第二百二十四話 戦利品
1
夜半、冷えた空気の中、沖田が玄関に座り込んでいる。
「ゴホッ、ゴホッ」
夜に咳が出ると、部屋を抜け出して、玄関口で治まるまで過ごすのが常だった。
自分の部屋で咳き込むと、両隣り(薫と環、土方)に丸聞こえだからだ。
「ゴホッ、ゴホッゴホッ・・」
一度、咳が込み上げると、治まるまでしばらくかかる。
荒く息をしていると、後ろから声をかけられた。
「夜気は身体に毒だよ」
山崎だ。
監察の責任者である山崎は、隊務の時間帯が他と違う。
今も、張り込みに出るために玄関に来たところだった。
「山崎さん・・」
沖田がやや疲れた顔で振り返る。
ユラリと立ち上がると、山崎の隣りを無言で擦り抜ける。
するとまた・・後ろから声をかけられた。
「沖田くん。命の使い方を間違えなければ・・例え短くても、生まれた甲斐がある」
山崎の言葉を聞いて、沖田が足を止める。
振り返ると、山崎の顔が玄関の行燈に照らされて見えた。
「・・なんて?」
沖田の声がポツンと暗闇に響く。
「オレもアンタも、明日が知れない身だ。そう考えれば・・ここの連中は同じだな。いつ死ぬか分からねぇ」
山崎の声は、低いのによく通って聞こえた。
「ひょっとして・・慰めてんの?」
沖田がやや白けた口調で訊くと、山崎が軽く肩をすくめてから玄関に降りる。
「まさか・・そんなもん、クソの役にも立たねぇ」
そう言って、玄関から出て行った。
「あの人・・分かずれぇんだよなー」
沖田は冷えた夜気に肩を震わせると、部屋に戻っていく。
もう咳は止まっていた。
2
『茜屋』の板の間で、環が棚に並んでいる小瓶を順番に見ていた。
ここ最近は洗い物だけでなく、様々なことを茜に教えてもらっている。
基礎化粧品の作り方から、各地のお国言葉や風習。
色々な伝説や昔話、江戸と京のマナーの違いなど・・多岐に渡る。
もはや『茜ちゃん』ではなく『茜先生』である。
茜は話題が豊富だ。
しかし・・自分のことだけは何一つ語らない。
フゥーッと息をついて、何気に棚の一番上に目を遣ると、篠笛と尺八が目に留まった。
思わず手を伸ばすと、袖が引っ掛かって棚に並んだ小瓶が横倒しになる。
ガチャッ、ガチャン。
慌てて棚の瓶を手で押さえようとするが、努力も空しく瓶が落下する。
思わず目を閉じたが・・音がしない。
おそるおそる目を開けると・・いつの間にか茜が横に立って瓶を腕で受け止めていた。
驚いて目を開くと、茜がニッコリ笑う。
「ケガない?」
茜は両掌と両肘の関節で瓶を押さえていた。
何事も無かったように4つの瓶を足元に下ろす。
(この人・・)
驚きを隠せない。
ついさっきまで茜は土間でハタキをかけていた。
環が棚に袖を引っ掛けて、瓶が横倒しになった瞬間に、すっ飛んで来て瓶を受け止めたとゆうのだろうか。
だとしたら・・どう考えても常人離れした身体能力としか思えない。
「大丈夫です」
足元に屈んで瓶の中身を確認している茜を見下ろした。
「ご、ごめんなさい。わたし・・」
「いーんだよー。中身はぜんぶ、無事だったもーん」
茜がにこやかにふり仰ぐ。
すると・・首にキラリと光るものがあった。
(あれ?)
環が首を傾げて目を凝らす。
立ち上がった茜の襟元に視線を固定させたままの環を、茜が不思議そうに覗き込む。
「どうかした?環ちゃん」
「それ・・十字架?」
環が指差した先には、小さなクロスが下がっていた。
茜の首にかけられた組紐の輪っかの先に、銀の十字架が光っている。
「ああ・・これぇ?」
茜が自分の襟元を覗き込む。
「茜さんって・・クリスチャン?」
環の問いに、茜が視線を横に反らせる。
「オレは切支丹じゃない。これは・・」
冷めた表情を環に向けると、イタズラっぽい声でつぶやいた。
「戦利品だよ」
3
『戦利品』
洗い物屋の主人に似つかわしくない言葉を聞いて、環が不可思議な表情を向ける。
「戦利品って・・なんの?」
「ナーイショ」
茜が愛嬌タップリにシャットアウトしたので、環は追及するのを諦めるしかなかった。
息をつくと棚の一番上に目を遣る。
環の視線を追うように、茜も棚の上に目をやった。
「なに?」
茜が問いかけると、環が慎重に手を伸ばす。
それを追い越すように、茜が目的のモノを先に掴んだ。
「これ?」
茜の手に篠笛と尺八が握られている。
環がコクンと頷くと、茜が首を傾げた。
「なんだ。環ちゃん、笛が好きなのね」
「・・吹けるんですか?」
環の問いに、茜がトボけたように首を傾げる。
「う~ん、まぁね」
茜も一二三も拾門も・・忍びを生業とする者は芸達者だ。
身を隠す時には流しの大道芸やら芝居小屋などに身を潜めるので、唄や楽器は大抵こなせる。
「なにか吹いてもらっていいですか?」
環が期待を込めた目でみつめると、茜がため息をつく。
「・・いーけど」
「けど?」
環が訊き返すと、茜が困ったような顔で言った。
「環ちゃん、そんな風にオトコを見つめるの止めた方いいと思うよ」
「え?」
「誘ってるって思われるから」
「!」
環の顔が一瞬で沸騰した。
「ささささ・・誘ってなんかっ」
「わかってるよぉ。ただ、オトコってバカだからさー。カンチガイされると後が大変でしょ?」
茜は手をヒラヒラと振った。
おもむろに座り込んで、あぐらをかく。
「なんでもいい?」
篠笛を手に、環を見上げた。
環はコクコク頷くと、わざとらしく距離を取って茜の前に座り込む。
茜が歌口に唇をあて・・目を瞑る。
澄んだ音色が流れ出した。




