第二百二十三話 膝枕
1
「西本願寺が、こっから出てってくれとよ」
土方は袖に腕を入れて、薄笑いを浮かべている。
「新しい屯所は寺で用意するとさ」
向かいに座っている山崎が顔を上げた。
「・・どこですか?場所は」
「不動堂村だ。足場を組み始めたばかりだが、たまげるぐれぇの広さだったぜ」
土方は小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「はぁー・・あちらさんも必死ですねー」
山崎は他人事のような声だ。
迷惑をかけ続ける新選組と、かけられ続ける西本願寺との、唯一の橋渡しである伊東がいなくなってしまったので、『もう辛抱たまらん』になってしまったらしい。
「ふん。ところで・・あっちはどうだ?」
土方の声がやや低くなる。
「五条の善立寺に移って活動を開始してます」
山崎は本来の報告を始めた。
「ほぼ連日、宮様を始めとする殿上人が陵に足を運んでいますから。法事に参列する要人の警護だけでも、隊士の数は足りないくらいかと」
「ふん・・」
土方が視線を落とす。
御陵衛士は、孝明天皇の陵の警備が主な仕事だが、付随する業務として、天皇の墓に参る朝廷人の警護が入っている。
天皇の墓ともなると、亡くなって1年経たないうちは、ほぼ毎日なんらかの法要が行われる。
伊東たちはかねてからの念願通り、天皇と朝廷を護る防人になった。
・・新選組にいた時は、朝廷よりも幕府のための兵隊だった。
「伊東の犬が何匹か残ってるな」
土方は視線を横に移した。
「はい」
山崎が無表情に答える。
土方が斎藤を送り込んだように、伊東も腹心の隊士を、間諜として新選組に残留させている。
表向きは円満な分離になっているが、新選組と御陵衛士は実質的に敵同士になった。
諜報合戦は、すでに始まっている。
そうして・・
この日から2週間後に、撃剣師範の田中寅蔵が脱走した。
御陵衛士への加入を希望したが、失敗して本満寺に潜伏したところを発見され、屯所で切腹を申し付けられた。
これ以降も、新選組から御陵衛士への転籍を希望する者が出て来るが、2つの組織間の取決めで、隊士の行き来は禁止とされ、凄惨な粛清が続くことになる。
2
祇園のお茶屋、『山絹』の一室。
沖田が初音の膝枕でスヤスヤと寝ている。
昨夜また脱走未遂騒ぎがあって、朝まで寝ていない。
寝不足の頭を振りながら、茶屋に来て昼日中から休んでいた。
床入り部屋に入っても、いつもただ寝てるだけの沖田を、初音は不思議なモノを見るように覗き込んでいる。
沖田が初音に求めるのは膝枕だけだ。
沖田の顔をマジマジと見ていると、気配を感じたのか目を覚ました。
至近距離の初音の顔を、眠気の残った顔で見つめる。
「姐さん・・あんま見られると穴が空く」
「おはようさん」
初音が声をかけると、沖田がムクリと身体を起こした。
初音が慌てて身体を反らせる。
「ファァァ~」
アクビをして思いきり伸びをする。
「よく寝た」
首をコキコキ動かすと、初音の方に顔を向けてニッコリ笑った。
「姐さんの膝枕、気持ちいいや」
「そうどすか」
(変わったお人や)
沖田といると、初音は毒気が抜かれる。
持ち前の攻撃本能が鈍ってしまうのだ。
「・・ガキん時、世話んなった親類のオジサンが死んじまったって」
突如、前置き無く沖田が話し出した。
「それは・・ご愁傷さんどしたなぁ」
初音は、沖田の唐突な会話に慣れてきている。
「うーん・・なんか」
沖田が首を傾げる。
「誰かが死んだって聞いても・・あんま感じなくなってる気するな」
沖田は疲れたように背中を丸めている。
「・・そないなことありまへん。沖田はん・・つらそうやわ」
初音が染み入るような声で言うと、沖田が驚いたように目を開いた。
「オレが?」
「へぇ」
深く頷く。
「そーお?」
沖田はあぐらの上に膝を当て、頬杖をついた。
不思議そうに何度も首を傾げると、おもむろにあぐらを解いて、また勝手に初音の膝の上に頭を載せた。
「沖田はん・・また、おねむどすか」
初音はされるままになっている。
「うん・・おやすみ」
一言つぶやいて、沖田は目を閉じた。
3
沖田が初音を呼ぶようになったのは、ごく最近である。
初音に興味を持った原田がお座敷に呼んだのだが、その時、一緒に連れていかれた沖田が酒豪の原田についていけず、酒の席で体調を崩して寝込んでしまった。
目を覚ますと、初音が膝枕をしていた。
それが気持ち良くて、その後、沖田は疲れると祇園に出向いて初音を呼ぶようになった。
ほかの遊女のように甘ったるい香りではなく、青竹のような清々しい香のせいかもしれない。
初音は口はキツイが、性格はサッパリした姉御肌で正義感が強い。
江戸にいる姉を思い出して、なんとなく甘えてしまう。
沖田にとっての女は年上がスタンダードで、年下は基本目に入らない。
初音はある意味どストライクなのだが、カラダの関係を持つ気は無かった。
ただ、初音の膝枕は癒される。
初音の方は複雑だった。
沖田といると調子が狂ってしまう。
お客といても常に主導権を握っていたのに、沖田はどうにもつかみどころがなくて、上手く自分のペースに持っていけない。
だが・・寝顔を見ているのはイヤではない。
安心しきって無防備に眠り込んでる姿は大きな子どものようで、弟に甘えられるような心地良さがある。
(ほんまに新選組の組長はんなんかなぁ)
沖田が人を斬る姿など想像がつかない。
初音の目に映る沖田は、単なるゆるキャラなのだ。
自分のカラダに指一本触れようとせず、膝枕だけで玉代(ぎょくだい)を置いていく。
(こんなボンヤリしとると、そのうち悪いオンナに騙されるで)
頼りない世間知らずの弟を心配する姉のように、沖田のことをアレコレと気に掛けている。
(なんや・・郷にいる弟のこと思い出すなぁ)
そんな風に思ったが、初音が売られたのはまだ幼い時分だったので、生き別れた弟の顔など・・もうほとんど覚えてない。




