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第二百三十八話 片思い


 ミツは「おなごし」として、南部診療所に奉公している。

 いわゆる賄い婦だ。


 年季奉公と違って行儀見習い的な意味合いが強く、留守番を頼まれた日以外には、よく家に帰っていた。


 「はぁー・・」

 部屋で深いため息をつく。


 ミツの家は兄弟姉妹が多く、男兄弟と女兄弟で分かれて部屋を共有している。

 今は家族が畑にでかけて、部屋にはミツ1人だ。


 『祇園に気に入ったオンナができたって話だから、シケこんでんじゃねぇの?』

 大助の言葉が頭に浮かぶ。


 ふいに涙が浮かんできた。

 普段はメソメソすることはないサッパリした気質のミツだったが・・この頃は悩みが深い。


 縁談が持ち上がっているからだ。


 姉のミツよりも妹が先に片付いてしまい、外聞が悪いとゆうことで、両親が手を尽くしたのだが・・。

 夕べも遅くまでコンコンと説教され、今度顔会わせすることになってしまった。


 健康で器量の良い娘がダラダラと婚期を逃すのは避けたいのだろう。


 「祝言なんぞ上げとうない・・」

 ポツリと言葉が漏れる。


 窓に目をやると、青い空に白い雲が浮かんで、すこぶる良い天気だ。

 ボンヤリ見ていると、楽しかった記憶が蘇ってくる。


 昔・・新選組が壬生浪士組と呼ばれていた頃。


 沖田はちょくちょく壬生寺に来て、近所の子ども達と遊んでいた。

 少女だったミツも、京太にせがまれてよく寺に遊びに行っていた。


 ある日・・家に忘れ物を取りに行ったミツが壬生寺に戻ると、泣き声が聴こえる。

 慌てて小走りで境内に入ると、大きな樹の上に京太の姿があった。


 「な、なにしてん?」

 ミツが声をかけても、泣き声だけで返事は帰って来ない。


 「木登り競争やったら、降りてこえへんようになってしもてん」

 残っていた年長の女の子が説明してくれる。


 辺りには悪ガキ共の姿は無かった。

 みな叱られる前に逃げ出したらしい。


 「京太、動いたらあかんで。今、人呼んでくるさかい」

 ミツが声をかけると、少し泣き声が低くなった。


 すると・・


 「あれぇ、どしたの?みんなどっか行ってんの」


 間延びした声を聞こえて・・振り返ると、門の方から歩いて来る沖田の姿があった。






 「あ、沖田はん。良かった、助けてぇな」

 ミツが急ぎ声をかけるが、沖田は変わらずノンビリした歩調でやってくる。


 焦ってイラついてるミツの側まで来ると、沖田が樹の上を見上げた。

 「あれぇ、京太。なにやってんの?」


 「いいから。早く助けてぇな、沖田はん」

 ミツが沖田の腕をグイグイ引っ張る。


 「あ?ああ・・」

 背中を押されるようにして、沖田が樹の幹に手を当てる。

 「動くなよ、今行くから」


 袖をめくり上げると、器用に樹に足をかけヒョイヒョイと登り始めた。


 太い幹に足をかけると、その先の細い幹にしがみついてる京太に手を伸ばす。

 これ以上登ると、枝を折ってしまうかもしれない。


 「手ぇ伸ばせよ。ホラ、こっち」

 沖田に言われて、京太が恐る恐る片手を幹から離した。


 「よ」

 京太の左手を掴んだ沖田が、身体を伸ばして京太の脇を手で支える。


 そのままユックリ引き寄せると抱きかかえた。


 「ほーら、もうこわくねぇぞ」

 沖田が背中をポンポンと叩く。


 京太が沖田にしがみつく恰好で、樹を降りてきた。

 無事に地上に足がついた途端、火を噴いたように京太が泣き出す。


 助けてくれた沖田から逃げるように身体を離すと、しゃがんだミツの首にしがみついてオイオイと泣き続けた。

 沖田は困った顔でポリポリ頭を掻いている。


 あの頃から・・京太もミツも沖田のことが大好きなのだ。


 懐かしい記憶が蘇って、つい涙が頬を濡らす。


 「沖田はん・・」

 両手で顔を覆うと涙が溢れてきた。


 沖田の眼に自分が映っていないことは分かっている。


 だが・・どうにもならない片思いは、長い間ミツの身体を毒していて手離すことが出来なくなっていた。

 とっくに諦めた恋だったが、切り捨てるのは身を切られるような思いがする。


 「うち・・もう」






 自分が沖田の恋愛対象外であることをつくづく思い知ったのは、この前、沖田が南部診療所に来た時だった。

 環と口喧嘩している姿を見たが・・あんな沖田は初めて見たような気がする。


 沖田は子どもには優しいが大人には興味を示さないし、どこか冷めたところがある。

 ミツに対しても、いつも他人行儀で冷めた接し方をしていた。


 だが・・環と遣り取りしている沖田はフツーの男子だった。

 男の子が興味のある女の子にする、からかうような、かまうような・・どこか甘さの混じったイジワルだった。


 環はブリブリと怒っていたが、沖田は環の反応を面白がってるように見えた。


 「想う人には想われず、想わぬ人に想われて・・か」

 ポツリと言葉が漏れる。


 ミツは、隣リ近所の男連中からよく好意を示されてきたが、全部ブッ千切って袖にしてきた。

 少女の頃から沖田以外の男が目に入らなかったせいなのだが。


 (なんで・・片思いなんてあるんやろ)

 ついつい恨めしい気持ちが湧いて来る。

 

 世の中に男と女が半分ずつで、その全部が両想いでくっつけば、アブれる人がいなくなるのに・・と。

 (※確かに・・そうなれば、世の中のストーカー事件はすべて解決するであろう)


 だが実際は・・モテる人モテない人、自分を好きな人を好きになる人、脈が無くても果敢にアタックする人、プライドの高い人、プライドを捨てられる人、恋愛体質の人、枯れちゃってる人・・千差万別である。


 ミツは恋愛体質とゆうより沖田を好きになり過ぎてしまっただけなのだが、正直・・疲れてしまった。

 (恋愛は疲れるものだ、例え片思いでも)


 ミツの縁談の相手は、麹屋「菱六」の三男坊。

 長男が跡を継いだ店の部屋住みで、その手伝いをしているとのこと。


 菱六は京でも指折りの大店で、幕府の出先などにもよく卸している。

 噂では、三男は仕事も真面目でよく働く好青年らしい。


 こんな良い縁談はもう来ないと思っているのか、ミツに対する説得も目を血走らせての熱弁ぶりだった。


 「ええか。ここら辺じゃあ、あんたが川に入ったこと、みぃんな知っとる。町に嫁行くんがいっちゃんや。なんや言うこときいとくれんかいねぇ」

 もはや懇願である。


 むせび泣く母親を前に、ミツはコクンと頷いた。

 「うん。分かった・・お母はん」





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