第百三十四話 結核
1
薫を送り出した後で、環は病室に向かった。
今日は昼前に良順が来ることになっている。
良順が来た時、環は山崎と一緒に医術を習っている。
山崎は縫合術を習ってるが、環は痛み止めや化膿止めに効く薬について教えてもらってる。
だが、今日は・・良順に相談したいことがあった。
沖田の結核のことである。
最初の検診で、どうやら良順は沖田に労咳の診断を伝えたようだった。
それ以降、沖田に薬を処方している。
しかし・・環にはずっと気になっていることがあった。
この時代、労咳は死病であり感染るので、とてもイヤがられた。
沖田が胸を病んでいることは、幹部はみな気付いている。
しかし、沖田に対する接し方も距離も全く変化は見られない。
(すごいな・・)
ホンキで感心してしまう。
沖田が稽古中に咳き込んでも、みんな見ないようにしていた。
(長生きなんて考えもしない人達なのは分かるけど)
なかなかデキルことじゃないな、と思ってしまう。
まぁ・・病気をコワがるようでは、命懸けの闘いなど出来ないのかもしれないが。
環や薫にしても・・予防接種を受けていても、いつ感染するか分からない。
(うつる時にはどうしたってうつるのだ)
だが・・
環が見ている限り、沖田の結核は周囲に広がりを見せない。
単純に感染してないか、感染しても免疫力で抑えられて発症してないか。
結核は体力のある大人なら発症せず(排菌もせず)治まることが多い。
(でも・・沖田さんの結核って、ひょっとしたら)
2
環は記憶を辿る。
雨宮の病院の廊下で、激しく咳き込んでる入院患者がいた。
とても苦しそうで、環は思わず近付いて背中を擦りながら看護師を呼んだ。
後で雨宮の父に聞いたら、「彼はまぁ、結核の親戚みたいなもんに罹ってるんだ。ダイジョウブ、まもなく退院できるから」と言っていた。
「結核の親戚?・・あんな風に廊下とか歩いててもいいの?」
環の質問に、雨宮の父は丁寧に説明してくれた。
「非結核性抗酸菌症は感染しないんだ。だから"うつらない結核"とも言われている」
「"うつらない結核"?」
「うん。結核と症状も似通っていて、以前は同じだと思われてたんだ。違いは・・結核より進行が緩やかで、抗結核薬が有効でない。まぁ、あまり薬が効かないってことだ。それと・・完治が難しい」
環が見る限り、沖田の症状はソレに当てはまるように思える。
池田屋事件の時に、沖田はすでに喀血してたように見えた。
結核ならもっと重症化しても不思議じゃないが、沖田は咳き込む回数が増えたくらいだ。
それに・・沖田とよくカラむ連中(土方、永倉、原田、斎藤、藤堂)はみなピンピンしている。
環や薫にしても同じだし、新選組の隊内で結核を発症した隊士は他にいない。
(もし沖田さんの病気が"うつらない結核"だとしたら・・)
環は考え込んでいる。
自分は医者ではない。
病気の診断などできるワケがない・・絶対に。
だが・・
沖田が他人にうつすことを怖れているのが分かるので、どうしても希望的観測が先に立ってしまう。
(良順先生に相談してみたいけど・・)
たかが小娘の言うことでも、良順なら耳を傾けてくれるような気がする。
3
良順は山崎を評価している。
寡黙で淡々と仕事をこなし、手際も良い。
冷静で無駄口も挟まない。
新選組のような組織の中にあって山崎のようなオトコは、必要不可欠な人材に見えた。
この頃は良順に習って、ブタの皮で縫合術の練習をしている。
手先が器用なので、縫い目もキレイなものだ。
環も血を見た程度では驚かないが、刃物や針を刺す外科的な処置など出来ない。
興味深そうに、山崎の手元を覗き込んでる。
「山崎さんて、ホント器用ですよね」
環がつぶやく。
「そうか?・・性格は器用じゃねぇけどな」
山崎が顔も上げずに答える。
(たしかに・・)
環は口には出さない。
「環ちゃんも、ずいぶん薬の配合覚えたね」
良順がニコニコ笑っている。
「名前を覚えるだけで精一杯ですけど」
環が目の前に並んでいる漢方薬を見渡す。
漢方薬は中国伝来で日本独自に発達した処方が多く、一時は西洋医療に押されて衰退したが、幕末になるとまた見直され、内科(ほんどう)では漢方が主流になっていた。
「良順先生は蘭医なのに、漢方にも詳しいんですね」
環は尊敬の眼差しで見ている。
「まさか・・オレなんぞが見知っているのはほんの一握りだ。漢方の種類は膨大だからね」
良順は薬草を手に取りながら、ひとりごとのようにつぶやく。
「エーテルやクロロホルムはまだ副作用が大きくて危険だから・・漢方の薬効成分は重要だよ」
良順は奥医師からは「西洋カブレ」と罵られたが、実際は柔軟な思考の持ち主で、西洋医学と東洋医学の折衷医療も行っていた。
「西洋でも痛み止めには植物を有効活用してる。やることは同じでも国によって手に入りやすいモノが違うだろ?」
「はい」
環は良順の講義を聴くのが好きだ。
「良順先生、あの・・ちょっと訊いてもいいですか?」
「なんだい?」
環が、ほんの少しためたった後で口を開く。
「結核・・いえ、労咳のことです」
環の言葉に、山崎が手を止めて顔を上げた。




