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第二百三十二話 置き土産


 板の間の奥に目をやると、壺が1つ残されていた。


 上がり込んで壺を手に取ると・・中にムクロジの実が入っている。

 壺の下に紙が敷かれていた。


 墨文字で・・「あげる」とだけ書かれている。


 膝をついたまま肩を落とす。

 「茜さん・・」


 板の上に置かれた紙の三文字から目が離れない。

 涙は出なかった。


 ・・ただ、ずっと心のどこかで「もしかして」と思っていたことが、今は小さな確信に変わっていた。


 しばらくしてから・・心を決めたように立ち上がると、店を後にする。

 壺を抱えて屯所に戻ると、環はある人を探してアチコチ歩き回った。


 「・・どこだろ」


 今日は引っ越し騒ぎで隊士はみな忙しなく屯所を出たり入ったりしている。


 キョロキョロと見回しながら奥に進むと・・廊下の向こうから土方が急ぎ足でやってきた。


 「土方さん」

 環の声で、土方が顔を上げる。

 「あ?」


 「あの・・話したいことあって」

 「ダーメだ。今日は忙しい」


 あっさり通り過ぎようとする土方の袖を環が掴んだ。

 驚いたように立ち止まる土方を、環が必死な眼差しで見つめる。


 目力に負けて土方が息をついた。

 「なんだってんだ、いったい」


 「洗い物屋さんのことなんです」

 環が俯きがちに言葉を出す。


 「はぁー?洗い物屋だぁ?」

 意外な切り出しに、土方が頓狂な声を上げた。


 「もしかして・・私・・やっちゃったのかも」

 環が小声で漏らすと、土方が眉を寄せる。

 「あん?」


 「あの人・・洗い物屋じゃなかったのかもしれない」

 環は小さく唇を引き結んだ。






 夕刻になって、環は土方の部屋に呼ばれた。


 障子を開いて中に入ると、土方と山崎が座っている。


 「そこに座れ」

 土方が腕組みしたまま声をかけた。


 環がおずおずと膝をつくと、前に座っていた山崎が肩で息をついた。


 「山崎、こいつに説明してやれ」

 土方が声をかけると、山崎が振り向いて身体の向きを変える。

 「はい」


 環の方を向いた山崎は、少し労わるような表情をしていた。

 「副長に言われて、茜屋のことを調べた。まぁ、結論から言えば・・洗い物屋は隠れ蓑だ。やつは間諜だ」


 半ば予想していた言葉だったが・・それでもショックだった。


 「あの場所を借りてたのは大黒寺の檀家だ。名前を貸しただけで、実際に借りてたのは薩摩藩だ」

 山崎は淡々と続ける。


 「薩摩藩・・」

 環が小さく繰り返す。


 「大黒寺は通称薩摩寺と呼ばれている島津候が建てた寺だ。薩摩藩士が良く集ってる。おそらく茜屋の主人は薩摩に雇われた忍びだろう」


 「忍び・・」

 環の声には力が無い。


 「山崎・・オメェはもういい。下がれ。こっからはオレが話す」

 土方が低い声で指示を出すと、山崎は一瞬躊躇したが、すぐに頭を下げた。


 立ち上がる時チラリと環を見たが、表情が幾分心配気だった。


 山崎が部屋からいなくなると、土方と環の2人きりになった。


 「・・オメェはここんとこずっと洗い物屋に通ってたらしいな」

 土方の低い声が響く。


 「・・はい」

 環は、自分の顔が赤くなるのが分かった。


 「で・・いつから気付いてた?」

 「は?」


 「いつから気付いてたって訊いてんだよ」

 「いつからって・・」


 (それは・・)

 環は顔を伏せた。


 「今日・・です。屯所が移転することになって、そしたら同じ時にいなくなってて」

 ポロリポロリと言葉が漏れるが、全て空々しく聞こえる。


 (ちがう・・わたし多分、前から気付いてた。気付いて・・気付かないフリしてた)


 そのまま黙り込んだ環を見て、土方が息をついた。

 「・・まぁ、そうゆうことにしておくか」


 環は黙ったままだ。


 「ったく・・薫といいオメェといい、なんなんだ。若ぇ娘っ子ってのは、ヤベェ男に弱ぇのか」

 土方が横を向いて、忌々しそうに吐き捨てる。


 環は思わず顔を上げたが、どうにも否定する言葉が出てこない。


 「まぁいい・・もう部屋に戻っていいぞ」

 土方の言葉に促され、環は部屋を後にした。


 廊下を歩く足取りが重い。

 (・・わたし、何やってんだろ)






 炊事場では、薫がいばっていた。


 「ほら、これ切ってみて」

 夕餉の片付けを終えてから、鉄之助に賄い業務を仕込んでいるのだ。


 「戦場じゃ兵糧が命だ。賄いくれぇ出来るようになれ」と土方からのお達しなのだ。


 ところが・・


 「ゴローさん、切り方こんなモンやろか?」

 鉄之助はゴローにばかり訊いて、薫のことはまるで空気のように扱う。


 (可愛くない・・っ)

 薫は心中プリプリしているが、ゴローと鉄之助は仲良くやり取りしている。


 (なんなのよ、女嫌いのくせに。オカマはいいの?そこにいるのは、見た目はオトコだけど心はオンナなんだからね)


 薫のイライラを尻目にゴローと鉄之助は、キャッキャッと楽しそうだ。


 「もう~、鉄くん不器用過ぎよ~」

 「えー、けっこう出来てると思うんやけど」


 ゴローは母性本能が強いオカマなので、苦労人の市村兄弟のことを聞いて「アタシがお母さん替わりになってあげる」とでも思っているのかもしれない。


 (ゴローママったら、もう。甘い声出しちゃって~)

 薫は色んな意味で面白くない。


 鉄之助の挑戦的な態度にも頭に来るが、なんとなくゴローを鉄之助に取られたような気にもなっている。

 年上なのに心が狭い。


 ゴローと鉄之助が楽しそうにお料理教室をしているので、薫は1人で炊事場を後にした。


 (あったま来ちゃう、もう~)


 プリプリしながら部屋に戻ると、環が元気の無い様子で座っていた。

 妙に考え込んでるような顔つきで、畳の上に置かれた壺を見ていた。


 「環・・どうしたの?」

 薫が心配そうに環の側に座り込む。


 「薫」

 環は今気付いたように顔を上げた。


 「なんかあったの?」

 薫の問いかけに、環はほんのわずか頷く。


 「あのね・・茜さん。洗い物屋じゃ無かった・・新選組を探ってる間諜だったの」

 「え?」


 環の言葉を聞いて、薫は一瞬ポカンとした。


 「おそらく薩摩藩の忍びだろうって」

 環は畳に目線を落としたままで続ける。


 「うそ」

 薫の顔が小さく歪んだ。


 「環・・」

 薫が環の手に自分の手を重ねると、環が薫の手を握りしめる。


 握った手を緩めると、ゆっくりその手を外して膝を抱えた。

 「一番驚いてるのはさ・・とっくに気付いてたってことなんだよね、わたしが」


 「・・なにを?」


 「茜さんが洗い物屋じゃないって、わたしとっくに気付いてたの」

 環の声が・・ポツンと部屋に落ちた。






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