第二百四十三話 もうひとりの桂
1
「新選組が仲裁ねぇ・・変われば変わるもんだな」
伊東が笑いながら言った。
部屋にいるのは、篠原と新井である。
「土方は、時たま懐(フトコロ)深ぇ時があるかんなぁ。普段は狭ぇくせによー」
新井はカラカラ笑っている。
「頭(おつむ)が良ぅて性格悪ぃ男じゃけん。うまかとこば持ってったばい」
篠原が腕を組んで薄笑いを浮かべた。
「まぁ、でも・・進歩は進歩だ。叩っ斬るしか能の無い野猿の集団じゃないってことかな・・もう」
伊東がつぶやいた瞬間、廊下から声がかかる。
「あのぉ、お茶入りましたー」
面倒臭げなシンの声だ。
「ああ、ありがとう。入り給え」
伊東が答えると、障子がサラリと開いた。
シンがお盆を片手に立っている。
ズカズカと中に入ると、無造作にお盆を置いた。
「伊東さんのはちょっと冷ましてますから。篠原さんは熱いやつで、新井さんはこっちの冷めたのです」
テキパキと3人の前に茶卓を並べる。
「シンくんは本当に良く気が付くね。正に、わが高台寺党の女房役だよ」
伊東がニコニコと声をかけてくる。
(げぇっ、気持ち悪ぃーっ)
シンは眉間にシワを寄せた。
「そーいや・・今日は斎藤のやつぁ、出掛けたのかぁ。姿見えねぇなぁ」
新井が明るい声をかけてくる。
「ああ、紙屋に行ってくるって言ってましたけど」
シンが答えると、篠原が突っ込んできた。
「紙屋?」
「なんか、絵草紙を買う当番が今月は斎藤さんだって」
「絵草紙?」
伊東が眉をひそめる。
「アレか。平助と斎藤が読んでるやつ」
新井が、ああ、とゆう表情を浮かべた。
伊東がため息をつく。
「まったく・・兵法書でも読んでくれればいいのだが」
すると、篠原がつぶやいた。
「伊東さん・・あの絵草紙ば、ワシも藤堂から借りて読んどるばい」
2
斎藤は苦い顔で舌打ちした。
「チッ」
木屋町の紙屋に来たが、ここも売り切れだった。
大店から順番に廻っているが、かれこれ3件空振りだ。
藤堂と斎藤が毎月交代で買って廻し読みしている人気絵草紙(※ヤンキーマンガ)なのだが、手に入らないと藤堂に文句を言われる。
(ったく、余分に刷っとけよなー)
ブツブツ文句が出てくる。
ちょっと待てば貸本屋や古本屋に出回るが、それまで待てない。
(仕方ねぇ)
足を延ばして、もう1件当たってみることにした。
(大店よりも、意外に小っこい紙屋や露店にあったりすんだよな)
町外れまで足を延ばし、小さい暖簾を出している紙屋を覗いてみると・・1冊だけ残っていた。
(あったぁーっ)
ラッキーとゆう顔つきで手を伸ばす。
すると・・
草紙本を掴む直前に、横から伸びて来た手にヒョイと持っていかれた。
(え?)
隣りを見ると、侍姿の青年が絵草紙を手に立っている。
「ちょ・・」
斎藤が険しい表情を向けると、侍は「なにか?」とゆう表情を返してきた。
「おい・・今の横取りじゃねぇの。オレが先に取ろうとしたとこに」
斎藤の小学生染みた交渉を、相手は一笑に附した。
「おかしなことおっしゃるわ。手に取るまでは、品モンは誰のモンでもありまへんがな」
斎藤は言い返せない。
その通りだからだ。
心の中で歯噛みする。
険悪な空気を察して、店主が困ったように目を反らしていた。
すると・・
「あれ。斎藤じゃねぇか?それに桂さん」
呑気な声が聞こえる。
暖簾をくぐって入って来たのは・・井上大助だ。
「大助」
斎藤がつぶやくと、隣りの侍も声を出した。
「井上」
「2人とも久しぶりじゃねぇか。どうしたんだい?」
3
「井上・・こん男、おぬしの知り合いかいな」
侍が尋ねると、大助が頷く。
「ああ、はい。新・・じゃねぇ高台寺党の隊士です。斎藤一」
「斎藤一・・?もしや、以前、新選組にいた・・」
侍の顔つきが見る見る鋭くなる。
斎藤が仏頂面で黙っていると、大助がさらに言った。
「こっちは見廻組の桂早之助(かつらはやのすけ)さんだ」
「見廻組?」
斎藤がゲッとゆう顔をする。
長州とは違う意味で天敵なのだ。
(チッ)
斎藤は心の中で舌打ちする。
忌々しいが、見廻組と騒動を起こすわけにはいかない。
「親父、また来るぜ」
そう言い捨てて、暖簾をくぐった。
「おい、待てよ」
大助が慌てて追いかける。
暖簾をくぐる前に、桂に向かって辞儀をする。
「御免」
「どうしたんだよ」
追いかけて来た大助に声をかけられても、斎藤は歩を緩めない。
「うるせー」
「紙屋で何探してたんだ」
大助は気にせず隣りに並んだ。
「新装里見八犬伝の最新話」
斎藤がボソリとつぶやくと、大助が明るい声を出す。
「あー、オレ持ってるぜ」
「え?」
斎藤の足が止まった。
「なんなら貸そうか?オレもう読んだしさ」
大助の無邪気な申し出は、斎藤を狂喜させた。
そこは表情に出さず、努めて平静な声を出す。
「最新話だぜ。今日出たばっかだろ」
「ああ、大丈夫、大丈夫。オレ紙屋に頼んで定期購読にしてっから。昨日の夕方に受け取ってんだ」
「は?・・定期購読?」
(そんなんあるの?)
「じゃ・・じゃあ、まぁ。お言葉に甘えて」
斎藤はなんとなく負けた感を味わっている。
「南部診療所に置いてっから。行こうぜ」
「ああ・・分かった」
斎藤は取りあえず安堵した。
これで藤堂に文句を言われずに済む。
一緒に並んで歩くと、ふと思い出す。
「さっきの桂早之助って・・見たことあるな。あいつ」
桂の鋭い眼光を思い出していた。
「ああ、有名だからな。二条城の御前試合で50人抜きしたって」
「へぇ・・」
斎藤はホンキで感心した。
「今は見廻組の肝煎だが、もとは同心だったんだ」
「ああ、だから知ってんのか」
なるほど・・と、斎藤は腑に落ちた。
「人を斬ったことがねぇって凄腕さ」
「なんだ、そりゃ」
「殺さずに下手人を捕まえる・・捕縛の達人ってこったな」
「ふーん」
桂の立ち姿を思い出す。
身のこなしに隙は無かったが、どこまでも清廉であり、そこに血生臭さは感じられなかった。
(見廻組は上品なもんだな)
斎藤は心の中でつぶやく。
ところが・・これから4ヶ月後の慶応3年11月15日。
桂早之助は密命を受け、近江屋に潜伏する坂本龍馬を暗殺することになるのだ。




