第二百三十話 藪の中
1
伊東に言い含められ新選組に残留した計10名が脱局した。
「幕臣になるのは承服出来かねる」というのが理由だった。
だが・・彼らは御陵衛士に合流することは出来なかった。
近藤と伊東の間の取り決めで、新選組と御陵衛士の間では隊士の行き来を禁じてあるのだ。
その規定を忠実に守り、伊東は彼らの入所を断った。
行き場を失った彼らは守護職屋敷に嘆願に出向き、報せを受けて現れた近藤・土方・山崎らに引っ立てられた。
脱局した10人中、4人は切腹、6人は放逐。
土方の目論見通り・・粛清は行われた。
そして・・
「浅野が抜けたようです」
土方の部屋に入って膝をついたまま山崎が報告する。
「浅野?」
土方が眉を寄せた。
浅野薫は、三条制札事件の時に失態を犯し、隊の中で居づらい状態だった。
佐野七五三之助ら10名が屯所を抜けた後、それを追いかけるように脱局したらしい。
「昨夜から屯所に戻っていません」
山崎の言葉に、土方が視線をやや下げた。
「ふん・・」
もし浅野が御陵衛士に合流を計っても、伊東は拒否する筈だ。
「良い機会だな」
土方が立ち上がった。
「屯所も移転するし。この際、大掃除しちまうか」
「はっ。それと・・」
山崎が言葉を続ける。
「観柳斎が善立寺に出入りしてるようです」
「あ?」
土方が振り向いた。
もと五番隊組長、武田観柳斎は『薩摩藩と内通の疑い有り』で除隊処分を受けていた。
土方は腕を組むと、考えを巡らせる。
武田はもう新選組の隊士ではないので、御陵衛士への加入は可能だろう。
だが・・
(伊東が受け入れるとは思えねぇ)
ああ見えて・・伊東は人を見る目がある。
武田はとうてい信用ならないキャラだ。
(どうするか・・)
新選組を除隊された時も、あくまで疑いでしかなく、確たる証拠が無いため正式な断罪が出来なかった。
「浅野を探せ。洛中以外もしらみつぶしに当たれ」
「はっ」
山崎がすぐに部屋から姿を消した。
(武田の方は少し様子を見るか)
土方は、ひとまず伊東の出方を見ることにした。
2
伊東から加入を拒否された浅野は進退極まっていた。
新選組を脱走して京の町中を歩くことは自殺行為である。
伊東からの勧めもあって、山科の方に身を隠すことにした。
日が沈んでから、深編笠を被り善立寺の裏門からコッソリと抜け出す。
提灯も持たず、月灯りだけを頼りにひたすら歩き進むと・・前方に木に寄りかかった人影がある。
腕を組んで空をボンヤリ見上げているのは・・沖田だ。
灯りが無いので、浅野が沖田に気付いたのはかなり近付いてからだった。
驚いて立ち止まる。
・・向きを変えれば追いかけられる。
だが、素知らぬ振りで前を通り過ぎる度胸は無い。
立ち止まったまま、進むか引き返すか迷っていると・・
「浅野さん」
沖田がポツリと言った。
「・・っ・・」
浅野が声にならない言葉を漏らす。
慌てて引き返そうとする浅野に、背中から声がかかる。
「そっち行くと挟みうちにあっちゃうよ」
沖田がゆっくり樹から身体を起した。
「!・・」
浅野が立ち止まる。
もと来た道には、すでに他の隊士が張り込んでいるのだろう。
「浅野さん・・もう諦めた方がいい」
沖田は淡々としている。
「お、沖田くん・・ワシ足かなわんて。見逃してけぇよ」
浅野の声は震えていた。
「・・・」
沖田は黙ったままで眉をひそめる。
「見逃してけぇよぉ・・」
泣き声が闇に響く。
「屯所に戻ってください。でなきゃ・・オレはアンタを斬らなきゃなんねぇ」
沖田がポツリポツリと言葉を返した。
浅野は足がすくんで動けない。
屯所に戻れば即切腹だ。
「ワシぁ・・ワシぁ・・」
小声でブツブツつぶやくと、いきなり浅野が藪の中に走り出した。
沖田がすぐに後を追う。
藪の奥で追いついて回り込むと、浅野がいきなり奇声を上げて斬りかかってきた。
沖田がかわすと同時に剣を抜く。
「浅野さん。禁令を犯した罪により・・お命頂戴いたす」
ザシュッ・・
言うと同時に、浅野の胸は沖田の剣に貫かれていた。
3
山絹の玄関口で上を見上げると、ちょうど二階の廊下を華やかに着飾った遊女が10人ほどスルスルと歩いて来るのが見えた。
まさに壮観。
お水の花道。
2列目に・・初音の姿を見つけた。
初音がふと玄関の方に視線を流す。
下で見上げる沖田の姿に気付いて、一瞬目を見開いた。
が・・立ち止まることはせず軽く会釈だけして、そのまま歩いて行った。
それから半刻後・・
部屋で沖田がひとり手酌でお屠蘇をチビチビ飲んでいると、スラリと障子が開いて初音が現れた。
「沖田はん。どないしたん?今日はえらい急やなぁ」
言いながら障子を閉めて中に入る。
沖田のそばに腰を下ろすと、すぐに赤い銚子を手に取った。
「んー・・」
沖田は首を傾げながら杯を口にあてる。
「来たくなったから」
初音が息をついた。
沖田といると力が抜ける。
「姐さんに会いたくなったからさ」
沖田がニッコリ笑った。
初音は一瞬言葉を失った。
馴染みのお客から散々聞きなれた台詞だが、沖田の口から出るとなんとなく違って聞こえる。
(かなわんなぁー・・)
「さっき、すごかったなー」
沖田のつぶやきに、初音が首を傾げる。
「さっき?」
「うん。なんか大勢で芸娘さんがゾロゾロ歩いて来たでしょ。すげー迫力だったから、ちょっとビビッちまった」
沖田の言葉を聞いて、初音がコロコロと笑い出した。
「新選組の組長はんが、何ゆうてはるのん」
初音が酌をすると、沖田は背中を丸めて黙って呑んでいる。
お膳の上に食べ残した料理が載っていた。
初音がヒョイと箸でつまんで、シイタケしんじょを口に運ぶ。
「おいしいわぁ。残したら勿体無いで、沖田はん」
モグモグ食べる初音を、沖田がやや呆気に取られた顔でみつめた。
「姐さん・・ダメだって」
言いながら、初音から箸を奪う。
労咳が感染(うつ)ったりしたら・・と心配なのだ。
「なんやのん?ドケチやなぁ」
初音は全く気にしてないようだ。
沖田が息をつく。
初音が面白くない顔で、お膳を廊下に持って行った。
戻ると沖田の隣りに座り直す。
「お腹大きなったら、またお眠でっしゃろ?」
初音が膝をポンポンと叩いた。
すると・・
沖田が天井を見上げてつぶやく。
「いや・・今日は眠くねぇ」




