第二百三十九話 火事と喧嘩
1
新しい屯所の炊事場で、薫はしゃがみ込んでいる。
薫のリクエストで、炊事場の土間に地下貯蔵庫を造ってもらったのだ。
土の中に掘られた貯蔵庫は、夏もヒンヤリとして保存に重宝している。
地面に埋まった観音開きの扉を開けると、所狭しと壺やら瓶やらが並んでいた。
隙間には野菜が置かれている。
「ふっふっふー」
超ゴキゲン。
冷蔵庫ほどでないが保冷が効くのでヨーグルトなどもココに置いている。
薫の身体半分ほどの深さがあって、けっこう大き目の甕なども置けた。
「フンフン」
自然に鼻唄も出て来る。
このところ・・薫はホッとしていた。
茜屋のことで落ち込んでいた環が、石鹸作りが成功して元気を取り戻してくれた。
それに・・
さっき永倉が言ってた言葉を思い出す。
「総司のやつ、こっち来てからいっかいも祇園に行ってねぇみてぇだな」
薫は興味無さ気な相槌を打ったりしたが、隣りの環は黙ったまま妙な顔をしていた。
少し怒ったような、ホッとしてるような、不思議がってるような・・複雑な顔だった。
(もしかして・・あたしもホッとしてる・・?)
すぐにブンブンと頭を振って否定する。
(いや、ナイナイ!絶対ナイ!)
貯蔵庫の蓋を閉めると、息をついて立ち上がった。
(沖田さんが遊郭に行こうが女の人買おうが、あたしにカンケー無いもん)
自分にそう言い聞かせる。
すると・・
「プリン作って」
いきなり声をかけられ慌てて振り向くと、炊事場に続く板の間に沖田が立っている。
「あ、お、沖田さん」
沖田の前置きナシに慣れてはいるが、薫はついドモッてしまった。
「プ、プリン?」
「オレと新八っつぁんが朝にプリン食ったの、土方さんにタレ込んだやつがいてさ」
沖田は板の間に腰を下ろし、片足を土間に投げ出す。
「チクチク機嫌悪ぃから、作ってやって」
「はぁ」
(コドモか・・)
いつものことなのだが、薫はややゲンナリした。
「わかりました。作ればいんでしょ」
ため息が漏れる。
「うん」
2
「誰がタレ込みしたんですか」
卵をかき混ぜながら薫が訊いた。
「鉄之助」
沖田が答えると、薫の手が止まる。
「え?」
「あいつ土方さんのパシリだから」
「あいつはー、もぉーっ」
薫の声に怒気がはらむ。
「やなガキなんだからーっ」
沖田が頭の後ろに両手を組んだ。
「何いきってんだ」
「だって鉄之助って、いっつもアタシのことバカにするんだもん。上から目線だし」
薫がブリブリ文句を言うが、沖田は相手にしない。
「オメェはガキだからバカにされてんだろー」
「ガ、ガキって、沖田さんこそ・・」
「オレ大人だし」
沖田は冷めた顔で上を向く。
「ガキのイチャモンなんざ、いちいち腹立てねぇよ」
(どこが大人なのよ。言葉のイミ見失ってるでしょ、絶対)
心の中で悪態をつくが、口には出さない。
「おめぇ・・今なんか悪口考えたろ」
沖田が低い声でつぶやくと、薫の肩がビクリと揺れる
「え」
(な、なによ、この人・・エスパー?メンタリスト?)
「なにも考えてません」
薫はプイッと横を向いて、また卵のかきまぜを再開した。
しばらくかきまぜて、また手が止まる。
「・・沖田さんは大人なんだ」
「あ?」
「大人だから・・女の人を買ったりするんだ」
言うつもりの無かった言葉が口をついて出てくる。
沖田は少し驚いた顔をすると・・立ち上がって薫のそばまで歩いて来た。
「バーカ」
薫のオデコを人差し指でパチンと弾く。
「イタッ」
薫がしかめっ面をした。
「な、なにすんですか!」
オデコに手をあてる。
「ふん」
沖田は軽く笑うと、そのまま何も言わず戸口から姿を消した。
「なによ・・もう」
薫は憮然とする。
(デコピンってホントにけっこう痛いんだから)
3
それから2日後、九条通りで騒ぎが起きた。
「大手組が東寺に押し寄せただぁ?」
土方が声を上げる。
「はい」
監察の山崎が廊下に控えている。
夕べ島原で死傷者を出す大騒ぎがあった。
大名火消の大手組と幕府歩兵隊の間で大乱闘になったのだ。
大手組に死者が出たために、その場はいったん引き揚げたが、今日になって歩兵隊が詰める東寺に押し寄せたらしい。
「幕府のモン同士でつぶしあってどうすんだ」
しょっちゅう見廻り組と諍いを起こしてる自分たちを棚に上げて、土方がつぶやく。
「いかがいたしますか」
山崎が続ける。
東寺は洛南に位置しており、奉行所まではかなり遠い。
駆けつけるなら、不動堂村の新選組が一番近い武装組織だ。
京の治安を守るお役目を預かってる以上、町人に巻き添えが出る前に、穏便に事を収めなければならない。
「行くしかねぇだろ」
土方がノッソリ立ち上がった。
朝餉を終えたばかりで、隊士達はまだ見廻りに出ていない。
屯所にはかなりの人数が残っていた。
乱闘騒ぎが長引くのは、力が拮抗している時だ。
どちらかの人数が極端に増えれば均衡が崩れて勝負は決まる。
頭に血が上った男どもを口で説得するのは骨が折れる。
それより・・人海戦術が一番手っ取り早い。
土方は部屋を出て、隊士がいる広間に向かった。
広間に着くと、みな準備を終えて指示を待っている。
「これからすぐ東寺に向かう」
土方の言葉に、永倉が反応する。
「歩兵隊の詰所か」
「大手組が押し寄せた。夕べ死者が出たせいだろう」
土方の説明に、原田が一言挟んだ。
「お礼参りかよ」
「どっちにつくんだ、オレら」
永倉が訊くと、土方がアホらしそうに答える。
「どっちにもつかん。どっちも同じ幕府の組織だ」
「んじゃ、なにしに行くんですかい?」
沖田が面白そうに訊いた。
「騒ぎを収めにだ。このまんまほっとけねぇからな」
土方が答えると、沖田が軽く笑った。
「バラガキが喧嘩の仲裁かぁ。変われば変わるもんだなぁ」
土方にギロリと睨まれて、沖田は肩をすくめる。
ぜんぜん悪びれてない。
「まぁ、とっとと行こうぜ。火事と喧嘩は江戸の華だ」
原田の言葉を、土方が遮った。
「ここは京だ」




