に向かって辞儀をする。

 「御免」


 「どうしたんだよ」

 追いかけて来た大助に声をかけられても、斎藤は歩を緩めない。

 「うるせー」


 「紙屋で何探してたんだ」

 大助は気にせず隣りに並んだ。


 「新装里見八犬伝の最新話」

 斎藤がボソリとつぶやくと、大助が明るい声を出す。

 「あー、オレ持ってるぜ」


 「え?」

 斎藤の足が止まった。


 「なんなら貸そうか?オレもう読んだしさ」

 大助の無邪気な申し出は、斎藤を狂喜させた。


 そこは表情に出さず、努めて平静な声を出す。

 「最新話だぜ。今日出たばっかだろ」


 「ああ、大丈夫、大丈夫。オレ紙屋に頼んで定期購読にしてっから。昨日の夕方に受け取ってんだ」


 「は?・・定期購読?」

 (そんなんあるの?)


 「じゃ・・じゃあ、まぁ。お言葉に甘えて」

 斎藤はなんとなく負けた感を味わっている。


 「南部診療所に置いてっから。行こうぜ」

 「ああ・・分かった」


 斎藤は取りあえず安堵した。

 これで藤堂に文句を言われずに済む。


 一緒に並んで歩くと、ふと思い出す。

 「さっきの桂早之助って・・見たことあるな。あいつ」


 桂の鋭い眼光を思い出していた。


 「ああ、有名だからな。二条城の御前試合で50人抜きしたって」

 「へぇ・・」

 斎藤はホンキで感心した。


 「今は見廻組の肝煎だが、もとは同心だったんだ」

 「ああ、だから知ってんのか」

 なるほど・・と、斎藤は腑に落ちた。


 「人を斬ったことがねぇって凄腕さ」

 「なんだ、そりゃ」

 「殺さずに下手人を捕まえる・・捕縛の達人ってこったな」

 「ふーん」


 桂の立ち姿を思い出す。

 身のこなしに隙は無かったが、どこまでも清廉であり、そこに血生臭さは感じられなかった。


 (見廻組は上品なもんだな)

 斎藤は心の中でつぶやく。


 ところが・・これから4ヶ月後の慶応3年11月15日。


 桂早之助は密命を受け、近江屋に潜伏する坂本龍馬を暗殺することになるのだ。






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