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道の向こう  作者: 高田昇
第一部 黎明
6/21

第五章 転進

明治38年5月27日

 日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が対馬海峡東水道で砲火を交わした。


 バルチック艦隊は戦艦8隻、海防戦艦3隻、巡洋艦9隻を有する50隻の大艦隊であったが、速度の遅い旧式艦や補助艦も含まれていた。また、半年かけて地球を半周する航海行ったため、兵員の士気と錬度は高くない。さらに、ロシアの友好国の港で満足のいく整備補給を受けられず、艦艇にはカキが付着して速度や艦隊運動に支障をきたしていた。


 対する連合艦隊は、陸軍第3軍の旅順攻略以降、将兵は艦隊運動や砲撃の質を磨き今日の決戦に備え鍛練を積み重ねてきたいた。そして、連合艦隊作戦参謀の秋山真之中佐が立案した『丁字戦法』をこの海戦でバルチック艦隊に用いた。


 後に『日本海海戦』と呼ばれる事になるこの海戦は、日本海軍の勝利となる。


 バルチック艦隊そのものは、多くの艦と共に日本海の海底に消えていき、ウラジオストクに辿り着いたのは、巡洋艦と駆逐艦の2隻ずつであった。日本海軍の損害は夜間襲撃に出撃した駆逐艦と水雷艇の5隻の損失のみ。ロシア海軍は、戦力と言える艦隊は黒海艦隊を除いて壊滅した。


 ロシアの戦争指導者達は、『バルチック艦隊が思い上がった日本に鉄槌を下すであろう』と豪語していたが、相次ぐ敗戦と1905年の1月22日に起きた『血の日曜日事件』を境にした国民の皇帝への離心による反政府運動が重なり、これ以上の戦争継続は困難を極めていた。


 だが、日本も同様である。国家予算は破綻寸前で、日本海周辺の制海権確保しても満州の陸軍では士官不足と砲弾の備蓄量から、ロシア陸軍を殲滅する能力がなく、戦線の維持だけで手一杯である。


 しかし、戦局は日本に傾いていた。


 6月9日、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、日露両国の仲介に入り講和勧告をした。日露両政府は、上記の国内事情から勧告を受諾した。


 戦争は終結に向かおうとしてはいた。しかし、満州の最前線ではまだ休戦状態ではなく、雨期のため大規模な戦闘ができない状態だった。ロシア陸軍の戦力は日本陸軍を凌駕していた。


 この時、満州のロシア軍司令部は、長春南方の公主嶺という都市にあり、最高司令官はクロパトキン大将から第1軍司令官ニコライ・リネウィッチ大将へと変わっていた。


 リネウィッチは、『シベリアの狼』の異名を持ち、奉天会戦以降、日本軍への逆襲の機会をうかがっていた。しかし、ロシア本国は日本との講和交渉の準備を進めていることを知って憤った。


 海軍は負けても、今の満州にいる陸軍戦力だけでも十分日本軍を破ることができるのに何故日本と講和をするのか。本国政府は満州での陸軍の実情を知っていないのだろう。


 しかし、今は雨期であり両軍は大軍を動かすことはできず小規模な戦闘を繰り返す日々を過ごしていた。だが、この雨期を逆手にとれば日本軍に攻撃を加える絶好の機会ではないか?日本軍はこの雨期でロシア軍は軍事行動を起こさないと考えているのではないか?


 雨季の中の攻勢。確かに道路網などのインフラ整備が行き届いていない満州では、路面が雨によって悪路となり、大砲などの重武装を運ぶのは困難を極める。また、雨によって兵士の体力を消耗させる。しかし、それでも兵力は日本軍の倍はあった。さらに日本軍は奉天の会戦以降、兵力は15万強程しかなく、砲弾の量も残り少なく、補給線も伸びきっている等、ロシア軍以上に苦境にある。


 リネウィッチは決断した。




 日本軍で、ロシア軍の大規模な軍事行動を最初に察知したのは、第三軍に所属する騎兵第1旅団と騎兵第2旅団から成り、少将秋山好古が束ねる秋山騎兵団の遠距離偵察をしていた斥候部隊である。


 斥候が得た情報は、直に満州軍司令部に送られた。だが、そのような情報は外部から届いていない。だいたい、この雨季に大軍を動かすのは無謀ではいか。と、司令参謀達は騎兵の報告を鵜呑みにしてしまった。


 だが、満州軍司令部が騎兵の斥候報告を鵜呑みにしたのは、今に始まった事ではない。


 明治38(1905)年1月、欧露からの部隊が続々と満州に移動してきている。という情報が満州軍司令部に届いた。


 また、前線でもロシア軍の行動が活発になってきており、捕虜から得た情報で近く攻勢に出る。との事実も出た。しかし、満州軍司令部は、1月の極寒の時期にロシア軍が攻勢に出る筈が無い。と、結論づけてしまった。兵家の常道上、春に攻勢に転じて来ると司令部は考えていたのだ。


 この時、司令部の首脳らは、フランスのナポレオンがロシア軍の冬季攻勢によって敗北をした事実を脳裏に思い浮かんだ者が一人もいなかった。


 そして1月25日、ロシア軍10万が大攻勢を仕掛けて来た。防衛体勢の整わない日本軍を窮地に追い込むも、ロシア軍の内部事情でこの攻勢は失敗に終わった。しかし、この本格的な攻勢を満州軍司令部は最後まで威力偵察だと言い張り続けたのだった。そして今また、司令部の悪い癖が出たのだ。


 だが、仮に司令部参謀が騎兵の報告を聞き入れたとしても、今の日本軍にはロシア軍の攻勢を押し返す戦力が十分に揃わない状態であった。




 6月の中旬、ロシア軍は攻勢が始まった。日本軍の小枝の様な脆くて広大な防衛線にロシア軍の砲弾が降り注いだ。


 特にロシア軍が戦力を集中させたのは、日本軍の左翼を守る第三軍であった。第三軍は、遼陽会戦以来からロシア軍にとっては目の上のたんこぶであった。


 ロシア軍の満州第2軍所属の4個軍団(『軍団』は日本軍の『軍』に相当する)が襲いかかったが、第三軍はロシア軍の期待を裏切る事なく戦かった。


 しかし、日本軍の戦力も限界に近付いて来た。各戦線は縮小されて戦力の集中が成されていった。




 満州軍司令部は、次々と発生する事態の対処に追われていた。だが、彼等がどうこうしようと、ロシア軍の攻勢そのものを阻止させる事は出来なかった。


 この満州軍の総参謀を務めているのが、兒玉源太郎大将である。日露戦争開戦以来、彼の頭脳一つで弱い日本軍をロシア軍と互角以上の戦いに持ち込んで行ったといっても過言ではない。その児玉が、満州軍総司令官である大山巌元帥のいる指揮官室に入った。


 室内にいた大山は猫に餌を与えていた。


 「おぉ、児玉さぁ。近頃こん猫たちが自分で餌を食べんからこまいもす」

 と、大山はにこやかに言った。まるで戦争が他人事のようであった。しかし、この大山の振る舞いに児玉の緊張は多少和らいだ。


 「いけん(どう)ですか。戦争のほうは?」

 大山は児玉に椅子にかけるよう勧めながら現状の事を尋ねた。


 「よい状態ではございません」


 大山は猫を従兵に預けて、椅子に掛けた。児玉は改めて今後の方針を話し出した。


 「閣下、我が軍は今後部隊の再編を図るため部隊の『転進』を行います」


 「転進?つまい逃げうこっじぁなぁか?」


 「そうです。逃げるのです」

 児玉は言った。今、日本軍が全滅してしまえば満州の支配権だけでなく朝鮮までもロシアの手中に入ってしまう。しかし、停戦の日まで日本軍の主力を維持できるのならば、朝鮮の独立は維持できる筈と考えた。そもそも日露戦争は、ロシアの南下政策から朝鮮半島の独立を保とうとする日本とロシアの対立から発展したものであり、日本の最終目標は朝鮮の独立であった。


 「…」

 大山はしばらく考えた。彼も一人の軍人としてロシア軍の実力を知り、日本軍の現状を知っていた。そして、


 「わかいもした。では、殿の部隊は?」


 この問いに児玉は第三軍の名を挙げた。現在の戦況は左翼の第三軍に敵の主力が殺到しつつあるが、中央、右翼の軍はどうにかロシア軍を退いた。このすきに第三軍以外の軍を後退させる計画であった。


 「では、おいも第三軍に行っもそか」

 と、大山は言った。


 日露開戦後、現地軍司令部である満州軍司令部が創設された際大山は、戦闘計画はすべて児玉源太郎に任せ、自身は日本軍が敗れた時に陣頭指揮を執るという事を決めていたからだ。

 

 こうして日本軍の転進作戦支援のため第三軍は過酷な戦闘の日々が始まった。

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