互いに
*
朝起き出して、全身に気だるさや倦怠感といったものを覚える。休日とはいっても、ゆっくりする暇があまりなくて、起きてからすぐに部屋を綺麗に掃除し、彼氏の雄哉が来るのを待った。彼はいつも土曜日の午後二時半過ぎにあたしの部屋にやってくる。普段ずっとサラリーマンで疲れているらしい。あたしも察するところがあった。同じ会社員として。
「美浦」
その日も玄関先で呼ぶ声が聞こえてきた。立ち上がって歩き出す。多分、雄哉だと思いながら……。玄関口で扉越しに、
「誰?」
と問うと、
「俺。雄哉」
という声が聞こえてきた。あたしも応じるようにして扉を開ける。彼が立っていて、笑顔を見せた。風邪を引いているのか、鼻が詰まったような感じがしていて、あたしも戸惑う。だけどすぐに、
「少し風邪気味だけど、会いに来たよ」
と言ってくれた。あたしも嬉しくなり、気持ちが高ぶって、
「入って。すぐに温かい食事作るから」
と言い、室内に入れてからキッチンへと歩き出す。雄哉も靴を脱いで入ってきた。さっき掃除機を掛けてフローリングの床を掃除し、トイレ掃除も済ませている。用意がいいのだった。彼が来るときは特別な時間だ。いつもずっとお互いメールし合っていて、コミュニケーションを取り、休日になると会う。その繰り返しだった。もうそんな関係が六年以上続いている。だけど互いに嫌になることはない。いつも一緒だった。困ったときは助け合うのだし。
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いつもは仕事できついことが多い。まあ、別に不自然なことじゃなかったのだけれど、常に忙しくしていた。ずっとパソコンのキーを叩きながら、上役たちに提出する資料や書類などを作る。こういったことが続く。マシーンに向かうのがあたしの業務である。残業もしていたのだが、大抵午後八時半ぐらいまで仕事をしたら家に帰る。そんな毎日が続いているのだった。
雄哉も仕事は大変なようだ。あたしよりもしっかりと働いている。給料だって、あたしより多く取っていた。彼の会社はIT機器関連の企業で、末端でフル回転で働いているらしい。あたしも驚いていた。雄哉がそんなに働き続けているのを。週末ぐらいしか、互いに休みが取れない。それにずっと仕事が続き、しょっちゅう人ごみに入っていくので、風邪を引く頻度が高い。この冷え始める季節、風邪薬や栄養ドリンクなどが欠かせないようだった。
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「美浦」
「何?」
「夕食、何作ってるの?」
「ああ、炒め物作ってるわよ。豚肉と野菜使ってね」
「美味そうだな」
「ええ。待ってて」
そう返し、調理し続ける。まだ料理として出すまでに時間が掛かるわねと思いながら……。調理自体にはそう掛からないのだが、皿に盛り付ける際、時間が掛かってしまう。そう思って作り続けていた。自炊は慣れている。普通に毎食作るのだ。お弁当やファーストフードは極力控えていた。あたしも健康には気を遣っているのである。
雄哉は持ってきていたスマホの画面を見つめながら、絶えず情報収集していた。彼ぐらいの年齢の男性なら、誰でもケータイやスマホなどを使いこなせるだろう。あたしの方はやっとケータイを何とか使えるかなといった程度だ。ネットやメールぐらいで。自在に使えるようなことはない。何度もショップに足を運び、店員から使い方を教えてもらう。それだけ機械に弱いのだった。
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リビングにテーブルを用意し、料理を並べて差し向かいで座る。そして食べ始めた。雄哉が炒め物に箸を付け、口に運び、
「これ、美味いね」
と言った。あたしも食べてみると、単に肉と野菜を炒めて味付けしただけでも美味しい。空腹を覚えていたので尚更だ。淡々とだが、食事を取り続ける。ゆっくりと味わいながら……。汁物を啜ると、体が温まる。あたしも若干風邪を引きかけていたのだが、市販の風邪薬の服用だけで済んでいた。普通風邪を引いていたら会社を休むのだが、無理を押して行っている。それだけ元気があるのだった。三十代女性の活力は漲っている。常人の想像以上に。
互いに食事を取り終わり、雄哉が使うために買っていた歯ブラシを戸棚から取り出すと、彼が歯を磨き始めた。洗面台で歯磨き粉を歯ブラシに塗り、歯を磨いている。あたしも食器の後片付けをしてキッチンを出、洗面所で一緒に歯を磨く。雄哉は歯を磨く前に風邪薬を服用したようだ。あたしも病院から処方されている薬類を飲むつもりでいた。
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歯磨きが終わった後、口の中を濯ぎ、リビングへと舞い戻る。そしてベッドに横になった。空気が乾燥しているので加湿器を付けてから寝床に寄り添う。一番いい時間だった。風邪は治りかけているようだ。雄哉も風邪薬を飲んで眠気が差したらしく、眠りに就き始めた。呼吸音が漏れ出ている。あたしの傍で。
「美浦」
ちょうど午後五時過ぎに差し掛かる頃、不意に彼が目を覚ましたらしく起き出し、あたしの名前を呼んだ。あたしも眠気が差していたのだが、ゆっくりとベッドから起き上がり、
「何?」
と返す。雄哉が、
「ミネラルウオーターとかない?空気が乾燥してるから、喉がカラカラに渇いちゃってさ」
と言った。
「ちょっと待ってて」
起き上がり、上から一枚羽織ってキッチンへと行く。幾分冷え込む。こんなに寒い中、彼もよくあたしの部屋に来たなと思う。おまけに風邪を引いたままで。体調が優れなくても恋人同士なら惹かれ合う。何も遠慮することなしに。あたしも普段はずっと職場で仕事をしていて倦怠を覚えることが多かった。だけどそう気にすることはないだろう。オフの日はこうやって会えるのだし……。
冷蔵庫から取り出したミネラルウオーターは冷えていた。あたしも自分用に一本確保しておき、雄哉にもう一本を手渡す。彼がキャップを捻り開け飲んだ。確かに空気が乾燥している。加湿器は回っていたのだが、それでも凌げないぐらい室内の空気は乾いていた。あたしもボトルを捻り開けて飲む。喉奥に入ってくる冷たい水は実に心地いい。
*
いつの間にか、体を重ね合っていた。ゆっくりと愛し合う。互いに愛に素直になりながら……。いつもは味わえないことを、今味わっている。別に大仰に気に掛けることはないだろうと思い。愛情は湧き出てくる。絶えることなく。一通り愛し合った後、雄哉が口を開いた。
「こうやっていられるのもいいよな」
「ええ。お互い愛情は湧いてくるし」
「これからもずっと一緒にいようね」
「もちろんよ。あたしだって、あなたを愛し抜く自信があるし」
言葉に力を込めた。絶対に彼を離しはしないといった感じで。あたしも一人の大人の女性としてしっかりやっていくつもりでいた。別に気にすることはない。邪魔立てする人間は誰一人としていないからだ。あたしもずっと雄哉と歩いていく気でいた。遠慮することはないだろう。それだけ絆が強いということなのだから……。
夜が更けていく。密な一夜も終わりに近付き、朝が訪れようとしていた。冷え込んでいたのだが、気にならない。ゆっくりと二人で揃って新しい一日を迎えるつもりでいた。また温かいコーヒーが無性に欲しくなる。薬缶でお湯を沸かし、エスプレッソで一杯ずつ淹れて、彼のカップに蓋をしておく。互いに愛おしく思える関係が続いていた。絶えることなくずっと。
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午前七時半過ぎに部屋に日が差し込み始める。一日の準備をするため、キッチンでコーヒーを淹れ終わった後、朝食用にトーストを焼き始めた。レタスやニンジンなどを使ってサラダを作り、添える。今日は日曜日だから仕事がない。雄哉と一緒に過ごせるのだ。ゆっくりと室内を掃除し始めた。何も不自然なことじゃない。週末に彼が泊まり込むことなどしょっちゅうだからだ。
「……おはよう」
「ああ、おはよう。……まだ眠い?」
「うん、まあね。でも起きないと」
「コーヒー飲んで目を覚まして。多分風邪も治ると思うから」
そう言って蓋をしていたカップを差し出した。雄哉が、
「ああ、すまないね」
と言い、ゆっくりとコーヒーを飲み始める。あたしもそれをじっと見ていた。さすがにいつも同じことばかりの繰り返しでしんどいと思う。だけどそれがあってこその社会人だ。あたしもそう思い、毎日を送っているのだった。ずっと同じことの繰り返しが人生だろうと。
人間という生き物は皆そうだ。あたしもずっとそんなことばかり考えながら、日々が流れていくのを感じる。人として生きていくことは実にそんな単純なものだろうと思う。掃除の後、朝一のコーヒーを飲みながらゆっくりしていた。とりわけ深く考え込まずに。彼がいつも一緒にいてくれるからだ。それで安心できていた。恋人同士で互いに寄り添えれば愛おしさを感じ取れるのだから……。
(了)