第二百四十一話 お気に入り
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祇園の茶屋『山絹』。
大手組と歩兵隊の武力衝突を仲裁した新選組に、会津候からお褒めの書状が届けられた。
おかげですっかり大喜びの近藤が、その夜、祇園に出動隊士を呼んで慰労会を開いたのだ。
「・・で、なんでアタシたちが呼ばれてんですか?」
一番下座に鎮座した薫がつぶやく。
隣りの沖田が白けた声で答えた。
「さぁ」
なぜ一番隊の組長が下座にいるのかとゆうと・・沖田が自分で薫と環の間に座ったのだ。
自分がいれば、2人が他の隊士にカラまれることがないので、安全地帯のつもりらしい。
「わたしたち、今朝の騒ぎには何にも関係無いのに・・」
環が低いテンションでゴチる。
「近藤さんがオメェらも連れて来いって言ったんだから、しょうがねぇだろ」
沖田が面倒臭そうに腕を組む。
「分かんないなー・・」
薫は首をヒネった。
正直、近藤とはさほど接点が無い。
近藤は食事も別宅でとることが多いし、病気の時も別宅で休養をとる。
つまり薫や環が近藤とカラむことはあまり無いのだ。
すると・・
「お、来たな」
当の近藤が、いつの間にか目の前に立っていた。
すでに顔が赤くなっている。
酒に弱いので、乾杯の杯だけで酔ってしまったらしい。
「こんばんわ」
薫と環が挨拶すると、近藤がその場にしゃがみこんだ。
「うむ。良く来たな、2人とも」
上機嫌でニコニコ笑っている。
「近藤さん。なんでこんなガキども、酒の席に呼んだんですか」
沖田が腕を組んで横目で見ると、近藤が薫の方を向いて明るい声を出した。
「ガキじゃねぇだろ。もう一人前の娘じゃねぇか、なぁ?」
突然フラれた薫が、驚いて顔を上げる。
「え?あ・・あの、え~と」
「今日はトシと山崎が上手く喧嘩をサバいてくれたからなぁ。アイツらの気に入りを呼んだんだよ」
近藤がそう言って振り返る。
振り返った先には、土方と山崎が無表情であぐらをかいている。
山崎に至っては苦痛なようにすら見えた。
「気に入り・・ねぇ」
沖田が軽く息をつく。
「おう。女嫌いの朴念仁も環ちゃんにゃ優しいらしいじゃねぇか」
朴念仁とは、どうやら山崎のことらしい。
環は横を向いてため息をついた。
「それに・・」
近藤が続ける。
「薫ちゃんの方は、どうもトシが可愛がってるみてぇだからよ」
薫は驚いて目を丸くした。
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「土方さんが?」
「おう」
「あたしを?」
「だろ」
「・・心当たりありませんけど」
薫の素っ気ない答えに、近藤が苦笑する。
「なんだ、気付いてねぇのかよ。あいつぁ薫ちゃんにゃあ目ぇかけてるぜぇ」
(それは・・プリンが食べたいから)
薫は心の中で突っ込んだ。
「オレぁ、トシとは付き合いが長ぇからな。昔から良ーく知ってるが、アイツぁテメェから女に声かけるなんてこたぁしねぇ」
近藤は足を崩して腰を下ろした。
「ガキん時からスカした野郎だったしな」
「確かに」
環がふと言葉を漏らす。
「土方さん、ちょこちょこ薫に話しかけてるような気がする」
「だろ?」
近藤がややはしゃいだような口調になった。
「それは・・」
薫は首をヒネる。
『マヨネーズは個別の皿で出せ』
『プリンは日持ちするのか。だったら姉に送りたい』
『たくあんのチャーハンはいつ作る』・・etc
とまぁ、だいたいいつも食べ物のことばかりだし、ぶっきらぼうのオレ様口調なので、どうにも命令されてるようにしか聞こえない。
「ちょっと・・違うような気が」
薫がボソリとつぶやいた。
すると・・
驚いたことに、沖田が口を挟んだ。
「違ってねぇよ。オレもガキん時から土方さんのことは知ってるけど。確かにあの人、自分から女に声かけたりしねぇ」
近藤と沖田と環が、同じ意味合いの目線を投げてくるので、薫は顔を反らすしかなくなった。
近藤がおもむろに立ち上がる。
「さて・・と。気が向いたら、トシと山崎のやつに酌でもしてやってくれや」
冗談めかした捨て台詞を残し、近藤は源三郎が座っている上座の方に戻って行った。
(やーだよ)
薫と環が同じセリフを心の中でつぶやく。
すると・・
「いよぉ、総司」
さっき近藤が座ったところに、入れ替わりに永倉と原田が立っている。
「オメェ、なに両手に花キメてんだぁ」
「独り占めはズルイんじゃねぇのぉ」
原田は立ったまま見下ろしているが、永倉の方はしゃがみこんで沖田の顔を覗き込んでいる。
「りょうてにはな・・?」
沖田が機械的に反芻するのは、遠回しに否定しているのだ。
「そーそ、1人コッチにもらってくぜ」
言うなり、原田が環の腕を掴んだ。
「・・っい」
環の顔がゆがむ。
酒が入ってるせいで力の加減が出来ないのか、原田は容赦なく環を引っ張って立たせる。
「左之さん!」
沖田が諌めるが、原田は全くに意に介さず。
「いーから、いーから」
強引に立たされた環は、原田に腕を引かれて向こうの席に拉致された。
「環・・」
薫の心配気な声を聴いて、沖田が苦い顔で舌打ちする。
「・・チ」
永倉と原田に酒席で囲まれるなど、動物園の檻に放置されるようなものだ。
「大丈夫かなぁ・・」
薫がつぶやいた時、突如、目の前の襖がスラリと開いた。
見ると・・開いた襖の向こうに、芸娘が6名ピラミッド状に座っている。
2列目の左側にいるのは・・初音だった。
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「こんばんわぁ、ようおこしやす」
一番手前の芸娘が優雅に口上を述べると、座敷の男どもが興奮した声を上げる。
「いよぉ!」
「待ってました~」
「はよ来い、はよ来い」
沖田は少し驚いたように初音を見ている。
薫も驚いた。
環も同じような顔をしていた。
良く見ると・・3列目の真ん中に座っているのは月乃だった。
芸娘6人は優雅な仕草で同時に立ち上がる。
見事にシンクロした動きで、薫もついつい見惚れた。
順番に静々と中に入ってくると、先頭の芸娘が当然のように土方の前に座った。
薫がそれを眺めていると、隣りの沖田がボソリとつぶやく。
「土方さんの馴染みの太夫だ。近藤さんがわざわざご指名したんだろうな」
どうやら今日は、近藤の『土方・山崎サービスデー』らしい。
ところが、当の山崎はいつの間にか姿を消していた。
芸娘が来るのを予想して逃げたのかもしれない。
女たちはそれぞれ順番にお酌をして回っている。
初音と月乃も忙しく動いていた。
薫は・・なんとなく複雑だった。
隣りの沖田をチラリと横目で見るが、いつもと同じ冷めた顔でお膳の料理をチマチマつまんでいる。
酒の入った杯を手に持つが、呑まずにまた膳の上に置いた。
「沖田さん。お茶かお白湯もらってきましょうか」
薫が声をかけると、沖田が首を傾げた。
「う~ん・・」
すると・・
「お屠蘇いかがどすか」
目の前に・・赤いお銚子を手にした初音が立っている。
沖田の前に優雅に座ると、ニッコリ笑った。
「なんやお久しぶり。お元気そやなぁ。安心したわ」
それは、本心からの言葉に聞こえた。
初音はどうやら沖田の身体を案じていたらしい。
「姐さん」
沖田は正直困っていたが、性分なのか全く顔に出ない。
お行儀悪く片膝を立て腕を乗せると、少し頭を下げる。
「いや・・もう充分だ。食い過ぎてハラ痛ぇし」
そう言う沖田の膳には、まだ半分以上も手がついてない料理の皿が残っていた。




