第十五章 朝鮮戦線
定州で日ソ両軍の戦いが繰り広げられていた頃、越境して韓国の江界を目指す満州軍と韓国軍が衝突した。
韓国軍は、日本軍を模した編成となっている。朝鮮半島は陸続きの大陸国であるのは言うまでもない。そして、隣り合う隣国は敵国の満州とソ連である。そのため安全保障上、韓国軍は陸軍を重視していた。
韓国陸軍の常備兵力と予備役は、日本陸軍を上回る規模である。が、自動車や戦闘車両は未だに一部部隊のみの配備で、大半の部隊の移動手段は鉄道や徒歩である。軍用機の数や運用構想も日本軍の程ではない。しかし、満州軍やソ連軍を韓国国内の山岳地帯で迎撃する戦術思想の下で、山岳戦に特化した部隊となっている。そして、戦力の不足は日本軍の協力で補う手筈となっている。
最後に、韓国軍は兵士の質で満州軍に勝っていた。満州軍は現役兵から成る多くの戦力を中国に送ったため、韓国に派遣した部隊を構成する兵士の多くは予備役や教育期間の短い新米兵士であった。
満州軍の韓国侵攻の基本戦略は、ソ連軍の援護であり、人海戦術で韓国軍と対峙して日本軍への援護を妨害するのであった。
江界で戦う韓国軍と満州軍には戦力的に大差なく、日本軍直伝の夜襲攻撃で満州軍の侵攻を食い止めた。
韓国では、日本の名称である『大東亜戦争』を『祖国防衛戦争』と言う名称で通していた。開国以後、列国の思惑に翻弄され、不満が積もり続けた国民感情がソ連と満州の侵略によって爆発しのだ。
清津を目指し本国から侵攻するソ連軍に対しても、韓国軍は虎の子の機械化師団を加えた重火力に特化した軍団を投入させ、ソ連軍の進撃を食い止めた。
ソ連軍は、日ソ開戦時の軍の動員には成功した。しかし、日韓連合軍の戦闘能力に対する情報収集には失敗をした。
失敗の背景には、いまだに根強く続く人種差別に原因があるだろう。黄色人種に対する根も葉もない白色人種の優越感がソ連の諜報活動に影響を及ぼした。
とにもかくにも韓国に攻めたソ連軍は日本軍と韓国軍の奮戦によって出鼻を挫かれる結果となる。
ソ連は直ちに極東への戦力増援を決定した。また、一方で中国への軍を派遣も決定した。
中国方面は韓国に比べて二つの陣営は膠着状態にあった。日本軍は、朝鮮方面への軍の派遣を最優先した。また、内地を防衛する戦力を残さねばならないため、中国方面へは兵站の輸送を除いて部隊増援は厳しい状態であった。そのため、中国方面の日本軍は占領地の防衛で手一杯であった。
特に前線で戦う中華民国軍の疲弊は著しい。一連の戦いによって帰る場所を失った兵士が多く、精神的なストレスで軍規の乱れが生じていた。
満州に駐留していたソ連軍は中国に入り、韓国で受けた教訓から日本軍との戦闘を極力避けて中華民国軍への攻撃を集中した。
日本軍ほど高い戦術や戦略の無い中華民国軍は、ソ連軍の攻勢を防ぎ切れず次々と防衛線を突破されていく。
1940年1月には、再び日中連合軍は逆襲によって占拠した占領地から撤退して南京まで退いていった。